芽吹く桜
第37話 繰り返される禁忌の恋物語
時は四十年後。
桜吹雪の美しい春の京都にて、陰陽師として今も尚名を馳せ続ける後藤家の家長、
「かをるのやつ、家を継がないとはどういう了見なんだ。こそこそと妖なんかとつるんでいるから馬鹿な真似をするようになるんだ」
父親の怒声を静かに受け流していたかをるの妹、後藤家の長女である
「困りましたね。お兄様が家督を継がないとなると、この家の家督は何方に継がせるおつもりなんですか?」
「当然長女のお前になるな」
この家には長男であるかをる以外に男の子が生まれていない。守理の下には優秀な次女と三女がいるのみだ。
「元々お前はかをるに勝らずとも劣らない力を持っていたからな。それにお前は私に似ている。急遽ではあるが、継がせるのに心配はしていない」
「身に余るお言葉ですわ、お父様」
うちの長男様は、どこかの田舎にある神社に引きこもることに決めたらしい。それもお父様に相談もなく、勝手に。
あそこは力をなくした妖狐がうじゃうじゃいるらしい。とんだ物好きだわ。
まあ私からしてみれば、やっとツキが回ってきたと言えるだろう。
守理は嬉々とした足取りで自室に戻ると、視界に飛び込んできた者───妖狐に罵声を飛ばした。
「何してんの。さっさと準備してちょうだい。あんたの主様が正式にこの家の家督を継ぐことになったのよ?。そんな暗い顔してないでもっと愛嬌のある顔できないのかしらッ」
足で蹴飛ばすと、正座をしていた妖狐は倒れた拍子に畳で顔を摩ったらしい。
頬から血が流れていて、いい気味だ。
「あんたみたいな妖狐、あの時消しちゃってもよかったのよ?。生かしてもらえているだけ感謝してほしいわ。なのにあんたはいっつも不気味な顔して…何か言いたいならおっしゃいなさいよ、ほうらッ」
白き毛を持つその妖狐は、手をついて起き上がると血が畳へ垂れないよう頬を抑えた。が、守理に長い髪の毛を掴み上げられ、揺さぶられる。
畳にいくつかの小さな血の染みが出来た。
「…ここへ長年おいてくださりありがとうございます、守理様。貴女様のおかげで今日も私は幸せにございます」
「ふんッ、それでいいわ」
守理は彼女の髪の毛から手を離すと、少しだけ乱れた着物を整えた。
「あ、そうだわ。この後来客があるの」
「来客、ですか」
「ええ、妖についての記事を書きたいとかなんとか言ってきた奴よ。この家の面子ってものもあるし、私の名前を世に轟かせるいい機会だわ」
「左様でございます」
「けど…陰陽師じゃなく妖について聞きたがるのは少々不躾よねぇ?」
「仰る通りでございますね」
「だからまあ、お茶くらい出してあげなさい。…ああけど、もう二度と来たくなくなるように、とびきり渋めに淹れて」
「かしこまりました」
地味な色の解れさえ散見される着物を着させられた妖狐は、守理の指示通りにお茶を入れ、客人を待たせているという和室へと向かった。
中へは入ると、外した帽子で自らをあおいでいる眼鏡の男がいた。
「…わぁ、貴女美しいですね。お茶ですか?、お茶ですね?。きっと渋めに入ってるんでしょうねぇ〜」
不思議な方だな、と思いながら「はい、渋めでございます」と妖狐は抑揚のない声で正直に答える。
「取材に応じてくれる守理さんが来たら行動を起こすから、先に君には尋ねておこうかな」
彼はにこにこしたまま体をこちらに向けた。
「君はここから逃げたい?」
妖狐は少し迷うような素振りを見せてから、「わかりません」と答えた。
「ですが、一生ここでお世話にはなりたくないとは…思います」
「そっか。じゃあ僕と一緒においで」
要領を得ない問いかけではあったけれど、人間に決めてもらうことが当たり前になっていた彼女は、うんうんと頷いた。
「じゃあ少し待っていてもらえる?」
襖が開き、守理さんが嘘くさいにこやかな表情で和室へと入ってきた。
男と向かい合うように座った守理は、妖についてとは具体的にどのような話が聞きたいのかと問うたが、すぐに顔を引き攣らせた。
男を見てもへらへらと笑っているだけで、そんな顔をするような事態は起こっていないように思う。
けれど次の瞬間、守理は畳に伏すように倒れ込んだ。
どうやら眠っているらしい。
「ほー、噂はほんとだったみたいだね、よかったぁ。この家系の陰陽師は力のある妖と対峙した後は回復のために寝る!。はは、この速さはどちらかというと気絶じゃないのかなぁ?」
男はよいしょと立ち上がると、一部始終を何の感慨もなく見つめていた妖狐に微笑みかけた。
〇─〇─〇
男は目の前で守理が倒れたのを、後藤家の次女に伝えると、彼女は血相を変えて時勝へと事態を報告しに走った。
