第45話

 結論から言って――記念すべきホラーゲーム実況はたった十分で幕を下ろした。


 もちろんクリアではないし、第一に一颯はRTAを目指す気はこれっぽっちもない。


 ようやく長ったらしいチュートリアルを終えて、いよいよ本格的に始まるといった瞬間――そこから続いたのはエルトルージェの耳をつんざく悲鳴ばかり。


 ひどいものとなると、ホラー要素の欠片さえもない、単なる場面の切り替えだけでもぎゃあぎゃあと喚く始末である。



『あらら~やっぱりこうなっちゃったかぁ(;^ω^)』


『エルちゃん無理すんなー!』


『エルちゃん辛い時はおじたんのところにきてもいいんだよ?』


『↑通報しました』


『そして相変わらず淡々と進めるいぶきんwww』



 既にこうなると予想していただけあって、リスナー達も彼女の怯えっぷりには寛大だった。


 結果、ホラーゲーム実況はまた後日改めてということになり現在いまは――雑談という名の慰撫いぶの真っ最中である。


 すんすんと鼻をすすり、時折嗚咽ももらすエルトルージェの頭をひたすら優しく撫でるという、リスナーにはなんの得もない内容を送らざるを得ない状況だが、さっきから赤枠が止まらない。



「いやいや、こんなことで赤枠投げなくてもいいからな? お金は本当に余裕がある時だけにしてくれよ?」


「うぅ……グスッ……ご、ごめんねいぶきちゃん。私のせいでぇ……」


「あ、いや。エル先輩は何も悪くないですよ。むしろなんか、すいませんでした」



 こんなことになるんだったら、最初からやらなければよかった。一颯は猛省した。


 こうなるとわかっていながら、己の欲を優先した自分に今回は多少は非がある。



「えっと……エル先輩がガチ泣きしてしまったということでホラゲー配信はここで終わりたいと思う。代わりになんか、雑談でもしよっか。なんか楽しい雑談するぞ!」



『今回ばかりはしゃーないない(;'∀')』


『エルちゃん、泣き止んで……(´;ω;`)』


『次回に期待!』


『お疲れ様です(汗)』


『おいたんの胸ならいつでも空いてるよ?』



 約一万人のリスナーには本当に感謝の念しかない。一颯は深々と頭を下げた。


 しかし、はて。今からどうしたものか。未だヒシッと腰にしがみついたままのエルトルージェを慰撫いぶする傍らで、一颯は沈思する。


 突然雑談をする、とこう口にしたものの、いかんせん内容については何一つ定まっていないのが現状だった。


 適当な話をするにしても、滑らないかとなるとこれが全然自信がない。



「――、そう言えば。俺配信してから質問に答えるとか、そういう系の一度もやったことがなかったな」



 一颯はふと、記憶を巡らせた。


 これもちょうどいい機会なのかもしれない。


 思い返せば、ドリームライブプロダクションに所属したものの長居はしないだろうという理由から、その手の類のイベントを一切やっていなかった。


 正式にドリームライブプロダクションのVtuberとしてやっていくと決まったからには、今ここにしても悪くはあるまい。一颯は判断した。


 とは言え、今更どんな質問があるというのか。


 突発的な内容に果たして皆が答えてくれるかどうかなど、わかるはずもなし。


 ここはリスナーに全権を預けてみた。



「――、というわけで本当に突発的だけど皆からの質問コーナーみたいなのをしたいと思う。それでもいい、か?」



 こればかりはこちらの不手際なので、申し訳なさがどうしても目立つ。


 至って普通の対応なので、特に思惑の類は一切なく。また彼らに対しても良い反応レスポンスは期待していなかったのだが……。



『全然オッケーです!』


『委細承知!』


『ん? 今なんでも(質問していい)って言ったよね?』


『スリーサイズはいくらですか!?』



 予想していたよりもずっと反応レスポンスがあったことに、一颯は苦笑いを小さく浮かべた。


 一つだけ、明らかにセクハラ的発言だがこの際無視することにする。


 そもそも一度似たような質問があって回答しているだろうに……。とにもかくにも、なんとか配信は継続できそうだ。



「それじゃあ、質問については #いぶきの配信 のハッシュタグをつけてコメントしてくれ。送られてきた中から、俺がパッと見て気になったものに答えていく――それじゃあ今からスタート!」


「いぶきちゃんって、三期生の中だと誰が好きなの……?」


「おいおま……じゃなくて、エル先輩が先に質問するんですか!?」



 さっきまで散々泣き喚いたくせにして、今はすっかり泣き止んでいる。目元は赤く腫れぼったいが、もう涙はそこにはない。


 これは随分と面倒な質問をしてくれたものだ。一颯は内心で盛大に溜息を吐いた。


 先の質問に対しての返答は、全員というのが妥当だ。


 三期生の面々は本当に皆よくしてくれる。彼女らと出会わなければ、今の自分はきっといなかった。


 それを言うならばすべての始まりである社長――段田弾だんだはずむも忘れてはいけない。


 それはさておき。



「好きって……それはもちろん全員ですよ。エル先輩含めて、三期生の皆がいたからこそ俺がここにいるといっても過言じゃありませんから」



 多分、こうじゃないだろうな……。一颯は内心で自嘲気味に小さく笑った。


 もちろん、先の言葉に嘘偽りは一切合切ない。


 恐らくリスナーが欲する回答はこれじゃない。一颯にはそんな確信があった。

 


