第八話 羽柴秀康暗殺剣

「そのお方の名は、羽柴秀康さま」

 戸波甚太郎が仕物にかける人物の名を口にすると、弟子全員から「おおっ」という驚愕の声が漏れ出た。

 暗殺剣で闇に葬るには、あまりに畏れ多い大物ではないか。

 

 羽柴秀康は徳川家康の次男である。

 天正十二年の小牧・長久手の戦いの後、家康と秀吉は講和を結び、その和睦条件として秀康は秀吉の養子(実質は人質)となった。このとき、秀康は家康から餞別として天下五剣の一つで、酒呑童子退治の太刀として名高い「童子切安綱」を授かっている。


 直後の天正十三年、秀吉は関白宣下を受け、その翌年には豊臣姓を賜って太政大臣に進み、位人臣をきわめるとともに、天下人としての地位をわがものとした。

 そして、その三年後、思いがけぬことが起きる。

 秀吉の側室・淀殿が男児、鶴丸をもうけたのである。待望の世継ぎ誕生に秀吉は狂喜した。狂喜乱舞すると同時に、このまま秀康を養子にしておけば、鶴丸のためにならぬのではないかと危惧し、思案の末、秀吉は下総の名門・結城家に秀康を養子入りさせることにしたのである。


 一方、秀康の心中は複雑なものがあった。

 本来、秀康は、家康の後継となり、将軍職を拝命した徳川秀忠の異母兄にあたる。本来なら自分こそが将軍になるべき存在であったのに、生母の格が違うというだけの理由で豊臣家に養子に出されたのだ。

 しかも、秀吉の跡継ぎ鶴丸が生まれたことで、秀康は再び下総結城の養子に追い出されることになってしまった。

 秀康の心は鬱々と翳り、秀忠に対する憎悪の念すら抱いていた。


 無論、こうした秀康の心理を徳川家が察しないはずもない。大坂にいる秀康が鬱勃たる野心を胸に秘め、関東の下総に帰ってくれば、徳川家の勢力はいずれ二派に分かれ、あやういことになりかねぬ。


 家康の後継となった秀忠側近筋はひそかに鳩首凝議し、ひとつの結論に至った。それは、闇討ちである。しかしながら、余程の手練れでなければ、この大役を仕遂げられるものではない。

 加えて、万一陰謀が露見しても、徳川家に責任が及ばない人物となると、一族一門や家臣以外、つまり浪人者か、他藩の不逞の輩に襲撃させねばならない。山田浅右衛門は、そうした条件のすべてを満たす適材であり、秀忠側近らが知りうる第一等の刺客であった。

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