三歩戻って

「うぅぅ……寒いぃ~」


 季節ももう六月で普段はジメッとしていてなおかつ暑いというのに、太陽さんがおはようしていないうちはやっぱり寒い。それが僕みたいにこの薄っぺらい白装束だけだと歯がカタカタ音を立ててしまうほどの寒さである。


「普段はこんな早起きどころか、寝坊ばっかりなのに~」


 普段僕は夜更かしするどころか物凄く快眠だって言うのに昨日は時計の針の音がうるさく聞こえて全然寝れなかったし、今日も時計の針の音が気になって真っ暗なうちに起きちゃって……普段はお母さんに起こして貰わないと朝起きれないのに。


 ちなみに僕の目が覚めたのはまだ外からの光は一切に部屋に入って来ていなくて、時計の針は暗すぎて確認出来ないような時間帯だった。だから正直あとどのくらいで朝がくるのか。そもそも日付が変わっているかどうかすら分からない。


「ジッとしてられなくなっちゃって飛び出しちゃったけど、いつ帰ろうか? うぅ~」


 悩んでいるうちに太陽が控えめなおはようをし、一気に街が明るく照らされる。それは僕がもう少しでこの寒さから解放されるということ、そしてそれ以上にこうしている間にも僕があの世に帰らなくちゃいけない時間はドンドン迫ってきているということを表していた。まぁ普段寝てるから変わらないって言われるかもしれないけど、それとこれとじゃ話が違うし……正直田中はまだ寝ているかもしれないし、戻るなら今かもしれないけど。


「ひょっとして田中もう起きちゃったかな? もし探してたりしたらどうしよう……」


 不安で頭の中がいっぱいいっぱいになる。どうしたらいいか分からなくなって途方にくれてしまう。こんなこと生きている間はほとんど無かったのに、どうしよう、どうしよう……


「こんな朝早くにどうしたんだ?」


「ひゃうん!?」


 思わぬ背後からの声に驚いてしまい、思わず甲高い声を出してしまい、それがまだ目覚めていない住宅街に響き渡る。と言ってもその反響した声は背後に立つ人物にしか聞こえていないのだが。


「タハハハ! そんなビックリされるとこっちの方がビックリしちゃうよ。どうした? 田中にでも追い出されたのかい?」


 誰かは分かりきっているものの、おそるおそる背後に視線を移す。背後には日の出する太陽をバックに仁王立ちを決め、僕の反応を見てニヤリと笑う浜中さんの姿があった。浜中さんは上下ランニングする人向けのシャカシャカとした素材の服に包まれており、頭にはニット帽。おそらく朝のランニングでもしていたのだろう。しかし息一つ立てない様子で仁王立ちをしている。やっぱり浜中さんは無限に体力があるのかもしれない。


「もう……ビックリさせないでよ! 僕はビックリさせる側だから慣れてないんだよ~」


 危うく暗い自分が出てしまいそうになったけど、浜中さんを巻き込む訳にもいかないので普段の僕を頑張って演じる。いや口調があれで思ってることは本心なんだけどね。


「タハハ! 昨日はしてやられたからちょっと仕返しだよ。で本当にどうしたんだ? こんな時間に一人で」


 浜中さんは少し僕を茶化しているような事を言うが、僕を心配そうな顔で覗いている。あぁ、ガチで心配してる目だ。どうやら浜中さんに対しては田中だけじゃなくて僕も隠し事を出来ないみたいだ。


「実はまぁ、ちょっと……」



 ◇



「なるほど、昨日の夜にちょっと地雷を踏んじゃったかもしれないと。はぁ……ったくあいつはこんな状況だっていうのにさ、相変わらずアホだな。一発ぶん殴りに行こうかな」


 まだ子どもたちの居ない公園のベンチに僕と浜中さんは腰掛けていた。ベンチは雨が降っていないというのに湿っている。梅雨の力はやっぱり恐ろしいらしい。そして浜中さんはというと、僕の話を聞いて少し呆れた様子である。


「いやそんな、殴りに行かないで……僕が悪いんだから、多分」


 そんな僕の声を聞いて、浜中さんはフフッと笑う。


「もー山坂くんってばかわいいんだから! 大丈夫だって! 今頃あいつの方が謝りたくなってると思うぞ。あいつってばほらすぐ素直になれないところあるじゃん? だから大丈夫だって! いやー田中もこんな友達を持てて幸せだねー……ってあれ!? 触れる!?」


