第46話

 家とは心身の疲労を癒す場所である。


 少なくとも一颯はこう思っているし、どれだけ嫌なことがあっても住み慣れた環境に戻れば自然と心も切り替えられる。


 そうでなくてはいけないのに、今はどうか。たった四人の来客が集っただけで空気はどんよりと大変重苦しい。


 これが殺気でないだけ、まだマシな方なのだろう。画面越しにいるリスナーには当然、現在のは我が家がどのようになっているかは知る由もないが。一颯は内心で溜息を吐いた。


 これは、なんだか一荒れきそうな気がして仕方がない。



「え、えっと~……というわけでめちゃくちゃ突然我が家にやってきましたぁ――あの、自己紹介の方、よろしくお願いします」


「今日も私はー? ぜっこうちょー! ドリームライブプロダクション所属、三期生の“天現寺てんげんじかすみ”でーす!」


「同じく三期生、“犬房いぬふさこころ”だよ。みんな、今日はこころが来てビックリしたかな?」


「みなのものー! 今日も元気にしているでござるかー!? 同じく三期生の“黒羽くろはりんね”のそれがしが馳せ参じたでござるよー!」


「……と、いうわけで三期生の先輩方がこうして集結してくれたわけなんですが……。えっと、どうしたんですか急に」


 本当にいきなりやってきてどうしたというのか。一颯ははて、と小首をひねった。


 もっとも、理由についてはだいたいの想像がつく。彼女達は恐らく、この配信を見てやってきたのだろう。


 さしずめ、暴走しがちだった同期エルトルージェを咎めるためであろう……それについては、もう一颯は終わったと認識している。


 ちょっとした戯れでわざわざ出向く必要はなかったはず。しかし彼女らのむすっとした表情かおと、うぅぅっ、と低く唸る様を見やるにどうやら納得していないらしい。



「たまたま配信してるの見たから、ついでだしちょっと寄っていこうって思ったの」


「は、はぁ……なるほど。で、でもこんな夜遅くにわざわざ尋ねに来られなくても。それに大したもてなしもできませんし」


「いいのいいの、いぶきちゃんは気にしないで」


「いや気にしますから!」


「まぁまぁ、よいではござらんかいぶき殿。それより今日は質問コーナーだったでござるな?」



 不意にりんねが口を切った。


 顔は笑みのはずなのに、優しさも温かさも皆無である。


 争いごとに対してはずぶの素人で、仮に勝負したとしても一颯が敗北する確率はそれこそ天文学的だ。


 いわば、一匹の蟻が巨象に挑むようなもの。巨象のどこに負ける要因があろうか。


 それなのに、一颯はあろうことか“黒羽くろはりんね”に気圧されてしまった。


 たった一瞬の出来事だったとはいえ、自分よりもずっと格下の相手に引けの姿勢を見せたのは紛れもない事実である。


 なんなんだ、この言いようのない威圧感は……! 一颯はうっ、と言葉を詰まらせた。



「この配信を見ていて、こころもそう言えばいぶきちゃんのことあんまり知らないなって思ってね」


「……いや、そうですか?」


「というわけだから、いぶきちゃんに今日は色々と聞いていくね」



 そう言ってにこりと笑うかすみが、他の誰よりも一番怖い。


 他の面々も、何故か各々牽制し合っている始末である。


 この後自分はどうなってしまうのだろう? それ以前に今が配信中であることを忘れていやしないか。一颯は頬の筋肉をひくりと釣り上げた。


 これがVtuberとしての配信でよかった、とこの時ほど一颯は思ったことがない。


 元がいいから、怒った顔もかわいいといえば確かにそのとおりだが、あまり他人に見られていいものでないのも然り。


 アイドルらしからぬ、とまではさすがに大袈裟か。


 いずれにせよ、この殺伐とした空気の中での配信のなんという息苦しさか。


 いい加減きちんとアポを取ってからきてほしい……。一颯はすこぶる本気で、そう思った。



『修羅場展開キタコレwww』

『いぶきんモッテモテやんwww』

『おーい喧嘩しないでくれよー(;'∀')www』

『これは切り抜き動画待ったなしですわwww』

『草超えて森』



 リスナーからすれば、今ほど面白い展開もまぁ早々になかろう。


 人の不幸は自身の甘い蜜、などという言葉があるぐらいだから、盛り上がるのも無理はあるまい。


 エンターテイナーとして観客が喜ぶことほどうれしいものはないが、今この時ばかりは怒りを憶えずにはいられなかった。


 とにもかくにも、当たり障りのない回答をするしかない……! 一颯はそう判断した。


 彼女らが怒らぬよう、そして互いに嫌悪感や羨望感を抱かぬような回答がここでは推奨される。


 後は己のトーク力だけが頼りで、果たして自分にそれができるか否か。自信についてはこれっぽっちもないが、だがやるしかない。一颯は覚悟を決めた。



「それじゃあ、まずこころからいぶきちゃんに質問しようかな」


「あ、はい……どうぞ」


「いぶきちゃんがいつも持ってる刀の名前ってなんていうの?」


「へ?」



 そんな質問でいいのか? これにはさしもの一颯も意表を突かれたので、つい素っ頓狂な声をあげてしまった。


 てっきり、もっと答えにくい質問とばかり身構えていただけあって、いざきた質問があまりにごくごく普通すぎたから困惑を禁じ得ない。



「え、えっと……俺が持ってるこの刀の名前は「いかずち」……丸と言って、とある刀匠が打ってくれたものです。刃長はだいだい二尺三寸三分、70cmぐらいでしょうか。重さは普通の刀だと1kgぐらいですから、こいつはその約四倍前後。でも切れ味と強度については抜群で、俺の大切な相棒ですね」


