第36話 去る風は寂しさをのせて

桜の舞い散る春。

始業日の帰り道、真新しさはなくなって少しだけ馴染んできた制服やスクールバッグを持った二人の影が舗装されたコンクリートの道路に落ちる。太陽がまだ高い位置にあるからか、並んだ二人の影の背はとても小さかった。

一緒に同じ方向へ帰る新入生がいるねと彼方に話しかけながら、わたしはいつものように帰路を辿っていた。



「高校二年生だって、わたしたち。なんだかあっという間」


「早いな」



春の穏やかで花の香りを伴った空気は、大人になっていく寂しさを覚えるわたしたちを「大丈夫」と優しく包み込んでくれる。




「友君と蒼ちゃん、遠距離ではあるけどラブラブだよね」


「うざいくらいな」



友と蒼の二人は思いが伝わってからも、お互いが好きだったことに緊張してしまってギクシャクしてしまうのではないかと心配していたけれど、どうやら杞憂に済んだみたい。

蒼ちゃんは学校で会うと、友君の話ばかり。東京に思い切って遊びに行ったとか、初めて手を繋いだとか、そんな話しを延々と聞かされるのだ。

久しぶりにかかってきたと思った友君の電話の内容も、蒼ちゃんが可愛いというのろけ話ばかりで、そんな二人の仲睦まじさが微笑ましかった。



「ねえ彼方、この後何か予定ある?」


「ないけど、どっか行きたいのか」


「うん。境内の桜、見に行きたくて」



二人で神社に足を運んだ。

石造りの鳥居の左右に聳える桜。昔は左側だけだったのだけれど、いつからかバランスよく右側にも植えられたようだ。

きっとどこかの桜を持ってきて植えたものだろう。



「桜、綺麗だね」



わたしをいざなうように揺れる桜。

五枚の花弁をつけた薄紅色の小さな花は、時折花弁を落としてわたしの鼻先をくすぐった。

何故だかわからないけれど、この町のどの桜よりもこの桜が綺麗に見えて、好きだと思う。



「やっぱりこの桜が一番好き」


「どうして?」



彼方に問われた夏夢は石畳の道に直接腰を下ろして、下から桜の木を眺めた。



「夏じゃないんだ。そんなとこ座ったら風邪引くぞ…って友からなんか連絡きた」


「今度は蒼ちゃんのどこが可愛いっていうのろけ話かな?」


「こっち帰って来てるみたいだぞ。今駅ついたって」


「え?、随分急だね」


「急に決まったらしい」


「とにかく行こう行こう!」



立ち上がった夏夢は彼方の腕を掴んで、今くぐったばかりの鳥居に足を向けた。



───また来てね、夏夢ちゃん。



一瞬、誰かの声が聞こえた気がして振り返る。けれど「夏夢?」と首を傾げる彼方になんでもないと答えて石階段を勢いよく下りて行く。



「見たいならまた来ればいいよ」


「そうだね」





〇─〇─〇





この町には変わった桜の木がある。

古くからその町に残る神社の中。そこは縁結びのご利益があると言い伝えられてきた。

石造りの鳥居の右手に咲く桜は、左手に植わっているものよりも後から植えられたもののはず。それなのに今ではご神樹のように背の高い立派な木になって、威厳のある姿をしていた。

小学校に上がったばかりの子どもたちが時々、この桜は話しかけると答えてくれるのだと嬉しそうに話しているのを聞いたことがある。

この桜の木は春になるととても綺麗な薄紅色の花弁をつけ咲いたが、春だけでなく夏にも花を咲かせる不思議な桜だった。

寝坊して初夏まで咲いている遅咲き桜でないと言える理由は、盛夏になっても晩夏になっても、それこそ秋がやってくるぎりぎりまで咲いているのだから不思議と言えよう。

夏には春よりも見事な白い花を咲かせた。それがあまりにも美しいものだから、この町には夕暮れの花火とこの不思議な桜を見に、夏には人が盛んにこの神社へと訪れた。

名前のないこの桜の木には〝儚夏想ぼうかそう〟という名がつけられた。

この名前は地元に住む人たちから募ったもので、選ばれたのはこの桜を愛する一人の女性が考えたものだった。



毎年夏がやってくると、夏夢は彼方と二人の子どもと一緒に神社を訪れた。

少しだけ年上の子ども達に手を引かれて、夏夢たちの子どもは両親と繋ぐ手を離し、並ぶ屋台へと駆けて行った。

姉の方の手を引くのは蒼によく似た顔立ちの男の子、弟の手に買ったばかりの食べ物を持たせているのは友によく似ているけれど言動が蒼そのままの女の子だった。

大人になった夏夢、彼方、蒼、友の四人は自分たちの子どもを少し離れた場所から見守りながら、舞い散る夏桜の花見を楽しんでいた。



「なあ夏夢」



なぜか彼方以外誰も覚えていない、の名前。



「どうしてこの桜に儚夏想って名前つけたんだ?」



この桜の木には彼の名前が入っている。

夏夢に彼の記憶はもうないはずなのに、どうして。



「…なんだかこの桜、夏を思いながら儚く散っているみたいだったから」



桜を見上げる彼女の頬を両手で包み込むように、白銀にも見える美しい花弁がゆったりと降り注いだ。

そんな夏夢は、かつて想を見つめていた時と同じ表情をしていたのだった。

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