 僕の肩をポンポンと叩く素振りをしようとしたら、まさか触れてしまい驚きを隠せない浜中さん。よく見ると浜中さんの両手にには薄手の手袋が装着されている。僕自身も驚いたけどそれが原因みたいだ。


「あ、これは無機物? なんか物に自分は触れるから物を挟めれば自分に間接的に触れるみたいな感じらしいんだ。詳しくはよく分からないけど」


「へぇーなんか抜け道みたいで不思議だな。まぁ山坂くんが生き返ってきてるこの状況自体、不思議以外の何物でもないんだけどさ」


 浜中さんの言う通りかもしれない。そもそもこの僕が生き返らせてもらえてる状況自体が超特殊なもので、そのことについて自分の頭では理解できないことがあるというのはなんら不思議な事柄ではないのかもしれない。


「まぁだからさ。そんな山坂くんは気にしなくてもいいと思うぞ。あいつってそういうとこ昔からあるし、あいつもこのままだと気まずくなっちゃうタイプだからさ。そのあいつの幼なじみとしてお願いするけど家に帰ってみてくれないか? それであいつの反応があれだったら容赦なくぶん殴って山坂くんをうちが引き取ってあげるからさ」


「で、でも田中の反応だって浜中さんの確認しようが無いし、さ」


「え? あいつの部屋二階だろ? 普通に外から見に行けばいいだけじゃないか? いざとなれば窓から突入で」


 あぁ、この世には僕みたいな特殊な事例じゃなくても理解の外にいる人間がいるみたいだ。僕みたいな一般人が浜中さんのスペックを僕のものさしで考えている事自体が間違いなのかもしれない。


「うぅ……でもほんとに大丈夫かな? その普段とはちょっと違う雰囲気だったからさ、なんか田中の言い方が。普段はおいー! って感じでガッと来るのに、なんか静かな感じで言われたからさ」


 それを聞くと、浜中さんは笑いを止め、再び先程までの呆れ顔に戻る。いや先程のものに若干怒りをにじませて。


「えぇ、なにあいつガチギレして来てんの? あのバカはほんとにこんなときだって言うのにさ、そんなキレなきゃいけないような地雷あいつにはねぇだろ。え、言いたくなければ言わなくていいんだけどさ、田中になって言ったの?」


 浜中さんは呆れを通り越して、少し田中にキレているような様子だった。僕の心配を取り除くためにそう言ってくれているのかもしれないけど、それはそれで田中が僕のせいで責められちゃってる気がして心が痛くなる。そして昨日の話の内容を言っていいのか、少し悩んだけど、言うほど隠すべき内容なんて無い気がしたし、何より浜中さんなら大丈夫だろうと思って言ってみることにした。


「その……僕が死んだらどうするの? って話をしたんだ。そしたら明らかに動揺してて、なんか田中の雰囲気が普段と全然違うものになっちゃてさ。なんか地雷踏んじゃったのかもなって」


 それを聞いて浜中さんはピタッとしばらくの間固まる。その後なにか考え込むような表情を浮かべながらブツブツと喋りだした。


「いや違う。違うはず。多分だけど……多分、普通に山坂くんが消えちゃうっていう現実をあいつがまだ受け入れられてねぇだけなんじゃないか? ほら、あいつ人への好意をさ自分からのプラスの思いじゃ表せなくて、その人のマイナスの否定でしか表せないところあるだろ? 多分そういうことだと思うぞ。多分……」

 

 ずっと何かが引っかかっている様子だけど、冷静な意見を話す浜中さん。違うはずってことはやっぱり浜中さんの中では僕が地雷を踏んでいる可能性も浮かんでいるっぽい気がする。


「違うはず……ってことはさ、やっぱり僕が田中の地雷を踏んじゃった可能性もあるってことだよね。それにやっぱり昨日の田中はなんかもっと大本の恐怖に怯えている感じがあったし」


 昨日の田中の様子を思い出す。ベット越しに伝わってくる細かな震え、微かに聞こえる息の乱れ。あれは純粋に僕が消えることだけを嫌がっているような様子ではなく、もっと大きななにかに怯えているような様子だった気がする。