 余談ではあるが、“夜野よるのいぶき”が所持する刀には、これと言った設定は特にない。


 刀はあくまで小物オマケ程度の要素にすぎず、段田弾だんだはずむからも好きに設定していいという許可は得ている。


 ならば愛刀の情報をそこに落とし込んでもさして問題もなく、だがいつどこで見られているか定かではないから、ある程度の虚偽を交えておいた。


 あれはかなりの堅物だからVtuberを見る確率は極めて低いだろうが……念には念を入れてもよかろう。一颯は判断した。



『めっちゃ詳しい解説www』

『日本刀ってよきですよねぇ』

『ネーミングがなんかいぶきんらしさがあって草』

『それは刀というにはあまりにも重く、そして美しかった……』



 リスナーの反応はなかなかよさげだ。一颯はホッと安堵の息をもらした。


 この調子なら、他の二人の質問もきっと大したことはなかろう。



「それじゃあ次は某が質問するでござるよ! いぶき殿はエル殿とりんねだったら、どっちが好きでござるか?」


「いやだから……」



 一颯は頭を抱えた。


 厄介の種となろう質問を投げたりんねの笑顔は、心なしか黒い。


 有無を言わせぬ覇気をひしひしと感じさせる様は、本来の設定である武者としてある意味相応しいが、今ここで出してほしくなかったというのが一颯の本心で、しかしそうは問屋は卸さないと追撃が入る。



「それじゃあ私からも質問するね! いぶきちゃんは三期生だと誰が一番好きなの?」


「かすみ……先輩まで!?」



 これが真の狙いか!? 一颯は内心で滝のように冷や汗をドッと流した。


 何故こうも、似たような質問ばかりしてくるのか皆目見当もつかない。


 三期生のメンバーは誰が一番と言わず、皆等しく感謝しているし好感もある。


 それで満足できないのか。一颯はひどく狼狽して、しかし右往左往しようとも四人の視線から鋭さが消えることはなかった。


 ジッと静かに見据えたまま、作り物のごとき笑顔が非常に恐ろしい。


 いっそのこと、全員嫌いだと答えるか――これならば少なくともギスギスする心配はしなくてもよい。


 その結果、待つのは地獄だろうが。数ある選択肢において最悪なのは言うまでもない。


 燃える火にガソリンを自らたっぷりと注ぐに等しい愚行を犯す気は一颯には毛頭ない。


 もちろん、誰か一人だけ選ぶのは、これこそ愚行そのものと言えよう。


 残った三人すれば心底面白くないわけで、今後の関係がギスギスとしかねない。


 演出上のやり取りであれば、どれだけ気が楽なことか。この場限りの関係で済みそうにない雰囲気であるのが、一颯を大いに悩ませた。



『いぶきん大ピンチwww』

『いぶきん! いぶきんだったら迷わず答えるんだ!』

『過去最大の難敵にいぶきんは果たしてどう立ち回るのか!? その答えはCMの後!』

『You~もう全員ギュッてしちゃいなyo~』



「ッ!」



 一颯はハッとした。それはある意味、天啓に近しい。


 一見すると愚策にも程があろうが、今の一颯に冷静さはほぼない。


 どうにかしてこの事態を丸く収める。これだけにすっかり支配された思考は、普段の彼であれば絶対にやるはずのない行動を、一颯に実行させた。



「お、俺はみんなのことが大切です! ですから誰が一番とかは選べないで……す……」


 やってしまった……! 一颯の顔からさぁっと血の気が引いていく。


 四人をぎゅうとまとめて抱擁する。同性同士だったならば、これも一種のスキンシップだ。


 見ようによっては微笑ましくもあるし、艶めかしさもあろうが戌守一颯いぬがみいぶきは歴とした男の娘おとこだ。


 親しい間柄と言えどもそれは友人という意味で、恋愛感情は双方共に意識の外にある。


 つまり好きでもなんでもない相手からの抱擁など、気持ち悪い以外の何物でもなく、ひっぱたかれるか絹を裂いたような悲鳴があがるか。一颯はいずれかを覚悟して、ぐっと奥歯を噛みしめた。



「ちょ、ちょっといぶき……ちゃん! いきなりハグとびっくりするんだけど!」


「これは……うん。なんだか癖になっちゃうかもね」


「あーいぶきちゃんにハグされるとなんか落ち着くかもー」


「なかなか……その、い、いい感じでござるなぁ。えへへ……」


「……あれ?」



 これは、もしかしなくても丸く収まったのか……? わずかに困惑の感情を表情にした一颯だが、頬をほんのりと紅潮した彼女らを見やれば、効果があるのは一目瞭然だ。


 ついさっきまで室内を漂う重苦しかった空気も、少しずつ元に戻りつつあるのをしかと五体で感じる。


 最悪の事態だけは、どうにか回避できたらしい。一颯は胸中で盛大に安堵の息を吐いた。



『女の子同士によるハグ……いぶきんハーレム状態てぇてぇwww』

『てぇてぇ! 正直いって感動すた!!』

『誰かイラスト描いてくれー!』

『で? 結局のところ誰が好きなの?』



「おいやめろ馬鹿。本当にやめてくれ」


 せっかく収まったのに蒸し返えされてたまるものか! リスナーの煽りに、一颯はこの時ばかりは殺意を憶えざるを得なかった。

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大型新人Vtuber戌守一颯には秘密がある~超有名事務所に配属になった「俺」、先輩たちからお家コラボしようという誘いが半端なく若干修羅場ってます~ 龍威ユウ @yaibatosaya7895123

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