第4話 再診

 開院時間である朝8時、病院の電話がなる。

 入院しているリーネの経過が順調であることに満足し、今後の看護計画を立てていた百山は突然の電話にカルテを落とし、コーヒーを倒して、椅子を倒しながら電話を取る。


「はい、わか、じゃない、えーっと掛縁動物医療科、です」


「あ、おはようございます。昨晩お世話になった多千花リーネの飼い主です」


「ああ、おはようございます。リーネちゃんは調子も上がって朝から食事も取れていますよ。腹水も想定内の量で感染兆候などもなく経過は順調です」


 専門的な話になると急に離す速度が上がり、そして専門用語が飛び交うために、多千花は少し状態がわかりにくかったが、とにかくご飯を食べていることに安心した。


 多千花は電話が苦手だった。電話を通すと相手の気持がわからないからだ。

 しかし、不思議と百山の言葉には裏表がないと信じることができた。


「ありがとうございます。すみません昨夜は気が動転していてお支払いもせずに帰ってしまって、これから向かいますので」


「あ、こちらこそすみません……お待ちしています」


 多千花はバイト仲間に今日のコンビニバイトを交代してもらうように手配していた。

 バイトの時間になると、店長から


「流歌クン、オハヨウ~(^o^)今日はバイト🏪のはずだよね? 居なくてびっくりしたよ😙どうしたの風邪かな?大丈夫🤔?僕も最近体調を崩しやすく🤐なってるんだよね~。お見舞いに行ったほうが良いかな😍? 心配だから今度美味しい😁ものでも食べに行こうよ😂。僕のおすすめは焼肉🥩次のバイトで会える💕💕💕のをたのしみにしてるからね~😎😎😎」


 こんな感じのメッセージが大量に送られてきてうんざりしている。

 40過ぎで妻子もいるのに下心丸出しのアプローチ、わざわざシフトを被せてのセクハラに、嫌気が指していた。


「もう辞めようかな……」


 そう考えると、頭によぎるのが昨夜の出来事だった。

 眼の前で繰り広げられる命の輝きに興奮した夜。

 命を救ってもらった。そして、自分自身も命を助ける手伝いをしたと思うと、なんとも言えない興奮を感じた。

 それに、百山先生……

 多千花は、自分が気合を入れてメイクをして洋服を選んでいることに気がつき、少し頬を赤らめた。普段外に出る時にはマスクを良いことにノーメイクでジーパントレーナーのくせに、久しぶりにメイクをしている。夜のバイト以外でメイクをするのは本当に久しぶりだった。


「な、何もないけどさっ……」


 あの、はにかんだ笑顔が、脳裏を飛び回っている。

 ブンブンと頭を振って準備を終わらせる。

 滅多に着ないワンピース、それに明るいカラーのセーターを合わせている。

 思ったよりも自分が気合が入っていることに、気恥ずかしさを覚えたが、大恩ある人にお礼を言いに行くのだったらこれくらい問題がないと自分に言い聞かせた。

 それと、大事にしまってある封筒をカバンに入れる。


「また、今月も節約しないとな」


 ネットで調べた手術費用に、多千花は驚いてしまった。

 しかし、背に腹は代えられない。痛い、大変に痛い出費だが、どうにかするしか無い。


「バイト、辞められないよなぁ……」


 空を仰ぐしかなかった。


 一方掛縁動物診療科は……完全に閑古鳥が鳴いていた。

 百山はとりあえず自分がめちゃくちゃにした場所を片付けて、入院患者の処置をして、仕方がないのでパソコンで新しい論文のチェックや自分でまとめている書類の整理を行って時間を潰していた。もともと獣医師と看護師二人の病院だったために、いろいろなことを理解しておかねばならないために、看護師の手嶋氏から根掘り葉掘り聞き出して、手嶋は本当にめんどくさそうに答えていたが百山は無視して質問しまくった、まとめていたものが役に立っていた。もし次の看護師が来たら業務内容がわかるようにまとめていく。

 不思議なことに、百山はそういったことは非凡な能力を持っている。

 資料はわかりやすく簡潔に使いやすく作られていく。


「こんな感じかな」


 十分程で見事な看護師のマニュアルが完成する。

 それと同時に来院を知らせるブザーがなる。

 慎重に気をつけながら受付に向かい、扉を開けて肩を激しくぶつけながら受付に出る。


「先生、大丈夫ですか?」


 やはり現れたのは野暮ったいだらしない、ドジな男で、昨日の自分のときめきを返して欲しいと思わなくもなかったが、庇護欲というものを刺激されてしまう多千花。


「だ、大丈夫、です多千花さんお待ちしてました」


 痛みも合わせてよりか細くなった声にも、多千花は普通に返事をする。


「とりあえずリーネちゃんを連れてきますので診察室でお待ちください」


 気がつけば野暮ったい前髪の間から時折見えるまつげの長い瞳を目で追ってしまっている自分がいることに気が付き、


「は、はいっ」


 動揺しておもったよりも、上ずっている自分の返事に恥ずかしくなる。


 しばらくすると百山がリーネを優しく抱えて診察室に入る。

 動物を抱えているとスムーズに部屋に入れるその様子に、少し笑みがこぼれてしまう多千花であった。

 リーネは多千花の姿を見るとブンブンとしっぽを振って笑顔を見せる。

 昨日の苦しんでいる姿はどこかへいったかのように元気に見える。


「すごい、元気になってる!」


「動物は凄いですよね、あんなに大きな手術をして一晩でご飯を食べるんだから……」


 目を細め、優しくリーネを撫でる百山、だーーーかーーーらーーー、そういうとこ! と心のなかで多千花は非難する。


「とりあえず明日までお預かりして血液検査とドレーンからの廃液が問題なければ抜去して食欲もあるので各種薬は注射から内服に出来ると思うのであとは家で安静にしてもらいながら一週間後と二週間後に再診に来てもらって傷口の状態を見ながら抜糸を行いあとはお家で様子を見る形で問題ないと思います。もう少しして暖かくなったら各種予防を今後はしっかりとやってリーネちゃんの健康をまもることが飼い主としての責任ですから」


 流石に情報量が多く、多千花は理解しきれなかった……


「ええっと、次は一週間後に来れば良いんですか?」


「ああ、そうだ、まとめてあったんだった」


 裏に引っ込むとガシャンという大きな音とゴッという鈍い音をたてながら、一枚のプリントを持った額を抑えた百山が現れる。


「こ、これです……」


 赤くなった額をこすりながらプリントを手渡す。

 びっしりと書き込まれて一瞬ビビったが、読んでみるとわかりやすく要点がまとまっていた。


「これ、先生が作ったんですか?」


「ええ、時間があったので」


 これを利用すれば、この人の誤解を受けやすい態度もなんとか出来るんじゃないかな? 多千花はそう思った。


 その時。


「おーい、慧人! いるんだろー!?」


 待合室から大きな声がした。

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