僕を怒らせたいの? その勇気だけは褒めてあげるよ。
伯父さん伯母さんに引き取られて子爵家の娘になった私の世界はぐるりと変わった。
貴族の娘となり以前よりも格上の生活を送るようになったが、それには義務がのしかかり自由に動けなくなってしまった。婚約者が宛がわれ、周りからは傅かれるという生活に私はいまだに慣れずにいた。
ギチッ
「っ……!」
頭皮が引き攣るような痛みを起こし、私は小さく呻いた。
がしがしと乱暴に櫛を入れられた髪はどうみても大切に扱ってもらえていない気がする。
「あの。痛いんですけど」
「申し訳ございません。お嬢様の髪は剛毛ですからこうして梳かなくては綺麗にまとまりませんので」
「……」
鏡越しにぎろりと睨まれた私は言葉をなくした。
剛毛とか初めて言われたが。実の親にも言われたことない単語である。
あの、私一応ここの家の娘。あなた私の義父が雇っている使用人。
主人の義娘をいじめてただで済むとでも思っているんだろうか。
今私の髪の毛を乱暴に梳いているのはこのお屋敷で比較的若いメイドだ。歳が近いからと宛がわれたが、最初からこの人は私を侮ってこうして地味な嫌がらせを働いてくる。
言っておくが、私は得体の知れない人間というわけじゃなく、分家出身で子爵家の血が流れている。その上今は貴族の娘なのでこんな扱いを受けることはあってはならないはずだ。
しばらく様子見していたけど、ダメだな。
メイド長に言って私の担当から外してもらおう。
配置換えを受けて洗濯場に回されたそのメイドは私に「左遷させるなんてひどい」と文句を言ってきた。
雇い主の娘に嫌がらせするのはひどくないのかと突っ込みたくなったけど、私は口をつぐむ。刃向かいそうな空気を感じ取ったからだ。
いずれ私が使用人達を掌握しなければいけない。なのでいちいち相手にしてあげなかった。ここで私が甘い顔をすれば自分の首を絞めるだけだもの。
恨むなら自分の仕事を恨むことだ。
文句があるならここを退職して、別のお屋敷で雇ってもらえばいい。私は推薦状なんか書いてあげないけども。変な人材を推薦したら子爵家の評判に関わるし。
それにしてもなんでここまで嫌われなきゃならないんだろう。
私とこのメイドさん、出会ったばかりなのに。
◇◆◇
「あの娘は没落したストリキニーネ伯爵家の者だな。一家離散したと聞いていたが、ここに雇われていたのか」
私の御機嫌伺いという名の訪問にやってきたオリバー様が優雅に紅茶を嗜みながら言った言葉に私はがちゃんと音を立てて紅茶のカップをソーサーに戻した。
「えっ、あの人貴族だったんですか!?」
私のがさつな行動に眉をひそめるオリバー様は小さくため息をつき、こちらへじとっとした視線を送ってきた。
「……知らなかったのか」
「私が養女に入る前からここにいましたので」
あのメイドさんとおしゃべりするほど親しくないし、使用人さんと個人的に親しくなるのはあまりよくないと義母にも釘を刺されていたので、相手の身の上話とかするわけもなく……
なるほど、だからか。
没落して貴族ではなくなったあの人にとって私という存在は気に入らないはずだ。
だからといってこれまでの失礼な態度を許すつもりはないけど。
それはそれ、これはこれだ。
いまだに私がぎくしゃくするお茶会はなんとか相手を怒らせることなく終了し、いつものように玄関ホールまでお見送りをしようとしたのだが……
「馬車の車輪に不具合が見つかりまして……」
ここで乗ってきた馬車の故障が発覚し、義父母がそれなら泊まっていけばいいとオリバー様に提案してお泊まり会に発展したのであった。
夕飯までは同席したけど、そのあとは全くの別行動だった。
私は自分用に宛がわれているお部屋で寝る準備を整え、寝る前に少し読書をしたりする。
オリバー様は夕飯時に義父からお酒を進められるがまま飲んで酔っていらしたからもうすでに客室で就寝しているはずだ。
それにしても酔う姿が色っぽくて目のやり場に困ったなぁ。お酒で油断していつもより無防備だからであろうか。
明日は二日酔いにならなければいいけども……
そんなことを考えていると私にも眠気が訪れた。
自分もそろそろ寝ようと本をサイドテーブルに置いて手元の明かりを消そうと手を伸ばした。
──ドバァァン!!
自室の扉の蝶番が吹っ飛ぶくらい力強く開かれたのはその時だった。
「!?」
すわ強盗か、それとも火事かと上掛け布団を盾にして身構える。
「ど、どなた?」
私が問うが、相手は無言だった。ずんずんと無作法に近づいてくる足の持ち主が薄暗い明かりに照らされた。
それがオリバー様だったものだから私はぎょっとした。
「な、なにをなさっているんですか!?」
いくら将来夫婦になる間柄だとしても今は婚約者という立場だ。夜更けに女性の部屋に乱入するというのはいかがなものかと思う!
オリバー様は息が乱れていた。
それはお酒のせいか、それとも走って来たからかはわからない。
「女が寝所に忍び込んできた」
「……?」
彼の言葉を一瞬理解できなくて首を傾げた。
女が寝所に……?
「てっきり君が夜這いにきたのかと思ったのに」
「そんな滅相もない! 私がそんなことするわけがありません!」
あなたの中で私は一体どういう女に映っているのか。性的欲求不満の痴女に見えているんでしょうか。
私が力いっぱい否定すると、なぜかオリバー様はギュッと眉間にシワを寄せて不機嫌な顔になった。なぜそこで顔をしかめるの。
え、誰が夜這いしたの。私に苦情を言いに来たの?
「ちょっと、途中まで誘いにノッてたのになんで!?」
どたばたと新たに乱入してきたのは、ネグリジェを着乱したあのメイドだった。元伯爵令嬢だという彼女はオリバー様に手を伸ばすが、その手を彼はさっと避けていた。
……なんだろう、この状況。
なぜ私の部屋で争うんだろう。私関係ないよね?
「今晩はお楽しみだったんですね。お部屋に戻って続けてどうぞ」
気を利かせて促すも、がっと顎を鷲掴みにされた。
他の誰でもない。凶悪な眼力でこちらを睨みつけるオリバー様にだ。
「へぇ……僕を怒らせたいの? 未来の妻に浮気を推奨されるとは思わなかったなぁ」
「ヒエ……」
怖い。
どこでお怒りスイッチを押したのかが全くわからない。
私は気を使ったというのに。
「何故なの!? そんな女より私の方が」
「既成事実を作って、成り上がろうとするその勇気だけは褒めてあげるよ」
納得行かないメイドが言い縋ろうとしたが、それをオリバー様は切り捨てた。
「何故僕が君を拒絶したかって? 僕は婚約者がこっそり添い寝に来たと思ったから受け入れかけただけさ」
騒ぎを聞き付けた屋敷内の人間がこの部屋に集まるまであと数分。
人が集まると、その中心でメイドは解雇を命じられた。
メイドはそれに喚いていたが、オリバー様がそれを決めてしまったので、他の人もおとなしく従った。
義父母も異論なしということで……
えぇ、まだこの子爵家の人間じゃないのに、もうすでになりきっちゃってるよこの人。
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