第2話 ナコちゃん
結局のところ、私は高梨君のプチストーカーでしかなかった。
心の中では高梨君、私のことウザく感じていたのかもしれない。
「はあ。」
三回目のため息を吐き出した時、いきなり隣のブランコから声がした。
「暗い!」
「へ?」
ふと横をみると、小さな女の子が私を呆れた顔でみつめていた。
さらさらの長い髪、赤いほっぺ、白い肌、そしてモコモコの白い長袖ワンピース。
小学校低学年くらいだろうか?
背中には赤いランドセルを背負っている。
「お姉ちゃん、暗いよぉ。せっかくの可愛いお顔が台無し!」
「・・・可愛くなんかないよ。私なんて地味だし目立たないし、本ばかり読んでる陰キャだし。」
「駄目だよぉ。そんなネガティブ思考じゃ。この生き馬の目を抜く世の中を渡っていけないよ!」
「・・・随分、難しい言葉知っているんだね。」
「まあね。他にも色々知ってるよ?人間万事塞翁が馬、とかね。」
女の子はふんっと鼻から息を出し、どや顔をしてみせた。
「あなた、どこの子?もう暗いし寒いし、早くお家へ帰ったほうがいいよ?」
「う~ん。帰りたいんだけど、ひとつだけやらなきゃならないことがあってね。」
「やらなきゃならないこと?」
「うん。そう。」
女の子はそう言うと、私の目を真剣にみつめた。
「ななちゃんにそれ、手伝ってもらいたいんだ。」
「え・・・?なんで私の名前、ななって・・・?」
「うん。まあ、それは詳しくは言えないんだけど、ななちゃんのことは、よく知ってるんだよね、私。」
「え?え?。」
「ななちゃんって、数学の小テストでわからない問題に突き当たると、テスト用紙の裏に動物のイラスト描いて現実逃避してるよね?あれ止めた方がいいよ?あとで綺麗に消したつもりでも先生気付いているから。」
「え?あれ、バレてるの・・・?」
「お弁当のおかずは、一番苦手なトマトから食べるよね。」
「そう。嫌いな食べ物は早くなくなって欲しいから。」
「好きな男子の背中が見えると、手を組んでなにか念を送ってるし。」
「うん。私のパワーを彼に・・・って、だからなんでそんなことまで知ってるの~!」
「まあ、そんなことはどうでもいいからさ。手伝ってくれるの?くれないの?」
女の子の鬼気迫る言葉にうろたえながらも、私はブランコから立ち上がった。
「いいよ。手伝う。どうせ、この後なにも用事なんてないし。」
もし高梨君への告白が成功していれば、今頃一緒にどこかでお茶でもしていたかもしれない。
でももう高梨君の隣には他の女の子がいるのだ。
「で、何を手伝えばいいの?」
「あのね。今日はバレンタインデーでしょ?」
「うん。そうだね。」
バレンタインデーという言葉だけで胸がずきんと痛む。
「私もチョコレートをあげたい人がいるんだ。」
女の子がそう明るく言った。
「へえ。同じクラスの男の子?」
「ううん。」
「じゃあ隣のクラスの子とか?」
思わず自分の境遇と重ね合わせてみる。
「ううん。でも大好きでとても大切な人なんだ。」
「・・・そっか。だったらあげたいよね。チョコ。」
「うん!」
私はダメだったけど、この女の子の願いが叶って、私の分まで幸せになって欲しい・・・そう思った。
「でも私、お金持ってなくて。」
女の子がしょぼんとしてみせるので、私は女の子の頭を撫でた。
「いいよ。私がお金出してあげる。」
「わーい。ななちゃんならそう言ってくれると思ってた!」
ちゃっかりしてるなあ、と思いながらも乗りかかった船だし、最後まで付き合うことにした。
「そう言えば、あなたなんて名前?」
私が女の子に名前を聞くと、女の子はこう答えた。
「私はナコっていうの。よろしくね。ななちゃん。」
「うん。よろしくね。」
「で、そのチョコなんだけど・・・。」
「うん。」
「ネコの形のチョコレートが欲しいの。」
「ネコの形?」
「うん。できればネコが笑ってるチョコがいい。」
「うーん。ネコかあ。」
私は即座にとある有名なキャラクターを思い出していた。
片耳に赤いリボンを付けているあのネコだ。
でもあのネコは口がない。
笑っている顔もみたことがない。
「とりあえず、ショッピングセンターへ行ってみようか?」
私がそう提案すると、女の子がうん!と嬉しそうに頷いた。
スマホの時刻表示を見ると、もう16時を少し過ぎていた。
冬の夕方はすぐに空が真っ暗になってしまう。
遅くならないうちにナコちゃんを家に帰さないといけないから、急がなくては。
「じゃあ駅前のショッピングセンターへ行こ!」
私は車の通りが多い歩道を、ナコちゃんの手を握って並んで歩いた。
ナコちゃんの手はとても冷たかった。
バレンタインデー当日でもまだまだ需要はあるようで、その洋菓子店の店先には沢山のチョコレートが飾られていた。
私とナコちゃんはその中から、ネコの形のチョコレートを目を皿にして探した。
