第3話 なな

「ナコちゃん!」


・・・夢を見ていたの?


私は即座にそう思った。


だって人間がまるでどこかへ吸い込まれるように消えてしまうなんて、信じられない。


しばらく呆然とそこで佇んでいると、誰かが私に声を掛けた。


私がいつも耳をそばだてて聞く、低く通るその声の主は・・・。


「米山?」


私の目の前には高梨君が立っていた。


いつものダッフルコートを着て、いつものグレーのマフラーを巻き、いつもの黒いリュックを背負っている。


不思議そうな顔をする高梨君に、私はびっくりして思わず後ずさってしまった。


「高梨君・・・どうしてここに?」


「どうしてって・・・ここは俺の家だけど。」


たしかに家の表札は「高梨」という名前が載せられていた。


・・・そっか。


ナコちゃんのお兄さんって高梨君だったんだ。


だったら私はナコちゃんの言う通りにしてみせなければ。


「あ・・・あの」


「ん?」


「ナコちゃんって高梨君の妹さん?」


その名前を聞いた高梨君の顔が歪んだ。


「あのね・・・私、ナコちゃんに頼まれて、これを渡して欲しいって。」


私がチョコレートドーナツケーキの入った白い箱を掲げると同時に、高梨君が私の両肩を掴んだ。


「ナコに会ったのか?!」


「う、うん。さっきまで一緒にいたんだけど。」


「米山。遅い時間に申し訳ないけど、俺の家に寄ってくれないか?ナコの話を詳しく聞きたい。」


「うん。時間は大丈夫。」


私は高梨君に促されて、その黒くて広い門をくぐった。


玄関口でローファーを脱ぎ揃えて、高梨君の家の中へお邪魔した。


廊下の奥に広いリビングがあり、大きなテレビの前にこげ茶色のソファが置かれていた。


「ソファに座ってて。今、お茶を入れる。」


「お、お構いなく。」


初めて入る高梨君の家。


ここで高梨君は毎日、日常を過ごしているんだ。


そう思うと胸が高鳴った。


待っている間に、私はママに「少し帰りが遅くなる」とラインでメッセージを打っておいた。




しばらくすると高梨君は、四角いお盆に湯飲み茶わんを載せて、キッチンから私の座るソファにやって来た。


そして温かい緑茶の入った湯飲み茶わんを私の前に置いた。


「外、寒かっただろ?温まって。」


「ありがとう。」


いきなり現れた訪問者なのに、私を気遣ってくれる。


やっぱり高梨君は優しい。


私の冷えた手は湯飲み茶わんの熱でじんわりと温まった。


緑茶を口に含むと、喉の奥が熱くなった。


私の横に高梨君が座る。


その距離の近さに、私の身体は緊張で固まった。


高梨君は私が湯飲み茶わんから口を離したタイミングで話しかけてきた。


高梨君の指先が震えている。


「ナコとは・・・どこで会ったの?」


「あの・・・通学路の途中にある児童公園。空色の滑り台とブランコがあるだけの。」


「ああ・・・あそこか。」


高梨君もその公園を知っているようだった。


それから私はナコちゃんに声を掛けられたこと、一緒にネコのチョコレートを買いにお店をめぐったことを詳しく話した。


「そっか。ナコの奴、まだそんな約束覚えていたんだな。」


「約束?」


「ナコは一年前のバレンタインデーの前日に俺にチョコレートをくれるって言ったんだ。」


「そうなんだ・・・」


「中、見てもいいか?」


高梨君はうつろな顔で白い箱を見た。


「もちろん。ナコちゃんは高梨君へあげたいって言ってたんだから。」


高梨君は恐る恐る、箱を開けた。


そして中のチョコレートドーナツケーキをじっとみつめた。


「ネコのチョコレートケーキ・・・」


