神様のお傍屋さん
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第1話:母の味(前編)
日本情緒あふれる建物や景色の町、神織市。
神が降りてくる場所の伝説がいくつも伝わっているこの町の一角には、珍しいお店があった。
――そこは不思議なおそば屋さん。求めるものに逢わせてくれる優しい神様のお店――。
◇◇◇
「……こんな店、前からあったかな?」
夜の神織市。
酒の酔いを醒ますためにフラフラ歩いていた三十代の男性――田鍋は、見知った路地の曲がり角の先にあった店の前で立ち止まっていた。
外灯の明かりは多少はあるものの、今はそれなりに遅い時間であり閉店する店ばかり。だが、目の前にあるお店の入口の引き戸や小さな窓からは明るく優しい光が外へと零れ出ていた。
「飲み屋……なのか?」
しかし、赤提灯のようなものは見当たらない。
しょぼしょぼする目をじっとこらすと、入口の上にある大きな木の看板には「おそば屋さん」と書かれていた。つまりは、
「なるほど、蕎麦屋だったか」
こんな店があるとは田鍋も知らなかったが、小腹が空いてきていた彼は吸い寄せられるようにおそば屋さんへと足を踏み入れていく。
ガラガラガラ、と田鍋が入口の引き戸を開けていく。
するとこの神織市らしい古民家カフェのような――は言い過ぎだが、昔の古き良き食事処といった雰囲気の温かみのある店内が目の前に広がった。冬の寒さで硬くなっていた体が一気にゆるむ。
あまり広いお店ではない。
どうやらコの字の形をしたカウンター席がメインのようだが、それも十人は座れないだろう。その他に四人掛けの古ぼけたテーブル席が二つ程あったが、そのどれにも客はいないため今は田鍋の貸しきり状態のようなものだ。
「いらっしゃいませ~♪」
カウンターの中から耳に心地よい声が聞こえてくる。
田鍋がそちらへ身体を向けると、にっこり微笑んでいる着物エプロン姿の美人さんと目が合った。
「こ、こんばんは、一人だけどいいですか?」
「もちろんです。どうぞこちらの席へ」
少しだけ挨拶をつっかえさせた田鍋が、女性が手で示したカウンターの席にゆっくり腰を下ろす。
酔いはわずかな間に急激に醒めた。それだけ、着物エプロンの美人さんはとても綺麗な人だったのだ。その煌めくように白いまとめ髪からして日本人では無さそうだが、妙に着物エプロンが似合っているのも素晴らしい。
もし田鍋が十年程若かったらドキドキしすぎてロクに顔も見れなかっただろう。
「改めましてこんばんは。私はこの店の店主で
深々と丁寧なお辞儀をされて、田鍋は困惑した。
どういう理由があるのか見当もつかないが、蕎麦屋で店員がいきなり名乗り始める経験はこれまでにないからだ。
もしかして蕎麦屋を装ったそういう夜のお店なのか? そんな疑問を少しだけ抱きはしたものの、彩華と名乗った和風美人は別にそういったタイプの人間が放つ蠱惑的な雰囲気が一切ない。
(よくわからないが、ここは俺も名乗った方がいいのだろうか)
そう思ったのは、どこかそうした方がいいような雰囲気がこの場にあったためだ。なんだか彩華の前にいると黙っている方が失礼な気がしてきてしまう。
「オレ……いや、僕は田鍋と言います」
「田鍋様ですね♪ 早速ですがご注文はどうなされますか?」
「んん、それではえーと…………」
なんとか平静を装いつつ田鍋がカウンターの上や店の壁をキョロキョロと確認するがどこにもメニューがなかった。それを不思議に思った彼が「すいません、メニューが見当たらないのですが」と尋ねようとすると、横からスッと水が注がれたコップがトンと置かれた。
「お冷です」
「ああ、どうも」
田鍋が反射的に礼をした相手は、二十代前半から十代後半に見える若者だった。短くまとめたライトブラウンの髪色や目つきの悪さが、どことなく不良っぽい。
「太助くん、お水ありがとう」
「彩華様! そんな当然のことはどうでもいいんで、ちゃんとお客さんに説明してあげないとダメですよ。いきなりご注文はなんて聞かれたって、どうすればいいのかわからないでしょうが!」
「た、太助くんが怒った……」
「しゃんとしてくれればこんな事言わなくて済むんです!」
太助くんと呼ばれた青年に注意されて、彩華がしょんぼりする。
いきなり始まった店員コントのような光景に対して田鍋は目を丸くした。客の前で何をしているんだろうとすら思う。ただ、しょんぼりする彩華はちょっと可愛い上に面白いのでつまらなくはない。
とはいえ一声かけずにはいられないのだが。
「僕は全く気にしてないので、そちらも気にしないで大丈夫ですよ。それでメニュー……というより注文はどうすればいいですか?」
「はい、店長様お願いします」
「かしこまり~♪」
怒られたばかりなのにとても軽いノリで返事を彩華がしたので、太助に再び睨まれた。それでようやく彩華がちゃんとした説明を始める。
「田鍋様。注文に関しては、お望みのままにおっしゃってくださればいいですよ」
「んん? それってどういう……まさか僕がお願いしたらなんでも出してくれるんですか?」
「はい、そうです♪」
まさかすぎる注文方法に田鍋は深く悩んだ。
大丈夫かこの店という気持ちもさすがに多少はある。だが、それよりも大きく興味が沸いてくるのも事実だった。
そこで彼がした注文は、
「では、山菜とろろ蕎麦のあったかいのを1つお願いします」
蕎麦屋ならありそうな、されどちょっと豪勢な蕎麦。
元々蕎麦屋に入ったつもりだったのだから、当然といえば当然な注文だった。
「えっ? あ、はい! かしこまりました、すぐにご用意しますね!」
しかし、彩華にとっては予想外の注文だったのか。
彼女はどこかしっくりきてなさそうな表情を浮かべてから、カウンター内でしゃがんだ。するとカッ! と一瞬だけ強い光が放たれて、
「どうぞ~、山菜とろろ蕎麦です♪」
どんぶりに盛られた、とても美味しそうな山菜とろろ蕎麦が出てきた。
待ち時間は三十秒もなく、蕎麦を茹でたり汁を準備した素振りもない。コレがインスタント食品だとするなら革命的だ。
「………………は?」
完全に心の声が口からこぼれ出た田鍋が、頭が追いつかない状態のまま蕎麦と一緒に出てきた割り箸をパキンと割って注文した品をずるずるとすする。
その山菜とろろ蕎麦は、お世辞抜きでとても美味しかった。
しかし。
「あの、今のどうやったんですか???」
その美味さをもってしても、当たり前だが田鍋の疑問は払拭されず、
「隠すの下手すぎません……? つか、ド下手ってレベルじゃねえし」
近くに控えていた太助が口調を荒くしながら頭を抱えている。
「ふふふっ、お傍屋さんでお蕎麦を注文してくれる粋なジョークに動揺しちゃった」
尚、当の本人は反省する様子もなく、てへペロっとしていた。
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