 そしてそれを聞いた浜中さんはバツが悪そうな表情を浮かべ、また考え込んでしまっている。それはとても苦く苦しい表情だった。そしてその曇りゆく表情の中、手で目を覆ったままゆっくりと喋りだした。


「山坂くんはさ、約束は守れる方かい? これは絶対に田中には言ってほしくないんだ。絶対に」


 それが好きな人バラすなよとかこっそりやってしまった悪いこととかじゃなく、重く真剣なものだということは僕でも一発で理解することができた。


「う、うん……言わなきゃよっぽどまずいようなやつじゃなければ」


「あぁ、そんな犯罪とかが絡んでいて、いますぐ警察に言わなきゃいけないこととかではないから安心してくれ」


「うん、なら大丈夫だよ……うん」



「今から話すことは、うちの今の感情とかじゃなくて、その時にあったたった一つの事実だから。そこだけ先に理解しておいてね」


 それは僕に対しては一度も見せたことがなかった力強く、真剣で、だけどどこか悲しげな声。そしてその約束の内容的になんとなく田中のトラウマについて、僕が踏んでしまった田中の地雷について、これから浜中さんが喋るということは間違いなさそうだ。


「うん、分かった……約束するよ!」


 その僕の声を聞いたあと、ふぅと一息をついて、表情は一切変えないまま浜中さんは喋りだした。

 


 ◇



「申し訳ございません浜中さん。少しお時間ありますか?」


「あぁ、大丈夫だけど……って同じクラスなのになんでそんな敬語なんだよ。普通にタメでいいし、下の名前でいいぞ」


 それはうちがまだ小学生だった時の話。昼休みにいつも通り校庭でおにごっこをしようとして遊んでいたときのこと。同じクラスの人とはほぼ全員と話してるようなうちでも滅多に、というかたった一回でも話したことあるのか怪しい男子に急に声をかけられた。そいつは作り物のような笑みを浮かべており、見た目は美少年と言っても過言ではないルックスだった。しかしかなり怪しげな雰囲気を発しており、特に理由なくうちはそいつに対して警戒心を出してしまう。


「いやはや、癖みたいなものでして気にしないでください」


「おぉ、分かった。別に絶対に下の名前で呼べ、ってことじゃないから気にしないでくれ。でなんかうちに用があるんだろ? どうしたんだ?」


 そいつはそのどこか堅苦しくも感じる喋り方にそぐった校庭で遊ぶ気があるとは思えないキレイなよそ行きといった感じの服を着ていた。上下真っ白でどちらもワイシャツのような素材でしっかり着こなしており、そしてその真っ白な服に負けず劣らずの白く透き通った肌。そいつはここが日本ではなく、ヨーロッパと錯覚してしまいそうな雰囲気を醸し出していた。


「いや、あそこの木陰にいる田中くんいるじゃないですか? 彼と仲良くなりたいなと思っていまして」


「え? 田中と、か? ずいぶんもの好きだね」


 思いもよらなかった用件に少しビックリしてしまう。田中はまぁうちにとっては幼稚園から一緒の幼なじみだし、田中がいいやつってことも分かっているけど、その睨むかのような悪い目つきからみんなに怖がられてしまっているし、常に読書をしているのでクラスでは正直言って浮いてしまっている様子だった。だから急な発言ではあったものの、田中と仲良くなりたいというその一言は純粋に嬉しいものだった。確かにそいつの右手にはぶ厚めの本が握られており、田中と気が合わなくない気もしない。


「いえいえ、その言葉そっくりそのままお返ししますよ。浜中さんのほうが彼と多くの時間を共にしている気がしますが、例えば……そうですね。一緒にいつも帰っていたりとか」


 ダメだ。違う。危ない。多分こいつは田中とは気が合わない。よく見たら右手に握られた本にはよくわからない文字と太陽と神のような絵が描かれた表紙をしている。おそらく外国の神話か宗教の本かなにかなのだろう。田中も本好きではあるが、常日頃から読んでいるのは推理ものとか人間のドラマが描かれている小説でそいつの手にしている本とは本という以外に共通点はなさそうだった。そしてなんだ、最初から感じてはいたけどこの背筋が凍るような独特の恐怖感は。耳元で舐められているかのようにすら感じてしまう恐ろしさは。うちはそれを表情に出さないようであるが、それを気にも留めていないのか、愉しんでいるのか。どちらとも取れるような先程から一切変わらない作りっぽい笑みを浮かべながらこちらを覗いている。