『そう言うのじゃなくて、ぶっちゃけどうなん?』


『百合展開キタコレ!?』


『これは返答次第では修羅場確定www』


『いぶやんの明日はどっちだ!?』


『迷うな! 全員いけ!』



 こいつら本当に好き勝手言ってくれやがる……! 一颯は奥歯をぎりっと噛みしめた。


 案の定と言えば、そのとおりなのだが。いつもあたたかな声援を送るリスナーも、今回に限っては実に質が悪い。


 あくまでも百合展開にしたいらしいが、それが現実世界でいかにまずいかを彼らは知る由もない。


 何故なら“夜野よるのいぶき”は歴とした男なのだから。


 すなわち恋愛的な意味合いでの回答は、そういうことになりかねない。


 答えたが最後、顔を合わせるのが気まずくなる。


 かと言って、誰も好きではないと答えるのも果たしていかがなものか。一颯はうんうんと唸った。


 どう回答するのが正解なのか……。よもや初手からこんなにも苦労するとは完全に予想外である。



「私はいぶきちゃんのこと好きだよ?」


「それは、ありがとうございます。俺もエル先輩のことは尊敬しているし、感謝してますよ」


「じゃあ好きってことでいい?」


「それは……まぁ、ねぇ?」


「じゃあ今日からこのチャンネルはいぶエルカップルチャンネルってことで!」


「いやその理屈は明らかにおかしい」



 これは、あくまでも演出の一環にすぎない。一颯は察知した。


 エルトルージェもよもや本気ではあるまい。


 ホラーゲーム配信を台無しにしたが、それに取って代わる企画とトーク力で場を盛り上げんとする。


 すべては彼女が手掛けた演出シナリオなのだ。


 尊敬すべきは、即興で場の空気を盛り上げるアドリブ力にある。


 さすがはドリームライブプロダクションの三期生、伊達に修羅場は潜っていない。


 それなのに自然とマジレスして自分は、彼女らと比較するとまだまだのようだ。



「いぶきちゃん、やっぱり嫌いなんだ……」


「いや、その……」


「うぇぇぇん! いぶきちゃんは私のこと好きじゃないんだなぁ……!」


「ちょ、マ、マジでやめてくださいエル先輩! 好きですから! めっちゃ好きですから!」


「うん、じゃあカップルチャンネルね」


「いや遠慮します」


「なんでよー!」



 二人顔を合わせて、ふっと笑った。


 やっぱりこの娘は陽気に笑っている方が大変よく似合う。


 笑顔のない“エルトルージェ・ヴォーダン”はこれからもずっと目にしたくはないし、そうはさせない。


 ドリームライブプロダクションに今もこうして在籍しているのは、そのためでもあるのだから。

 もう誰も傷付けさせはしない……! 一颯は一人静かに、自らに固く誓った。



『ここに新たなカップルが誕生した』


『いぶエルのてぇてぇは至高! 今、言葉じゃなくて心で理解できたぜ!』


『がんどうじたぁぁぁぁぁぁ!!』


『エ〇ダァァァァァァァァッ!!』



 コメントの反応もなかなかいい。


 これは、なんとか今日の配信はなりそうだ。一颯はホッと安堵の息をもらした。



「え~……それじゃあ次からは皆からのコメントの方を確認していくぞ。あ、センシティブなのとかライン越えしてるなって判断した奴はすぐブロックするから、そのつもりで」



 これは牽制である。


 Vtuberとして活動する以上、この手の類は切っても切れない。


 様式美といえば耳障りはいいかもしれないが、いきすぎた結果が誹謗中傷であったり犯罪行為ストーカーに変貌する。


 適度な距離感が必要で、これらをズケズケと犯す者には今後とも容赦はしない。



「じゃあいぶきちゃん、今日お泊りしてもいい?」


「ははは~無理ですね」



 その時、夜遅くであるにも関わらずインターホンが室内に反響した。



『今チャイムの音しなかった?』


『こんな時間に……?』


『まさか……いぶきんのストーカー!?』


『いやいぶきんそのストーカーぶっ飛ばしてるんじゃが?』


『いぶきん、リアルで武術とかやってるの?』



「すまない、なんだかお客さんみたいだから少しの間だけミュートにするぞ」



 こんな時間に来客なんて珍しいな……。一颯は椅子から腰を上げた。


 ドアスコープから外の様子をうかがい、すぐに頬の筋肉をひくりと釣り上げる。


 夜遅くの来訪者など、最初からわかっていただろうに。見知った顔が三人、ただし表情かおはいつになく険しい面子がそこに立っていた。


 すぐにここを開けろ、と言わんばかりの凄まじい威圧感に、さしもの一颯もごくりと生唾を飲んだ。

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