第3話:母の味(後編)



「ちょっと席を外しますね」


 そう言ってカウンターの奥にトコトコ移動した彩香は、備え付けの電話機でどこかへと電話し始める。


「アレって……ダイヤル式電話ですよね?」

「よく知ってるな。そう、アレはいわゆる黒電話と同じ型だ」


 ――色は白いけど。

 太助の呟きを聞きながら、田鍋はじ~っとカウンターの奥を見つめていた。

 彼の心の中では「なぜ電話を?」「なんでダイヤル式?」といくつもの疑問が渦巻くが、割烹着姿の彩香がじーこじーことダイヤルを回す姿はレトロな和風感満載で無駄にしっくりきてしまう。

 やっぱり神様ではなくレトロな食事処の女主人なのではなかろうか。多分昭和 の。そう思うのも無理ないほどの光景だった。


 耳を澄ませば電話をしている彼女の柔らかい声が心地よく届いてくる。


「もしもし? はい、彩華です。今回はお願いしたい事がありまして――え? ちょ、ちょっと、そんないきなり『無理』なんて言わないでくださいよ。まだ何も説明スラしてないじゃないですかぁ」


「……あの、彩香さんはどこにかけてるんですか?」

「天国」

「天国?」

「そう、天国だよ。まあまあ、お酒でも呑みながら待ってればすぐに終わるさ」


 とくとくと酒を注いでくれた太助に「あ、ありがとう」とお礼をしつつ、田鍋はちびちびと酒を舐める。


 天国? なんで? 天国ってあの天国だよな?

 この店に入ってから不思議な気持ちになるのはコレで何度目だろうか。


 ただ、太助が言ったとおりに彩華の電話にはさほど時間はかからなかった。

 割と話し込んでいたような気もするのだが、お酒の力で時間の流れも変わっているのかもしれない。


「……はいはい。わかりました、ありがとうございます! ええ、ちゃんと伝えておきますね」


 ちん、と受話器を置いて、にこにこ顔の彩華が田鍋の前に戻ってくる。


「お待たせしました! では早速お逢いさせましょう」

「お逢いさせる、ですか?」

「はい。すぐにでも♪」


 また彩華の神様パワーでピカッと何かが生み出されるのか。

 先程の御業をもう一度見れるのかなと、田鍋はかなりワクワクしな


がら彼女を見守っていたが、カウンター下にしゃがんだ彼女が取り出したのは食材だった。


「卵とお米と、鶏肉にたまねぎ、あとはケチャップに――」


 鼻歌でも歌いそうにルンルンで食材を取り出した彩華は、続けて調理にとりかかり始めた。さすがに田鍋が身を乗り出しでもしないと手元までは見えなかったが、包丁で切ったり、フライパンで炒めたりしているのは動きと音で分かる。

 しかし、田鍋はとても驚いていた。


「えっ……!?」


 料理を作っている彩華が、もう二度と会えない母の姿とダブッて見えた。

 ずっと昔の、もう正確に思い出すのも難しくなっていたはずなのに。まるで本人が目の前にいて、子供の自分に対して料理をしてくれているかのような既視感。


 消えてしまったはずだった。

 忘れていたはずだったのに。


 自分が追い求めていたものが、どういうわけか頭の中から掘り起こされていく。

 

『かあちゃん、まだー? おれ、おなかペコペコだよー』

『もう少しだから、もうちょっと待ってなさいねー』


 幼い日の田鍋は、よくそんな風に母に催促していた。

 子供の無邪気なせっつきに、母は叱りもせずたくさんのご飯を作ってくれたものだ。


「はい、お待ちどうさまでーす♪」


 彩華が声と目の前に置かれた皿の音で、田鍋はハッと意識を戻した。

 思わず周囲や自分の両手を見る。そこにあるのは不思議でレトロなお店と大きくなった自分の手。決して昔住んでいた家と子供の手ではない。


 だが、同じ物はあった。

 彩華が作ってくれた料理は、母がいつの日かに作ってくれた料理と同じだったのだ。


「これは、まさかっ」

「ふふっ、そうです。田鍋様のお母さん特製のオムライスです」


 ラグビーボール型のふんわりたまごは赤いケチャップで彩られ、一本の旗が立てられている。その子供向けの配慮は今の田鍋には気恥ずかしいが、そういえば母は面白がっていつもそうしていたのだ。