「ハッ、なんだ。ストーカーでもしてるのかい? まぁいいや。あいつは警戒心も高いし、うちと違って沸点は高くないからな。気をつけろよ」


「なるほど。ありがたい情報提供と忠告ありがとうございます。それではまた」


 そうしてそいつは作り物のような笑みを浮かべて軽くうちに会釈をし、田中が読書をしている木陰に向かってゆっくりと歩いていった。

 正直、田中をそいつから守ったほうがいいのではないかと思ったほどであるが、正直そいつと長い時間話しているとうちの方が壊れちゃう気がするし、なによりうちが田中の交友関係を勝手に制限してしまうのは良くない気がしたので、半ば投げやりにそいつとの会話を終了させ、軽い取扱説明書だけ付け加えるように伝えて、普段おにごっこを一緒にしているグループへと足早に向かっていった。


 ◇



「それが田中にとってうちと山坂君と同じくらい仲良かった数少ないというか唯一の田中の友達とうちの出会いだよ。……まぁ山坂くんと田中みたいな関係とは違って、明らかに犬猿の仲っぽかったけど」


「そんな友達が田中にもいたんだ。でも浜中さんがそんな警戒心むき出しで喋るような人って大丈夫なの?」


 僕がそう言うと浜中さんは昨日とはまた違った恥ずかし笑いのような表情を浮かべ、頭をポリポリと掻き始めた。


「あぁ、まぁ確かにそいつはヤバそうなやつオーラパンパンだったし、今会っても正直警戒しちゃうと思う。でもなんていうかうちも小学生の時は尖ってたっていうかぶっきらぼうだったっていうか、まぁ割と初対面の人には警戒心むき出しになっちゃってたのよ。田中ほどではないけどな」


「浜中さんも昔はそんな感じだったんだ。ちょっと意外かも」


「まぁ、怖いって言われちゃったりすることもあったから気をつけて治したんだけどな。山坂くんに合った頃にはうちはもう大分丸くなってたからね」


「なるほど……でもそんな友達がいるって言うのに僕その人の話聞いたことないし、田中も昔からの仲は浜中さんだけみたいな感じしてるけどどうしちゃったの? 喧嘩しちゃったの?」


 それを聞くと浜中さんの顔からは笑みがスーッと消えて、暗い表情で俯いて行ってしまった。


「うんと、端的に言うね。そいつはもう



 この世にはいないんだ」



「……」


 僕はそれを聞いて一言も発せない。何か言葉を発することは許されない。絶対に許されない。そして胃から喉元に向かって手を伸ばすような罪悪感によって吐き気がする。やっぱり僕は踏み抜いてしまっていたんだ。田中の地雷を。


「山坂くん!?」


 嗚咽をしてしまった僕を浜中さんが心配してくれている。背中を擦ってもらっているというのに全く吐き気が収まる気がしない。常に喉元に指を突っ込まれているなんてそんな生ぬるい感覚ではないものに襲われる。

 


「大丈夫!? くっ、ここの公園、トイレ無いや……」


 浜中さんは僕を吐かせるためにトイレに連れて行こうとしてくれたらしいが、ここの公園に残念ながらトイレはないみたいだ。でもごめん浜中さん。こればっかりは吐いてもスッキリはしないんだ。しちゃダメだと思うんだ。ひとりで勝手にスッキリしたら。


「だ、大丈夫……だよ浜中さん。ちょっと動揺しちゃっただけで、そのやっぱり僕……地雷踏んじゃってたんだなって、田中の」


「大丈夫じゃないでしょ! もう、そんなところは田中に似なくていいのに……それに山坂くんは地雷を踏んでないと思うんだ。だって……



 田中はそいつのことを覚えていないんだ」


 僕は吐き気が意識の外に出るほどの衝撃を味わい、先程と同じく言葉を失う。


「え?」


 まだ感覚が戻っていない舌を無理やり動かして、すべてを込めた一文字の言霊を発する。仲のいい友達で、それも僕や浜中さんと同じクラスの。なのにそれを覚えていない? 浜中さんとはずっと幼なじみだってこと田中が言ってたし、昔の記憶が全部抜け落ちてるってことは無いはず。なのにどうして?