簡単に見つかるものだと思っていたけれど、ネコの形のチョコレートはなかなかみつからなかった。
私はやっとそれらしいチョコを見つけて、小躍りしそうになった。
「ナコちゃん!ほら、あったよ!」
私は透明な袋に入れられた、耳がふたつ頭の上に付いているチョコレートを指さした。
しかしナコちゃんは小さく首を振った。
「ななちゃん。あれはウサギだよ?」
「ええ?そうなの?」
たしかによくみると、耳が少し長い。
「ウサギじゃダメなの?ウサギだって可愛いよ?」
「うん・・・可愛いけど、ネコじゃなきゃダメなんだ。」
「そう・・・。」
きっとなにかネコに深い思い入れがあるに違いない。
もう少し頑張って探してみようか。
「じゃ、このお店は全部見たから、別のお店で探してみようか?」
それから私とナコちゃんは、他の店を回ってみた。
お菓子だけを売っているチェーン店、大きなスーパーマーケットのお菓子売り場、小さな駄菓子屋にも行ってみた。
けれどネコのチョコレートはどこにも売っていなかった。
空はもう暗く、これ以上小さな女の子を連れまわしたらご家族に叱られそうだ。
「ねえ、ナコちゃん。他のチョコで手を打たない?」
けれどナコちゃんは悲しそうに首を横に振った。
私は駅の裏にある小さなケーキ屋を思い出した。
「じゃあもう一か所だけ探しに行ってみようか。そこでなかったら別のチョコで我慢しよう?」
そう私が言うと、ナコちゃんは渋々首を縦に振った。
私とナコちゃんは駅を大きく迂回し、商店街の中にある葡萄色をした小さなケーキ屋さんに入った。
ここは小さいながらも、旬の果物を使ったケーキや可愛いメレンゲが乗せられたムースなど、オリジナルな洋菓子が評判の店だ。
重いガラスの扉を押し開けて、ナコちゃんとふたりで横に長くて狭い店内へ入った。
ショーケースの中にはチーズケーキやフルーツで飾られたプリン、モンブランなど美味しそうな洋菓子がいくつも並べられていた。
「あ!ナコちゃん、これはどうかな?!」
そのショーケースの中には、ユーモラスな顔をしたネコを模した丸いドーナツケーキがひとつだけ売れ残っていた。
表面はホワイトチョコレートでコーティングされていて、つぶらな丸い目にお髭が3本、そして口元は可愛らしく笑っている。
「うん!これがいい!これにする!」
私は店員さんにそのチョコレートドーナツケーキを買いたい旨を言い、白くて小さな箱に詰めてもらった。
お金を払い店の外へ出ると、北風がぴゅうと吹き、黄色い木の葉が砂ぼこりと共に舞った。
「もう真っ暗だね。これは明日、彼にあげたらいいよ。」
私はその白い箱をナコちゃんに渡そうとした。
「それはななちゃんが持ってて。」
「うん?」
「ななちゃん。家まで送ってくれる?」
「うん。いいよ。」
たしかにこんな暗い中、ランドセルを背負った女の子がひとりで歩くのは危険だ。
「じゃあナコちゃんのお家まで案内してくれる?」
「うん。付いて来て。」
私はナコちゃんの手に引かれて、駅から少し離れた住宅街まで歩いた。
モダンな洋風邸宅の一軒家の門の前で、ナコちゃんは立ち止まった。
門の中には男性が乗るアイアンブルーのクロスバイクと、黄色いたんぽぽ色の小さな自転車が置いてあった。
あの黄色い自転車が多分ナコちゃんのものなのだろう。
でも大きな傷がついている。
「ナコちゃん。これ。」
そう言って私は今度こそナコちゃんにネコのチョコレートドーナツケーキが入った箱を手渡そうとした。
けれどナコちゃんは小さく首を横に振って、その箱を私の手に戻した。
「これはななちゃんが持ってて。」
「え?」
「もうすぐ私の大好きだったお兄ちゃんがこの家に帰ってくるから、この箱をななちゃんからお兄ちゃんへ手渡して。」
「・・・お兄ちゃん?」
ナコちゃんがチョコレートをあげたい相手ってお兄さんだったの?
でもだったら家で渡せばいいんじゃ・・・。
「そしてお兄ちゃんにこう伝えて。ナコはミミと一緒に幸せに暮らしているからって。だからお兄ちゃん、もう泣かないでって。そう伝えて。約束だよ。」
「・・・・・・。」
「ナコ、ずっとお兄ちゃんのこと見てた。優しいお兄ちゃんがいつまでも悲しそうで、よく泣いていて、とても心配だったから。そしたら私と同じようにお兄ちゃんを見てる女の子がいたんだよ。それがななちゃん。ななちゃんならお兄ちゃんを幸せにしてくれると思った。だからこれをななちゃんから渡してもらいたかったの。」
「ナコちゃん?」
「ななちゃんに会えてよかった。お兄ちゃんによろしくね。じゃあね。バイバイ。」
そう言い残してナコちゃんは、私の目の前からすぅっと消えた。
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