第10話 渦巻く陰謀

 浅右衛門が太刀の鯉口を切った瞬間、大きな音を立てて襖が蹴破られた。

 刹那、凶刃が一閃した。

 その太刀筋を見定めて、片膝つきの体勢のまま、後の先の太刀を浅右衛門が繰り出した。抜き胴の居合技である。

「げっ」

 賊は断末魔の悲鳴を上げ、血の飛沫しぶく脇腹を押さえて逃げ去った。大量の鮮血が畳の上に筋となって滴り落ちている。おそらく一丁も逃げのびた辺りで絶命するであろう。


「浅右衛門、見事である」

 阿茶の局が、脇息に凭れかかったままの姿勢で、眉ひとつ動かさず冷静な声音で言う。

「叔母上、敵が多いようで……」

「ふふっ。わらわの敵というよりも、徳川家に対するものよ。秀康どのは、徳川の権勢をぐための恰好の旗頭。その旗頭を闇に葬ろうとする我らの陰謀を嗅ぎつけた者がおるものとみた」

「ふむ。それは誰でござろうか」

「分からぬ。秀康どのを迎える結城家か、風雲をのぞむ奥州伊達家か、あるいは徳川家の滅亡をひそかに企てておる大坂方か」

「いずれにせよ。此度の一件、もはや……」

「左様。漏れておるやもしれぬ」


 一刻後、浅右衛門は阿茶の局の前を辞した。

 寛永寺境内の桜がひとひら、浅右衛門の羽織の肩に舞い落ちた。

「さても、此度の件、罪人の首を刎ねるよりも物憂いことよ」

 浅右衛門の懐中には重い切り餅が二包み入っていた。切り餅とは、通常、小判25両の包み金を意味するが、それよりもはるかに持ち重りがする。どうやら二つとも50両包み、あわせて百両の切り餅のようである。

 別れぎわ、阿茶の局から与えられたものであった。


 浅右衛門の足は、自然と花魁玉菊のいる吉原へと向かった。

 脇差の柄に手をそえて歩を進めながら、再び胸のうちでつぶやく。

「相手は百五十余名か。では、いささか手荒なことをいたさねばなるまい」

 生ぬるい風が鬢をなぶった。

 浅右衛門は唇を歪めて不敵な笑みを浮かべた。

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