第2話:母の味(中編)
「お
「はい! ウチは蕎麦屋ではなく傍屋なんです」
ニコニコしながら説明する彩華に対して、田鍋は怪訝な顔をしていた。
そんなやり取りを見慣れている太助は口出しせずにその場を見守っている。
「それは失礼しました。表の看板をみて、てっきり蕎麦屋かと思ってしまって。山菜とろろ蕎麦が食べたいなどと」
「いえいえ、それ自体は大丈夫なんです。このお店はあなたの注文に“合わせる”お店でもありますので」
彩加が柔和な笑みで手をパタパタと横に振ると、田鍋の不思議な気持ちが一層増して表情に洗われていく。そこでさすがに限界だと判断した太助が「はぁ」とため息を吐きながら口を挟んだ。
「田鍋さん、横からごめんよ。さすがに今の彩華様の説明じゃ全然わからないだろうからオレが説明させてもらうわ」
「あ、ああ」
「まず、このお店は食い物のお蕎麦屋じゃなくお傍屋だ。お傍屋ってのは、訪れた客の傍に寄り添うってところからきている。そんで、具体的に何をする店かっつーと――」
「お客様のお話や悩みを訊いて、それを解決する手助けをするお店なんですよ~♪」
太助と彩華の声に耳を傾けつつ、気持ちを落ち着かせる意味をこめて田鍋は山菜とろろ蕎麦を口に運んだ。かき混ぜたとろろのねばりと汁にひたしたなめこ・わらび・ゼンマイの味が口の中で合わさってとても美味しい。
温かいものを食べた口から、ほぅと安心するような白い息が零れていく。
「……まだよく理解できていなさそうですが、ひとまずこの蕎麦は非常に美味しいです。これでも私は職業柄食べる物にはこだわったりするんですが、こんな美味しいお蕎麦は初めてかもしれません」
「あらあら、それは良かったです。お出しした甲斐がありました」
「お蕎麦屋さんではないというなら、他にもメニューがあるのですか?」
「はい! 田鍋様が望むならすぐにご用意できます」
「まるで魔法のようだ」
「ああいえ、魔法じゃなくて神様パワーなんですよ~」
「……いま、なんて?」
「神様パワーです。これでも私はイイ感じの神様でして。その力を用いれば、食事はすぐにご用意できます」
ぽわぽわ話す彩華に対応しきれなくなった田鍋は、遂に指で眉間をおさえてしまった。神様パワーとはまた子供のおままごとでも早々聞かないような名称だ。しかし、それが本当なら、いきなりカウンター下で発光した後に山菜とろろ蕎麦が出てくるのも説明がつく。
「いや……つく、のか?」
「混乱させてすまないけど、彩華様が神様なのは事実ですんで。神様パワーだと受け止めきれないのであれば神通力とか……そんな感じでひとつ」
「太助くんもその……神様だったりするのかい?」
段々素の口調に近づいてきた田鍋の質問に、太助は「俺はあの人のしもべなんで」と首を振った。
「ははは……これは一体どうしたっていうんだ。まさかこの年になって神様と出会うなんて思いもしなかった」
「まぁまぁ、とりあえず一献どうですか?」
「……いただきます」
お猪口についっと注がれた透明な酒はとても良い香りがして、田鍋はそれをぐいっと一気に煽る。これまた素晴らしい酒で、田鍋は自分の心がふわふわと軽くなるのを感じていた。
「ふはぁ……これもイイ酒ですね!」
「当店特製です♪ それでどうでしょう。何かお話になってみたいものは思い当たりますか?」
まるで心を見透かすように、彩華はじっと田鍋を見つめた。
美人にお酌をしてもらい、蕎麦でお腹も満たされている。よい塩梅で満足感を得ていく田鍋はすっかり心のガードが下がっていた。
(まあ、彼女らがどんな存在なのかはともかく……少し話してみるのもいいかもしれない)
そう考えた田鍋は、少しだけ俯き加減に口を開いた。
心に溜まった淀みを吐きだして、少しでも気持ちを軽くするように。
「実はオレ……先日になって、母が亡くなっているのを今更知ったんです」
さっきまでの楽しげな雰囲気が嘘だったかのように、田鍋は沈痛な面持ちで話し始めた。ソレは彼が悲しみに暮れるまでの人生の物語であり、ある種の懺悔だったのかもしれない。
――オレの家はこう言っちゃなんだけど、ずいぶん貧しいうちでね。子供の頃からまあまあ食うもんに困ってたんですよ。だからまあ、なんとか美味いもんをオレに喰わせようと母はとても頑張ってました。母子家庭で頼れる男手もいないしね。
そんな生活を続けていく中で、オレも変にグレちゃいました。