「ナコちゃん。ネコのチョコレートに拘ってた。それでね・・・」


私はナコちゃんの大切な想いが高梨君の心へ真っすぐ届くように心を込めて告げた。


「ナコはミミと一緒に幸せに暮らしてるって。だからお兄ちゃん、もう泣かないでって。


そう言ってたよ。」


その言葉に高梨君は顔を下に向け、嗚咽を漏らした。


「・・・そっか。ナコはミミと一緒にいるんだな。ひとりぼっちじゃないんだな。安心した。」


私はそんな高梨君をそっと見守った。


「ナコ・・・ナコ・・・」


高梨君はひとしきり泣いたあと、赤い目をこすりながら私に謝った。


「悪い・・・泣いたりして。」


「ううん。」


「米山も気付いていると思うけど、ナコはもうこの世にはいない。」


私は小さく頷いた。


ナコちゃんが私の前から霧のようにいなくなった瞬間に、きっと私は本能で理解していた。


ナコちゃんは違う世界の人なのだということを。


「ナコ・・・高梨奈子は俺の妹。生きていれば今年小学校3年生だった。」


「そう・・・なんだ。」


私もナコちゃんが生きているときに出会いたかった。


「ナコちゃんにお線香をあげさせてください。」


私が高梨君にそう申し出ると、高梨君がソファを立った。


高梨君の後を追ってリビングの隣にある和室へ入った。


その和室の奥に小さな仏壇が置いてあり、ナコちゃんの写真とマリーゴールドの花が供えられていた。


私はその仏壇のまえに正座をした。


お線香をあげ、そして手の平を合わせ、頭を下げた。


(ナコちゃん・・・。あなたはもう本当にこの世にはいないんだね。)


写真の中のナコちゃんは、やはりランドセルを背負って、楽しそうに笑っていた。


赤いランドセル・・・きっとお気に入りだったんだろうな。


そのナコちゃんの写真立ての隣に、白い猫の写真も飾られていた。


「このネコがミミちゃん?」


私が聞くと、高梨君が頷いた。


「ミミはナコが生まれる前から家にいたネコで、俺やナコにとってはペットというよりは兄弟みたいな存在で・・・。だから2年前に老衰で死んだとき、ナコは大泣きして大変だった。ナコもミミのところへ行くって。」


「・・・・・・。」




「ナコは一年前のバレンタインデーの日に死んだんだ。俺のせいで。」


「・・・・・・。」


高梨君は視線をナコちゃんの写真に合わせながら、話し始めた。


「あの日、俺とナコは一緒に隣町にある祖父母の家へ遊びに行くはずだった。でも俺は急に友達にサッカーの練習に誘われて、試合も近かったしそっちを優先したんだ。ナコは一人で自転車に乗って祖父母の家へ向かった。その途中で危険運転をしていた車に轢かれて・・・。病院で大手術をして、でも翌日の朝に静かに息を引き取った。あの日、俺がナコと一緒に出掛けていれば、ナコはまだ今も元気に生きていた筈だった・・・。ナコ・・・ゴメン。」


そう言って高梨君は仏壇の前で項垂れた。


私の目からも涙がこぼれた。


「高梨君。」


私は泣きながら、高梨君の肩に手を置いた。


高梨君の背中が私を温めてくれたように、私の手の平が高梨君を温めてあげられたらいいと思った。


「高梨君。もうそんなに自分を責めないで。」


「・・・・・・。」


「ねえ、高梨君。ナコちゃんはただネコのチョコレートを探したわけじゃないよ?笑っているネコのチョコレートを探していたんだよ?」


「・・・・・・。」


「それって高梨君にいつも笑っていて欲しいって思ったからじゃないかな。ナコちゃんも天国でミミちゃんと笑ってるから、高梨君も心配しないで笑っていてって、そう伝えたかったんじゃないのかな。」


