いまさら謝ったって遅いよ。もともと許すつもりもないけどね。
いつもこちらまで御機嫌伺いにいらして、ただお茶するだけのお付き合いをしていた婚約者のオリバー様が、なにを思ったのか観劇に連れていってくれると言い出した。
今流行の恋愛ものの劇を観に行こうと言われて、ぎょっとした私は悪くないと思う。
私は基本領地に引きこもっていることが多い。まだ学ぶ必要のあることが多く、遊んでいる暇がないというのもあるが、未婚の貴族令嬢が単身で遊び回るのは危険もあり、あまりいい顔されないから自粛しているのだ。
オリバー様にはそんな私が退屈そうにしているように映ったのかも知れない。
連れて来られた歌劇場には一般の平民も足を運ぶので、一般席は満員だった。最近までそちら側だった私はそっちに気を取られて身を乗り出していたらしい。
「何をしているんだ。落ちて死にたいのか」
ぐいっと後ろから腕を引っ張られ引き戻された私は慌てて姿勢を正した。お上りさん丸出しだっただろうか。
「こちらのお席になります」
案内の人に通されたのは、2階のわりといい席だ。
こういう特別な席に座るのは初めてなので緊張しながら開演を待ったけど、劇が始まってからは物語の世界に没頭していたため、隣にオリバー様がいることをど忘れして純粋に観劇を楽しんだ。
大喝采のまま終幕した劇。私は両手が痛くなるほどぱちぱちと拍手した。
すごくおもしろかった!
評判を聞いていたけどこれほど面白いとは。
「…楽しかった?」
まだ夢から覚めていない心地で余韻に浸っていると、横からかけられた声にハッとした。
そういえばいたんだった!
完全に存在を忘れて夢中になっていたよ!
「はい! とても!」
「そう」
彼は私の返事に興味なさそうに頷いていた。ゆっくり席を立つと手の平を差し出してきた。
「ほら、行くよ」
「は、はい」
私が恐る恐る手袋をした手を載せるとぐっと手を握られ、その力強さにドキッとした。手袋越しに伝わって来る彼の手の感触は男の人のそれだったから。
劇場を後にして王都で評判のサロンに連れて来てもらった私は、お茶をゆっくり飲んでいた。隣国から入荷したばかりだという茶葉を使用した紅茶は香りからして高級で、よく味わって飲まなくてはと集中して飲んでいた。
一緒に来店したオリバー様は少し席を外している。すぐに戻って来ると言っていたので、ちょっとだけ気が抜ける。
相手が貴族だからってのもあるけど、あの美麗なお顔で凝視されると胸が騒いで落ち着かないので、彼とふたりきりの時間は少々気疲れするのだ。
「あなたがオリバー様の婚約者?」
つんとお高く止まったようなそんな声が降ってきたのは、つかの間の心の平穏を味わっていたそんな時だった。
私はゆっくりを顔を上げる。
テーブル席の少し手前にはいつのまにか一人の女性が立っていた。豪華に巻いた黄金の髪の毛がキラキラ輝いて目に眩しい。胸の谷間を強調したきわどいドレス。泣きぼくろが色っぽいご婦人……はて、誰だろう。
「婚約者が出来たと噂に聞いたけど、ただの小娘じゃないの。聞くところによるとあなた、子爵家の分家筋の娘なんですって?」
「……そうですけども……あなたは?」
「あたくし? オリバー様の特別だといえばご理解いただけるかしらね?」
フフフと魅惑に微笑むその真っ赤な唇は色っぽい。
なるほど、オリバー様の恋人ってわけか。
「間に割って入るようにして彼を奪おうとしているあなたは邪魔者だって自覚はおありなのかしら?」
「えぇと、私が望んで結婚するわけじゃなくて、家同士が望んでいるので……」
こういう状況にいつか巻き込まれるんじゃと危惧していたが、思ったよりも早い時期に訪れたな。
「望んでいないなら子爵邸から出ていって下さらないかしら。彼と結婚したいわけじゃないのよね? あたくしが彼の妻となって子爵家を盛り立てるから安心して民草に戻るといいわ」
その発言に私は思わず眉をひそめた。
なぜそうなるのかと。
「あのう、この場合出て行くとしたらオリバー様なんですよね。彼はお婿に入る予定なので……私と結婚することがオルブライト子爵になる条件なので、私に出ていけというのはちょっと」
仮に私が出て行ってもオリバー様は我が子爵家を継げない。オルブライト子爵家の血を引く人間がいなければ意味がないから。
新たにオルブライト家の血を引く分家の人間を構えたとしてもそれが歳の頃がピッタリな女性とは限らないし。
オリバー様の生家であるハルフォード子爵家を、って意味でも無理だよ。一番目のお兄様が跡継ぎだし、その次にもお兄様もいらっしゃるから、オリバー様がハルフォード子爵家を継ぐ可能性は低い。
私の指摘に婦人はぽかんとし、徐々にその白い肌を赤く染めていた。
「うるさいわね! あなた自分のやっていることが厚かましいと思わないの!?」
「はぁ……一応愛人さんには別のお家で囲ってもらう事になってます。その場合、うちの財産は使わせないのでご了承ください」
「そういうことを言っているんじゃないのよ!」
目を大開きにした婦人はキンキン声で怒鳴ってきた。
ちょ、お店の中にいる人達がこっちみてるじゃない。やめてほしい。
「レイア、何をしているの」
「あ、ちょうどよかった。恋人さんがいらしてますよ」
「恋人……?」
騒ぎを聞きつけたオリバー様が足早に戻ってきたので、婦人の存在を知らせると、彼は怪訝な表情を浮かべて彼女を見ていた。
「僕に恋人はいないけど」
「でもこの方が、自分はオリバー様の特別だと。私に子爵家から出て行けとおっしゃるのでそれは無理だと説明した上で、別邸で囲うことはできると提案したんですけど……」
「はぁ?」
オリバー様の声が2トーンほど低くなった。
それと同時に彼の顔が不機嫌に歪んでいく。
「君、僕が愛人を抱えてるって思っていたの?そういえばふざけた契約書に書いていたよね。そもそもこの僕がこんな頭の悪そうな女を恋人にするとでも思ってるの?」
どうやら彼の不興を買ってしまったようだ。
「あ、あの。私は別に愛人を抱えてくださっても構わないんですけど」
「……もしかして、のちのち自分が愛人作るつもりだからそんな条件をもちだしたの?」
違います、すべては友好的な政略結婚のためです……
1番は円満な家庭だけど、合わない相手との結婚生活を我慢してもどうしようもない。
だからよかれと思って提案しているのに、そのすべてで彼を不機嫌にさせてしまっているような気がする。
彼の腕が持ち上がり、ぬっとこちらに伸ばされた。私は反射的に目をギュッとつぶって身構える。
「愛人を作れると思っているの? 作ったら相手の男がどうなるかわからないよ」
さきほどよりも至近距離から聞こえる低い声に、私が恐る恐る目を開くと、椅子に座った私を逃れなくするために背後にある壁に手をついて接近しているオリバー様の青い瞳が私を射抜いた。
わぁ美形、と見とれている余裕なんかない。明らかな怒りに染まったその瞳に心臓が縮む思いである。
「す、すみませ」
「いまさら謝ったって遅いよ。もともと許すつもりもないけどね」
ここではオリバー様の愛人予定の女性の話をしていたのに、なぜか私が将来愛人を作る話に切り替わって、詰められるという理不尽に遭わされた。
そしていつのまにか、【自称・オリバー様の特別な人】は姿を消しており、変な人の話を真に受けるなとオリバー様に続けて説教されたのであった。
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