第8話 銀の鍵


 ――ベルキー。ねえねえ、ベルキー。


 小さな私とベルキーの、やり取りが聞こえる。


 ――この鍵は、私が持っていても、いいかな?

 ああ。お前が持っているのが、いいだろう。


 ――次にこれを使うのは、どんなときかな?

 お別れのときだろう。もうオレを使わない日が、来たときだ。


 ――嫌だな、そんな日が来るの。

 いつか来る。楽器には、寿命というものがある。


 ――でも、弾けなくなっても、お話はできるかもしれないよ?

 その可能性はあるな。


 ――そうしたらベルキー、やっぱり、傍にいてくれる?

 ああ。傍にいよう。


 ――じゃあ、大きくなっても、ずっと一緒だね。

 一緒だな。


 ――でも、もしかしたら、私が先に死ぬのかな。

 その可能性もあるな。


 ――そうしたら、ベルキー、鍵はどうしよう。私が持っていても、いいかな?

 ああ。お前が持っているのが、いいだろう。


 ――じゃあ、やっぱり、ずっと一緒だね。

 一緒だな。


 ――でも嫌だな、そんな日が来るの。

 嫌だな……。


     *


 某年某日、太平洋沿岸を襲った大地震。

 家屋の倒壊や道路の寸断があちこちで見られたものの、奇跡的に被害は、最小限と言っていいほどに抑えられたらしい。

 残念ながら死傷者ゼロというわけにはいかなかったけれど、それでも日本の別の地を襲った過去の大地震に比べれば、被害は少ない方だったとか。


 我が鈴木家は、家族はみんな無事だったものの、家は壊滅的な状態になった。

 次女のさほりが意識不明の状態で助け出されたときには、あわや、との憶測も走ったけれど、すぐに無事だということが判明した。その点で鈴木家は幸運だったと言える。


 でも主観的に言えば、私は家族を一人、失っていた。

 倒壊した家屋に近付くことは、しばらく許されなかった。

 幾日かの避難所生活を経て、ようやく許可が下りて行ってみたところ、そこは既に鈴木家の「跡地」というべき場所になっていた。

 貴重品や私物、損傷の少ない家具なんかは引き取ることができたけれど、その中にあのズッシリとした、艶やかな黒い体の持ち主はいなかった。


 ベルキー。

 あんた、どこ行っちゃったの?


 ずいぶんと見晴らしのいい空を眺めながら、私はぼんやり立ち尽くす。


 壁の残骸の中に、転がっている自分の「大事なもの入れ」を発見した。

 それをぎこちなく拾い上げて、中を確かめる。

 河原で拾ったきれいな小石や、幼稚園の先生にもらった手紙や、色鮮やかな鳥の羽。

 自分にしか価値のわからない宝物に混じって、シンプルな銀の輝きを放つ古風な鍵が、体をまっすぐにして横たわっていた。


――さほり、腹の具合が変だ。

――そこから出るなよ。


 鍵をぎゅっと握り締めたら、手の平に痛みが走って、視界がぼやけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る