「何ッ、守理が?」
「はい。最も力のある妖に匹敵する何者かの襲撃と思われます」
守理を眠らせた男は心配そうに彼女の様子を伺っている。
「おい、そこのお前。何か見たか?」
「何って…え!?、もしかして妖ですか?。うわぁあ、是非写真に収めたかったなぁ」
「上級の妖など、普通の人間には見えるはずもないか…。ならいい、今はどうかお引き取り願いたい。今はそれどころではないことくらい、お前にもわかるだろう」
「そうですね、帰ります。なんて簡単には引き下がれませんよ〜。だって守理さん妖見せてくれるって約束してくれてたんですからぁ」
「こいつそんなことを…。まあいい、そこの女は妖狐だ。守理がつき従わせていたが、目障りだしそろそろ潮時だろう。好きに連れて行くといい」
不機嫌なことを隠さずに男を見上げた時勝は、その男の隣に佇む妖狐を指さした。
男が不敵な笑みを浮かべたのを、時勝は目の前の守理のことで頭がいっぱいで見逃してしまっていた。
「そうですか、なら彼女を連れてお暇させて頂きますね」
男はさっさと踵を返すと、人の姿をした妖狐が素直についてくることを確認しながら後藤家を後にした。
〇─〇─〇
新幹線に乗り込むと、男は座席になるのではないかと思うほどシートに沈み込んだ。
被っていた帽子や眼鏡もずり落ちる。
「いやぁ、ほんっとにあの家は嫌だね。かをるくらいじゃない?、まともなの」
「…あの」
「ん?」
「貴方は人間ですか?」
「えぇ?、どっからどう見ても人間でしょ?」
あの状況からして、守理様を眠らせたのはきっとこの人だ。けれどこの人からは同族の気配はしない。
「対陰陽師用の強力な御札持ってたからね。それで守理さんに圧をかけて眠らせたんだ。僕人間だけど、妖の保護活動をしてるんだ。驚かせちゃったかな?」
「…そうでしたか。ではもうひとつ、まるで白蛇のようなこの乗り物はどこへ向かっているのでしょうか」
駅で買ったお弁当を自分と彼女の分、お店のロゴの入ったビニール袋から取り出しながら男は「美味しそう!」と
「新幹線ね。僕の家のひとつ?、に向かってるよ。日本各地に家あってさぁ。今から帰るのはね、夕暮れの花火って知ってる?、それが有名な場所なんだ。緑が沢山あってね」
「申し訳ありません。存じ上げません」
差し出された弁当を戸惑いながら受け取った妖狐は、守理にきつく言われていたのか人の姿に化けるのが上手かった。
初対面の男から見ても一瞬、彼女が妖狐だとは気づけなかったほどに見事な術。
新幹線を下車すると、男は妖狐を連れて家へと向かう。
果てしない道のりに早速心が挫けそうになっていた男は、辺りを見回し見知った人の姿を捉えた。
「彼方じいちゃーん!」
「おお、幸司君じゃあないか」
「こんなとこまで、買い物?」
「そうだ。今から帰るところでな」
「じゃあ車乗せてよ。僕運転するから」
「はは、運転させようと思ってたところよ。可愛い彼女連れて、久しぶりに戻ってきたってところかい?」
「まあね」
さらりと嘘をつく男に対して、妖狐は反論することもなく従順に傍で控えていた。
「俺は後部座席に乗ってやるから、ええっと、君名前は?」
進む会話を黙って聞いていた妖狐は、突然話を振られ「私は…」と言葉に詰まってしまった。
後藤家の陰陽師に一族を皆殺しにされた彼女は、誰にも認められていない名のない妖狐だった。
すると幸司はごく自然にやっちゃんだよ、と勝手に彼女の名前を決めたようだ。
特に異論もなかった彼女は「やっちゃんと申します」と、ぺこりとお辞儀をする。
すると腰の曲がった彼方に促されて、彼女は助手席に乗り込んだ。
目的地に辿り着いた幸司は、彼方に別れを告げて自分の家に続く畦道を彼女と進む。
「ねえ、やっちゃん」
「なんでしょう」
「もう君は自由だよ…って言われても、きっとすぐには実感が湧かないよね。色々将来のことが決まるまではうちにいていいから、ゆっくりこの先のことを考えるといいよ」
「…私の意志をお伝えしてもよろしいのですか?」
「あれ、もう決まってる感じ?」
「ええ」
「なら、聞かせてもらえるかな」
「私を助けてくださった貴方様と家族になりたいのです」
人と妖狐の恋物語は、いつの世も綴られている。
そして彼らもまた、記憶をなくした人の娘と、桜となってしまったあの妖狐と似て非なる恋物語を、この先描いていくことになるのであろう。
桜舞い散る境内で、君に会えるのを待っている 青時雨 @greentea1
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