 頭の中がはてなマークでいっぱいになってしまう。


「これも色々あったんだ……」


 浜中さんは先程よりも更に暗く、重く、曇った表情で話し始めた。



 ◇



 それからというもの、案外そいつと田中は仲良くなってった。あれが仲良い? って言うのかは少し疑問符が浮かぶところだけど。気づけばいつも休み時間に一人で読書をしていた田中はそいつと二人揃って木陰で読書をする様になっていた。まぁページはあまり進んでいなさそうだったけど。教室にいるときもいつもそいつがいる左隣の席に椅子が向けられていた。そして普段うちと一緒に下校していた田中はいつの間にかそいつと一緒に帰るようになっていた。嬉しいことではあるのだけれど、子供が親を離れる時はこういう感覚なのかなという喜びの中の悲しさを少し感じてしまったりしていた。


 しかし終わりは意外にもすぐやってきた。


 その日もちょうどこのくらいの時期で雷やら雨やらがひとしきり激しく降っているような日だった。


「は、早く救急車を!」


 雨の淀んだ色が作り出す水溜りに朱殷色が混ざり始める。


「あああああああぁぁぁぁぁぁ!」


 そこに田中の悲鳴も混ざり始める。


「大丈夫だ田中! 助かるからきっと、きっと……」


「ひっぐ、ちがっ、う。ダメなんだ」


 何かを言いかける田中。


「一旦落ち着けたな……田中!」


「先生! 田中が泡吹いて……早く!」


 サイレンの音が雨にかき消されていく。



 ◇



「それでそいつはすぐに病院に搬送されたんだけど、学校にいた時点でほぼ死亡していたみたいで、やっぱり助からなかったんだ」


 後悔のような表情を浮かべながら続ける浜中さん。小学生ですぐに救急車を呼んで先生に対応を任せるという迅速な対応。普通の人なら大人になってもそう出来ることではないし、その時点で百点満点な気がするけど、まぁ死んでしまった時点でそんな風には思えないのはその通りだけど。


「そんな……でもその子はなんで死んじゃったの?」


「それが……


 分かっていないんだ」


「分かっていないというか、うちは知らないが正しいのかもしれへん。とにかくうちら生徒に死因の公表はされなかったんや」


 苦虫を潰すような表情を浮かべる浜中さん。すぐ救急車を呼んでいるということは浜中さんも近くにいたと思うんだけど、それでも分からないということは突発的かつ僕みたいな事故じゃないっていうことなのだろう。


「えっ、でもなんで……」


「下手な憶測を避けるためじゃないかな。多分。田中はもしかしたらなんか知ってたのかもしれないけどな。あぁそうだ。そして田中は泡吹いたあとどうなったんだって話なんだけど」


 そうだうっかりしていた。その友達が死んじゃったのもあれだけど、田中も泡を吹いていたんだった。


「まぁ山坂くんも知ってるとおり死んでないし、普通に生きてた。でも」


「でも?」


「その友達に関する記憶が田中から丸ごと抜け落ちてたんだ。その友達に関することだけがね」


「え……」


 聞いたことがある。強いショックを受けるとその部分の記憶が抜け落ちちゃうことがあるって。でもそんなきれいにそこだけっていうのはあんまり聞いたことがないけど。


「綺麗さっぱり。自分がなんで運ばれたかすら全く分かっていない様子だったんだ。次の日から普通にうちと一緒に帰り始めたくらいさ。本当に何も覚えていなかったんだと思う」


「それできっと田中はそいつのことを思い出したら、トラウマが蘇ったみたいな感じできっとまたおかしくなっちゃうって判断したんだ。だからさ」


「田中の前だけじゃなくて、学校ではそいつの話を一切しないってことになったんだ。全校集会どころか。この街全体でね。普通なら小学生とか子供なんてそんなの守れないと思うでしょ? でもみんな守りきってるんだよ。今の今まで。それほどまでに田中の崩れっぷりはヤバかったんだ。それこそ山坂くんが死んじゃった時くらいさ」


 確かに本人の目の前でこそネタにはしたけれど、あの崩れ方はきっと周りから見たら相当ショックだと思う。それが小学生からしたらかなりのショッキングなものだと思う。だから全員が言わなかったということは納得できないものではない。


