第32話 6571日目の想い

さ、帰るとするか・・・

このホテルはフロントが19Fだ。


50Fから19Fへ。

エレベーターを乗り換える。


高層ビルのエレベーターに乗る度思う。

あの事件がなかったら付き合ってなかったな。

オレの女房だなんて…よく言ったよな。


19Fに着く。チェックアウトが終わる。

「またのお越しを」というセリフに苦笑い。

なんとなく、もう来ないかな?と思う。


何度も懐かしんで泊まったホテル。


偶然会えたら?なんて思いながら

何度も泊ってうろうろしたけど

ありえない偶然にしがみつくのもバカらしい。


男の恋愛はフォルダーに保存。

女の恋愛は上書き。


そんな話をネットで見たことがある。


日が経てばひろちゃんはオレとの日々を削除するだろう。


オレ自身は未練がましい男が嫌いだった。

そんな男にはなりたくないと思いながら

これからも何度もメールを読み返し

写真を何度も眺めて暮らす事になるだろう。


いつまでもフラバするんだろうな。

いつか?遠い想い出だと笑って懐かしむ日。

そんな日が来るのかな?


スゥー


エレベーターの速度が落ちて我に返る。




1Fドアが開く。




「……」




1Fホールの大理石の壁にもたれる人。

静かにマスクの横顔がこちらを向く。


あいかわらず華奢で細い身体。

薄幸な人を想像させる憂いを帯びた佇まい。

スマホを持つ姿に、広場での待ち合わせを思い出した。


「……」


「ごめんね、来て…」


「さようならを言われたけど…

 ホテルに居るってわかってたから

 もし待ってたら会えるかなと思って」


「でもとしさんは、こんな女嫌いだよね?」


「……」


オレも会いたかった。

言いたかったが、すぐに返事を返せなかった。


「12時まで待って会えなかったら

 帰ろうって思ってたの」


主人の話をするときによく見せた悲しげな笑み。

まだ家で何かのトラブルがあるんじゃないか?

などと心配してしまう。


何か言わないと…


「何時ごろ来たの?」


「10時すぎかしら?」


「今日はお買い物かい?」


「ええ、お買い物よ」


オレは少し笑ってしまった。


その笑いは彼女のセリフに笑ったのではなく

自分の意志の弱さに笑いが出てしまったのだ。


強がりは止めた。


いつものオレが言った。


「ひろちゃん、時間あるかい?」


「え?」


「上でお茶しない?」


「えっ?」


「よかったら孫自慢を聞きかせてよ?」


「あ、無理なら次でもいいよ

 5類になったら、楽に会えるだろう」


「としさん…」


「いいの?」


「オレも会いたかった

 待ってもらってうれしかったよ」


「ほんと?怒ってない?」


「嫌ならシカトして素通りしてるさ」


そう言いながら▲ボタンを押した。


エレベーターに乗る。


「メニエールはとっくに治ってるけど」

 

そう言いながらオレの左腕に寄り添った。


「もちろん、眩暈が無くても支えるさ」


「いいの?」


「もちろんさ。

 姫は大切な婚約者でござる」


笑顔がゆがんだ。


「わらわは満ぞく・・・」


セリフを返そうとして涙で言葉が詰まる。


2年間、本当に辛かった。

それが会えて、リセットされた。

大げさだが、生き返ったように感じる。

オレにはやっぱり彼女が必要だ。


そうだ、このままでいい。

いつかその日が来るまで。


「ひろちゃん、これからも一緒だ」


「うん」


6571日目の想いを抱えて

エレベーターは上がっていく。




              終



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6570日の想い 波平 @to4

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