第11話 出世無用

 吉原に向かう途次、阿茶の局の言葉が思い浮かぶ。

「此度の件の首尾次第では、そなたを御物腰拝見役という役職に推挙いたそうと思うが、いかがであろう」

 浅右衛門は「今のままでよろしゅうござる」と、言下に断った。


 木っ端役人の端くれなどに加わりたくない。役人として下らぬ出世を遂げるより、一介の浪人として試し斬りの御試御用をつとめるほうがであった。

 それに、身分こそないが金には不自由しない。というより腐るほどあるのだ。

 浅右衛門は阿茶の局に言った。

「代わりに童子切安綱を頂戴いたしまする」

 もはや金や出世など世俗のことにさしたる興味はないが、刀にはある。刀剣の静謐なにえ地鉄じがねの底に、浅右衛門は深い虚無の色を見ていた。


 吉原の大門をくぐった浅右衛門は、いつもの揚屋に寄らず、まっすぐ目抜き通り仲之町の松葉屋に登楼した。

 未だ陽が高い。玉菊は昼日中のことゆえ普段着の小袖姿であったが、あわてて浅右衛門のそばに寄りそった。

「主さま、急なことで。はて、いかがなされました」

 浅右衛門が抑揚のない声で応える。

「若衆頭を呼べ」


 ややあって、浅右衛門の座敷に、のっぺりした役者顔の男が現れ、畳に頭をこすりつけるように低頭した。

「旦那、お呼びで。留吉でごぜえやす」

 浅右衛門を上目遣いで見る目に、ならず者特有のすさみがうかがえる。


 浅右衛門が切り餅の包みを破いて、小判50両を畳の上にばらまいた。

「留吉とやら、拾え」

「へえ」

「その金で、お前と同じ破落戸ごろつきどもを集めよ」

「何人くらいでやしょう」

「多いほどよい。理由は聞くな」

「へえ」


 浅右衛門は残り50両を玉菊に渡して告げた。

「揚屋に入って、酒を呑んでおる」

 つまり、花魁としていつもどおりの支度をし、妹女郎や禿などを連れて揚屋に参れと言っているのだ。

 そして、留吉に向き直り、凄みのある声で申し渡した。

「盃を取らす。暮れ六つに揚屋で会おう」

「えっ!……へえ、承知しやした」

「主だった者、数名を連れて来い。刻限に来ぬと斬り捨てる」

 これを聞き、玉菊が口に手を当てて「ほほ」と笑った。

 その笑い声に、留吉は異様なものを感じ、ぞくりと背筋を凍らせた。

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