「ん・・・きっとそうだな。」


高梨君は顔を上げると、私に向かってそう言った。


「俺、時々、ナコの気配を感じてた。眠りにつく瞬間や、ふと窓の外を眺めたときや」


「うん。」


「図書室で本を読んでる時も。」


高梨君、ゴメン。それは私かもしれない。


「・・・もう一度ナコに会いたい、会って謝りたい、そう思って幽霊と会える方法を探してみたりもしたけど、やっぱり会えなくて。」


だから超常現象の本を一生懸命読んでいたんだね・・・。


「でも、こんな形でナコからのメッセージを受け取れるとは思ってもみなかったから、すごく嬉しい。」


「うん。ナコちゃんはいつも高梨君を見てたって言ってた。きっとこれからも見守ってくれている。」


「・・・ああ。ありがとう。米山。」


「ううん。」




私と高梨君は再びソファへ座った。


「米山。このケーキ、半分食わない?」


高梨君の思いがけない言葉に私は両手を振った。


「いいよ!高梨君が全部食べなよ!」


「いいから食えって。」


高梨君はキッチンからお皿とフォークをふたつ持ってくると、ネコのチョコレートドーナツケーキを皿の上に移し、フォークを私に手渡した。


「ナコちゃんからの大切なプレゼントを、私なんかが食べるのは申し訳ないよ。」


けれど高梨君は私の言葉など気にもとめず、ケーキを半分に切り分けた。


「・・・でも、どうしてナコは、米山の元へ現れたんだろう?」


私はドキッとした。


まさか私が高梨君のプチストーカーだったことをナコちゃんに知られていたから、とは言えなかった。


「な、なんでだろうね?」


私は誤魔化すために、ケーキをフォークに突き刺し、もぐもぐと口に入れた。


そのとき、頭の上からナコちゃんの声がした。


(ななちゃん。今がチャンスだよ!)


(お兄ちゃんにチョコレート渡したかったんでしょ!)


ナコちゃん・・・。


私はナコちゃんの声に励まされて、自分のバッグを引き寄せた。


けれど途端に柳麗奈さんの美しい顔が脳裏に浮かんだ。


私のチョコレートなんてきっと受け取ってもらえないよ。


でも・・・・・。


私はバッグの中から、高梨君の為のチョコレートを取り出し、高梨君に差し出した。


「これ・・・・・・。私、高梨君が好きです!」


高梨君は私のチョコレートの箱を驚いた顔でみつめた。


「私も今日、高梨君にチョコレートを渡そうと思ってたの。多分、その想いがナコちゃんの魂と共鳴したんだと思う。もし迷惑じゃなかったら、私のチョコレートも受け取ってください!」


私がそう言って目を瞑っていると、高梨君は私のチョコレートを、しっかりと受け取ってくれた。


そおっと目を開けると、高梨君はいつもの照れくさそうな笑顔を見せた。


「ありがとう。俺も米山のこと、体育祭の時から可愛いなって気になっていた。米山のこと、もっと知りたい。・・・俺と連絡先交換してくれる?」





あれから1年。


私はその翌月、高梨君からホワイトデーのお返しに、可愛いマシュマロと誰にも内緒の甘いキスを貰った。


高校を卒業した今も、デートしたりお互いの家を行き来したりして、ラブラブのお付き合いが続いている。


ちなみに、高梨君が柳麗奈さんから受け取ったチョコレートは、その日風邪で学校を欠席していたサッカー部部長の鴻巣君へのものだったらしい。


柳さんと鴻巣君の恋を応援していた高梨君は、喜んでそのチョコレートを受け取ったということだった。





ナコちゃん。


あの日、私の前に現れてくれてありがとう。


あなたのお陰で、私は勇気を出して高梨君に想いを伝えることが出来たよ。


高梨君の隣を歩く女の子になれたよ。


ナコちゃんと約束した通り、私は高梨君の人生を笑顔で一杯にしてみせるから。


だからナコちゃん、幸せの国からミミちゃんと一緒に私達を見守っていてね。














fin




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ファンタジック・バレンタイン ふちたきなこ @ayakoya223

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