「他にも色々と工夫はしたんだ。ほら、いつもあいつの席って左端だろ。それはあいつが左側に席を向けることで何かを思い出させないようにしたんだ」


 なるほど。確かに思い返せば、田中の席はいつも一番左だった気がする。それに僕達のクラスは一組。整列は男子が左側。何気なく生活していたから分かるわけないけど、思えば色んなところで配慮がされていた気がする。偶然と言えばそれまでだけど、逆に偶然で通じるのが完璧な配慮なのかもしれない。


「凄い配慮……でも僕のせいで気づいちゃったのかな」


「そればっかりは分からないとしか言えないね。はっきりと思い出してるのか。何かが脳をかすめたのか。はたまたただのうちらの勘違いかはさ」


「それにどうあれ、こういう時こそ山坂くんが側にいてあげた方がいいんじゃないかな? あいつ甘えたやつだからさ。誰かが側にいてあげなきゃダメなのよ」


 僕の肩に軽く、だけど力強くポンと手が置かれる、それは浜中さんの思いを僕に込めたかのようなひと押しだった。


「確かに……僕が死んじゃったときも浜中さんが」


「はいはい! もうその話はいいの! はぁ、その様子だとだいぶ普段の様子に戻ってきたみたいだね。それじゃあもう行くのかい?」


「……うん! ありがとう浜中さん!」


「おう! なんかあったらすぐいいに来いよー」


 手を振る浜中さんをよそに僕は田中の家に向かってひとっ飛びしていった。覚悟を決めて。



 ◇



 「ははっ、全然本調子じゃないってのに強がっちゃってさ。近くにいると似ちゃうのかね、そんなところまで」


 正直うちも忘れてた。いや忘れてた訳じゃない。意図的に意識の外に出していただけだ。うちにとってもショッキングで苦い出来事だったし、正直山坂くんからこの話をされなければ一生思い出してもいなかったかもしれない。でも。


「こうして思い出されたことをお前は愉快に愉しんでいるんだろ」


「なぁ巻川」



 ◇



「はぁ……」


 握りしめて叩きつけていた俺の拳に支える力などなく、ベットにドサッと倒れ込む。すると先程まで見ていた嫌な夢を断片的に思い出す。


 一緒に遊んでいた友人が激しく出血している夢。自分はどしゃぶりの雨の中でそいつの近くにいるけど何もできなかった夢。どこか何回も見たことあるような夢。


 ひょっとしてこれは山坂の死に対する予知夢だったのか? 俺は必死に夢を遡る。いや違う。お前は……


 誰だ?


「たな……かぁ」


 声がしてあの日のように顔を上げる。あの日とは逆で俺の上に浮かんでいるそいつは大粒の涙を零している。


「ごめ、んんん」


 涙で声がしゃくり上がり、途切れ途切れに聞こえる。俺が言うつもりだった言葉を先に言われ、思わず呆然とする。


「い、いや山坂。謝らなきゃいけないのは俺で、なんでお前そんなに」


「だってぇ! 怖、っくってぇ!」


 完全に泣き崩れる山坂。俺はますます動揺してしまう。


「どうしたんだよ!? ゆっくりでいいから、落ち着いて」


 何よりこんなに崩れている山坂を見ることが初めてだからかもしれない。


「田中にっ、嫌われたんじゃって」


 そう言い切る前にその身体は力なくもたれかかろうとして少しめり込む。その身体からはひんやりとした冷気が感じられる。あぁ俺は本当に馬鹿だ。こんなことも言ってもらわないと分からないなんて。いつだって自分だけが悩んでいるだなんて勘違いをして。呆気にとられて言わなきゃいけないことも中途半端にしか言えなくて。


「山坂!」


 その小さな身体を布団にくるんで抱き込み、自身の胸に顔を埋めさせる。


「ほんとにごめん! お前を嫌いになる訳ねぇ! 俺はお前のことが


 大切だから!」


 訳も分からずに、下に親がいるというのに大きな声を出し、訳も分からず言葉を発した瞬間涙が溢れる。俺の言葉を聞いた山坂はさらに身体を震わせる。山坂の冷えた身体が俺の体温によって暖められていく。


 「……ゔん!」


 カーテンを突き抜ける柔らかな日差しが部屋中を、そして俺たちのことを包み込む。それは二人を祝福するような、はたまた神からの最後の慈悲なのかは俺たちには関係のないことだった。






 お別れの時間まであと4日と23時間

 

 



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いつも通りの続き 山葵 狸 @wasatanu_

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