モア・コンテクスト 〜本格ファンタジーと非本格ファンタジー〜への応援コメント
ファンタジーの世界は、なかなか分からないんですよね。
物心ついた頃からそうだったんで、仕方ないかなぁと思っていますけど。
本格と非本格が大まかな分類なんですねー。
作者からの返信
ありがとうございます!
まあ、この分類自体曖昧というか……数あるこの手の議論のうちの一つくらいにお考えくださいな。
何が本格か、という正当な定義の話を始めると、「人々が本格と思うもの」以外はありえないかなと。
ライトノベルか、純文学か?への応援コメント
ここの部分の線引きは非常に微妙ですよね。
現実に即している作品も即していない作品も、ライトノベルと純文学どちらにも数多く存在します。
結局、ライトノベルと純文学の線引きをするより「どういった読者層への希求を目指すか」で作風を分ける方が現実的だと思います。
作者からの返信
良いご指摘ですね。
それゆえ前の項目では
「現実的でなくても構わない」
という表現になっています。
ただ敢えて言うなら、
「典型的なライトノベルは現実をナマの現実の抜き身の刃のような状態で読者に突きつけることはしないことが多い」
とは言えるのではと思います。
ファンタジックな舞台でリアリティのある物語を展開するとか、現実世界の現代の物語でお気楽ラブコメを展開するとか、それらは、現実に対するバッファ機能が強く期待されるのではないでしょうか。
逆にナマの現実の抜き身の刃の状態を扱うライトノベルであれば、この項目で述べられているような「ライトノベルでありながら純文学の性質を備えている」ということもできるのではないかと思います……。
とはいえこの文章も一面からの話でしかないので、ブレインストーミングの一助としていただければ幸いです。
編集済
ライトノベルとは何か?への応援コメント
ライトノベルとは何かという定義は難しいですよね。
おそらくライトノベルと言う語ができた頃のライトノベル作品と現在のWEB小説では、流行うんぬんを抜きにしても全く様相が違いますし。いまのところは個人個人が思い思いの「ライトノベル」の定義を述べる状態になっているかと思います。
おそらくジュブナイル小説の系譜であるライトノベルと、にちゃんねるなどの二次創作掲示板の系譜である「小説家になろう」をはじめとする「なろう系WEB小説」がWEBで混在しながら十把一絡げに「ライトノベル」と称されていることがあるのも混乱の一因となっているかと。
「ライトノベル」は「欲望を肯定する」「現実的でなくても構わない」「ハイコンテクストである」点は全くもっておっしゃる通りだと思います。
もっとも、こちらの定義を拝読するとWEB系ハイファンタジーに限定されているようで、「フルメタルパニック」や「無責任艦長」などのSF系ライトノベルや「極東少年」「ザンヤルマの剣士」などのローファンタジーは考慮されていないのがいささか乱暴かな?と。
また、いわゆる純文学もアニメ絵美少女の挿絵がついたものも多数刊行されているし、安部公房やディケンズのような非現実的な作風の作家も多く、「家畜人ヤプー」など様々な欲望を肯定するものが多数存在するため、この点をもってライトノベルとの線引きをするのもいささか乱暴な気がします。
とはいえ、定義がさだかでないものを論じる上では、「ここ論じる〇〇とは××であるものとする」と範囲を限定しないと、SNSで見られるようなクソデカ主語をお互いに全く違うものに認識したまま永遠にかみ合わない「レスバ」をする羽目になるんですよね(;'∀')
議論にならない不毛でヒステリックな言葉の応酬に至らないためには、論評する対象にきちんと線を引くのは大切ですよね。
前提への応援コメント
価値というものはそれを判断する個々の価値観に依存するため、「絶対的な価値」というものは存在しませんね。
もちろん「〇〇にとって」と対象を限定すればあり得るのでしょうが。そこを無視して「〇〇は絶対的な面白さの基準」だから「他の基準やツールを求める奴は許さん」という論は根本からおかしいのですよね。
「それを面白いと思わない人間」が一人でもいれば、その「面白さの基準」は既に「絶対的」ではあり得ないので。
作者からの返信
人間、他の人間と相容れない主観を持つことを身勝手さの証と考える傾向があり、「自分が〇〇を好き/嫌いなのは、一般化できる理由がある」となりがちですね。
でも結局、〇〇が嫌い→□□が嫌いだから→△△が嫌いだから、みたいな感じで、根幹には好き嫌いが埋め込まれていて語れば語るほど主観が際立つ。
もっと、自分の根本の感覚が身勝手であることや完全な主観を持つことを恐れず「自分がこれを嫌いなのと全く同じ理由でこれを好きな人もいる、逆も然り」という認識が必要かなと。
それで、相容れないことを認識した上で距離を置いて尊重できて、直接対峙して傷つけ合うような形にならないことが理想的なのですが、そうはならないらしい……。
自分の分身が傷つけられたと体を張ってしまうのはどうしようもないんでしょうかね?
はじめにへの応援コメント
うわぁ……
たしかにあれは精神衛生上よろしくありませんでしたね(;'∀')
私は他に没頭したいものがあってどうにも頭に入ってこないので距離を置いていましたが、モヤモヤが思考を埋め尽くして執筆の妨げになるなら吐き出した方が良さそうです。
私もそうしようかな……
作者からの返信
コメントありがとうございます!
何を書いている人であっても、この手の話題になると自作品を守るためにムキになってしまう……のだけれど、ナイーブさとナイーブさが衝突して大事故みたいになるのが苦しいですね。
物書きである以上完全な客観視はできないので。
それを「距離を置いて見る」ためのエッセイだと思ってくださいな。
ライトノベルか、純文学か?への応援コメント
分類って難しいですよね、今や。
「五大文芸誌に載っているのが純文学」なんていう言い方もありますが、もはやそれに近い感覚です。
読者を想定して考えるというのは一つの方法かも。
うーん。
文章に文学的な技巧があるなら「文学」かな……。
分かりません。
でも少なくとも自分は「文学」肌エンタメ好きですね。
面白くなければいけない、というのは両者ともに思うところです。
作者からの返信
学問的な姿勢での検討の価値があるなら文学と言えてしまう気がしますが、それって結果論ですからねえ。
同時代の作品について考えるとか、自分の作品について考えるにおいては我々はどこまでも近視眼で、壁の向こうの見えない真実に手を伸ばす以外にできることはないのかもしれません……。
そのうえで、卑俗だったり欲望に満ちていたり、あるいは高貴だったり理想主義的だったり、机上の空論めいたりする部分まで含めて、人間の在り方というものにどう向き合い、何を取捨選択するか、という観点でいろいろ書いたのが本エッセイとなります。