最初は貧乏な母やオレをバカにする連中をぶっ飛ばしてただけなんですけど、段々家に帰るのも嫌になって、気付いたら似たようなやつらとつるんで夜の町で色々と、ね。
そんな折、出会いがあった。
とても美味しい料理を作れる料理人――後に師匠と崇める人に会えたんです。師匠が作る料理は本当に美味しくてね! こんな満たされる物がこの世にあったのか!! なんて周りの目もある中で号泣しましたよ。
それで本当に無鉄砲というか向こう見ずというか、オレはその場で師匠に弟子入りを志願したんです。まさかすぐに許されるとは思ってもみなかったなぁ。
「あら! なんて素敵な出会いなんでしょう。田鍋さんの料理道はそこから始まったんですね」
「まだまだ進んでる途中の若輩者ですがね」
彩華に褒められた気持ちになった田鍋は少しだけ照れくさそうに鼻の頭をかいたが、またすぐに重い表情に戻ってしまった。
「そんなんだから、今頃になって悔やむハメになってるんですよ」
――師匠は外国の料理人でした。しかも非常に腕のある、誰もがその味を認める素晴らしい料理人です。そんな人の下で修業できるオレは幸運だった。目指したい味がそこにあるってわかるだけでも、案外頑張れるもんです。
辛く長い修業時代は、オレにとってかけがえのない大切なものだった。……あ、いやでも、アレ以上厳しくされてたら泣いて逃げ出してたかもしれないですが。
ほんとに辛くて師匠みたいになるのを投げ出しそうになった時にね、師匠がこう言ったんですよ。
『お前は誰のために料理を作りたい? 誰に美味しいって言ってもらいたい?』
思い浮かんだのは『母』の顔でした。
半ば家出同然で飛び出したバカ息子を「修業が終わるまで帰って来るな」と見送ってくれた、優しい母に自分の料理を食べてもらって、『美味しい』って言ってもらえたら……最高ですよね。
空になったお猪口に、彩華が徳利を傾ける。
田鍋はそのお酌をありがたく受け、ちびりちびりとゆっくり呑んでいった。
「ずいぶんかかってしまいましたが、こないだ、ようやく師匠から一人前と認めてもらったんです。もうお前に教えることはないから、後は自分で研鑽しろってね。全然楽にさせてくれませんよ本当」
「いいお師匠様なのですね。田鍋様が腕を磨き続けられるように願いをこめてくれたのでしょう」
「はい。オレには勿体ないくらい良い料理人でした」
また一口。
田鍋は酒でのどを潤した。その上で、ハッキリと話の核心に触れる。
「バカなのはオレだけです。意気揚々と故郷に帰って、おふくろに修行で磨いた料理の腕を見せてやろうとしたのに…………ッッ」
そこから先はボロボロと零れ落ちる大粒の涙に阻まれて、言葉にならなかった。
店の女主人は何も言わずにその様子を見守り、店員の少年は何も言わずにおしぼりを田鍋の前に置く。
「もっと早く……オレが一人前になれていれば、それとも……そもそも家を飛び出していなければ……おふくろに料理を振る舞うぐらい簡単に出来てたと思うんです。そう考えてしまうと、やりきれないですよ」
太助が用意してくれたおしぼりで田鍋が涙をぬぐう。何度も何度も、目から大きな後悔が零れていくたびに、彼は強く目元をこすった。
「おふくろが営んでいた小さな定食屋のレシピは、残っていませんでした」
その独白に味がついていたとするならば、とても苦かっただろう。
「オレは……大切なおふくろに料理を振る舞えなかっただけじゃなく、その味すらも引きつげなかったんです。何度記憶を掘り起こして作ろうとしても、どうしてもあの味にならなくて……」
「一人前の料理人になった田鍋様でも作れない程、難しいものだったんですか?」
「なにぶん二十年は前の事というのもありますが……おそらく決定的に欠けてるものがあるんですよ。それが材料なのか料理法なのかはわかりませんが……」
そこまで田鍋が話し終えたところで、ポムッ! と彩華が両手を合わせた。
「わかりました。その決定的に欠けてるものが分かればいいんですね」
「え、ええ……まあ、そういうことになりますかね」
「では、聞いてみればいいんですよ」
「はい? 聞くって、誰にですか?」
不思議そうに問うたお客様(田鍋)に対して、店主(彩華)はさも当然とばかりに答えた。
「ふふふっ、もちろん田鍋様のお母さんにですよ」
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