 見栄えも匂いも、蘇りつつある記憶のまま。おそらくスプーンを割り込ませればしっかり味の付いたチキンライスが見えてくるに違いない。


「ささっ、まずはあったかい内に召しあがってください」

「……いただきます」


 おそるおそる、田鍋はスプーンでオムライスをすくってみた。

 半熟具合も完璧、中身は予想通りのチキンライス。ソレをゆっくりと口いっぱいに頬張る。


「ッッッ」


 衝撃が、走った。

 田鍋の頭からつま先まで、雷でも落ちたかのような驚きと感動のだ。


「そんな、どうして……」


 口内に広がる味は、まごうことなき母が作ったオムライスの味だった。

 一人前の料理人になった田鍋がどれだけ再現しようとしても完璧にはできなかった味が、ここにある。


 手を震わせながら、田鍋は夢中でオムライスを食べ始める。

 一度、二度三度とオムライスをすくうのが止まらない。空いてる左手で皿を掴み、丼物をがふがふっとかきこむように、その味を堪能する。

 子供の自分がそうしていたように。


「う、うぅ……」 


 いつの間にか。

 田鍋の目から大粒の涙があふれていた。大の大人が、泣きじゃくりながら食べ進めていた。


 その味と再会できた嬉しさを忘れないように。

 思い出の料理を全身で覚えようとしているかのように。


「ふふふっ、慌てなくて大丈夫ですよ。ご希望があればおかわりもありますからね」

「飲物が欲しければオレに言ってくださいね」


 おそば屋の女主人達は、田鍋が落ち着くまで優しく見守り続けていた。


///


「す、すいません。お恥ずかしいところを……」


 すっかり食べ終えた田鍋が顔をあげると、そこには滂沱する彩華がいた。


「うぅ、良かったですねェ田鍋様ぁ」

「なんで彩華様が泣いてるんですか?」

「だ、だってぇ……よかったぁって感じてたら勝手にあふれてきちゃうんだものぉ」


 よほど感受性が高いのか。女主人は太助から渡されたおしぼりで涙を拭いていた。

 神様の割にはなんとも人間臭い仕草に田鍋は苦笑してしまう。


「しかし、どうやっておふくろの料理を再現したんですか?」

「それはですねぇー、直接聞いて教えてもらったんですよ」


 そう言いながら彩華が取り出したのはマル秘と書かれた小瓶だった。


「その小瓶は、ウチにあった……」

「はい、田鍋さんのお母さんが作った手作り調味料です。材料は醤油やコンソメ、あと砂糖、他だそうですよ。なんでも材料は決まった産地のものを使わないといまいちな上に、分量は長年の勘による目分量だったようで……」


「それは……なるほど。そう簡単に再現できるものではないですね。いや! いやいや! そうじゃなくて! 問題はなんでそんなものをあなたが持ってるかですよ」

「ですから、直接教えてもらったんですってば」

「誰から!?」


「田鍋様のお母さんに、です」


 ニコニコの彩華の言葉は謎の説得力があるが、素直に信じるには難しい。

 だから田鍋は困惑しっぱなしだった。


 さすがにそのままは酷だと判断したのか。傍に控えていた太助がフォローを始める。


「田鍋さん。彩華様が先程お電話したのは、この世を去った者が行く世界――いわゆる天国やあの世と呼ばれる場所なんだ」

「ええ……?」

「その反応はもっともなんだが、こんなんでも彩華様は顔が広くてね。天国の知り合いを通じて、特定の誰かと話すこともできる」


「それも神様パワーなのかい?」

「ああ」

「……信じられない――とは、今更言えないか」


 田鍋が食べたオムライスの味は、本物だった。

 まごうことなき、母が作ってくれたおふくろの味そのものだったのだから。


「太助くんフォローありがとー。そんなわけで、さっきお母さんから直接お話を伺って料理を作ってみたってわけですね」

「……あの」


「はい?」

「その電話を使えば、オレでもおふくろと話すことは可能なんでしょうか?」


 当然の質問と言えば当然の質問だった。

 しかし、その問いに対して女神はゆっくりと首を振る。


「ごめんなさい。残念ですが、それはできません。色々と禁則事項があって」

「そうですか……そうですよね。そんな簡単な話ではないはずだ」


 もしソレが可能であれば、きっと彩華は田鍋を電話口に立たせただろう。

 そうしなかったということは、つまりそういうわけなのだ。


「けれど……お伝えしたいお言葉は預かっていますので」

「え」

「復唱させていただきますね」


 次の瞬間、料理をしていた時と同様に。いや、それ以上に彩華に母親の姿がダブって見えた。存在感すらある、本当にこの場にいて、息子に対して気持ちを伝えようとする母が。

 そんな彼女が息子に伝えたのは、ほんの一言だった。


『――頑張りな』



「お、おふく…ろッッッ」


 田鍋は我慢できず、今度こそ泣き崩れてしまうのだった。


///


「あの、いろいろとありがとうございました。それと、ご馳走様です」

「お粗末様でした♪」


 店から出ていく田鍋の手には、母親のマル秘調味料が入った小瓶とレシピが書かれたメモがある。

 一人前の料理人である彼ならば、すぐにでも母親と同じ味が作れるようになるだろう。引き戸を開けて店の外に一歩を踏み出した田鍋の顔に、もう後悔の色は残っていない。それを確認した上で、彩華は今夜のお客様に最後の声をかけた。


「田鍋様。お母様の味を出していたのは、マル秘調味料だけではありませんよ」


 田鍋がゆっくりと振り返る。

 

「あなたを想うお母様の愛情。それが味の決め手です」

「……はい!」


 深夜の道を田鍋は歩いていく。

 彼の頭の中には、これから作りたい料理が次から次へと浮かんでいた。


 けれど、まず最初に作るべきものは決まっている。

 下手な物を出したら怒られてしまうだろうから、修行を怠ってはならないが。


 また、店で出すならメニュー名を決めなければならないのだが、名前は既に思いついていた。


「まっ、『おふくろのオムライス』だな」 

 

 

 ――今日もまた、ナニカと出会えたお客様が店を後にする。

 お店の名前は 神様のお傍屋さん。

 どこか変な女神様達が営む、不思議なお店である。





おしまい


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