第2話 『見えない師匠』ができました

 それは夢幻のような経験だった。

 ある幼児の生誕から現在に到るまでの成長記録を、その幼児の主観をもって見るという。映画のようであり、そうではない確かな実感と抱いた感情が付随する。自分のことのように感じる《僕》でありながら、一方では他人事のように客観的に《私》がそこにいる。何とも不思議で奇妙な経験であった。


 後から考えると、それはこの肉体の持ち主でそれまで生きてきた《僕》と死んだ記憶を持つ《私》との記憶統合作業であったのだろうと思う。ここで重要なのは、《僕》もまた《私》ということだ。

 驚いたことに《僕》と《私》は、同一の魂でああり同一人物だったのだ。けして、私が《僕》の肉体をのとったというわけはない。むしろ、死に瀕したことで死にたくないという幼が故に単純で強烈な《僕》の想念が、輪廻転生された際漂白された筈の《私》の最期に染みついた死にたくないという生への渇望と結びついて、《私》の記憶や人格を引っ張り出すことになったのではないかというのが師匠の見解であった。


 死にたくがない故に、前世の記憶と人格を引っ張ってくるとは何という荒業であろうか。


 「人って凄いね」


 『そうじゃろう?人には多大な可能性があるのじゃ』


 感心するほかない私に、師匠は満足気に頷くのであった。




 唐突であるが、男には師匠ができていた。師匠というのは言うまでもなく、男が気絶する原因となった人型の霊魂である老人のことだ。


 実は男は、老人に世話になりっぱなしだったのだ。


 例えば、両親が家にいなかった理由は、原因不明の高熱に苦しむ息子のために最後の手段として神頼みをする為だったし、そうなるように夢にでて誘導したのは老人であった。また、初の退魔に成功したものの、そのまま室内でぶっ倒れてしまったわけで、帰ってきた両親に発見されればあわや大騒ぎになるところを、男の肉体に憑依して盛り塩などを後片付けした上に、ベッドで寝ている状態にしたのは老人の手腕だ。


 男としては、勝手に肉体に憑依されたことや、気絶する原因あんただろと文句をつけたのだが、老人が声をかけなくても、初の退魔で気力体力霊力を消耗していたので、遠からず同じ事になったであろう事を指摘され、内心自覚があっただけに黙るしかなかった。


 さて、そんな老人がなぜ男の師匠になったのか?それを説明すべきであろう。


 話は両親が帰宅し、いつの間にか高熱が下がって、安らかな寝息をたてていることを確認して、喜びに包まれていた頃に話は遡る。男は夢という形で、老人と会話していた。


 「というか、憑依とか簡単にできるもんなのか?」


 「いやいや、無論本来なら容易ではない。小僧のような莫大な霊力の持ち主であれば尚更よ。意識を失っていたとはいえ、魂魄は健在なのだから」


 「その割には、あっさりだった気がするが」


 「そらそうじゃ。儂は小僧の守護霊にして大先祖じゃからな」


 「はっ?先祖?いや、待てよ――――守護霊って、本来そういうのから護ってくれる存在なんじゃないのか?」


 男もそれなりに雑学はある方だ。祖霊信仰や守護霊などについても、多少なりとも知識はある。それからすると、本来防ぐべき存在がそれを守護対象にやっているのだから、本末転倒もいいところである。


 「まったくもってその通り。じゃが、そうしていなかったら、小僧はとんでもなく面倒なことになっていたじゃろうな」


 「ぐ、ぬ」


 「まあ、そう怒るでない。むしろ、誇るがいい。儂を守護霊としてひけた幸運を。天下の道摩法師に学べるのだからな」


 「道摩法師?あの蘆屋道満!?平安の大陰陽師安倍晴明のライバルで負けたっていう?」


 思わぬビッグネームに男も驚きを隠せない。


 「負けたのではないわ!負けたことにしたのよ。娘婿でこれからも京の都に残るあやつに花を持たせたに過ぎぬ。あやつは確かに理外の天才じゃが、全盛期ならいざ知らず、あの時では経験も年季もたりとらんわ!」

 

 あの蘆屋道満を名乗るだけあって、老人は中々に負けず嫌いでプライドが高いようだ。微妙に声音が強くなっている。 


 「娘婿?晴明の妻って蘆屋道満の娘なのかよ!じゃあ、あの勝負もやらせってこと?」


 驚愕の事実に男は目を剥く。そんな話は初耳であった。


 「なんじゃ、そこらへんは伝わっとらんのか?まあ、あやつのことじゃ、その方が都合が良いとあえて伝えんかったのであろうな。別に完全なやらせというわけではない。あの勝負はな、どちらが野に下るかということを決めるためのものだったのじゃ」


 「どっちかが野に下る?どういうことだ?」


 「平安の世には、良くも悪くも呪詛や怪異は言うまでもなく、果ては妖魅や邪神・悪神の類さえも溢れるように存在しておった。そして、それは京の都に限った話ではなかったのじゃ、まあ、京の都に集中していたことは否定せんがのう」


 「ちょっと待ってくれ。じゃあ、全国各地にヤバいのがいたと?」


 平安時代の日本は、とんだ魑魅魍魎の跋扈する地獄のような時代だったらしい。男は思いもしなかった真実に、世界が凄まじく脆いものように感じられた。


 「その通りよ。故に我らは決めたのじゃ。当代一の陰陽士である儂と晴明のどちらかが野に下り、全国各地を回りこの日ノ本を鎮護せんとな」


 安倍晴明と蘆屋道満、稀代の陰陽師たる二人にそんな密約と誓いがあろうとは、男は露程にも思わなかった。というか、ここまで壮大な話が出てこようなど夢にも思っていなかったのであり、まさに青天の霹靂であった。


 「凄い話だな。じゃあ、爺さんは本当にあの蘆屋道満だな?そして、私はその子孫……えっ、本当に?」


 「然様、まあ、驚くのも無理はない。直系の子孫と言っても、晴明の血を継いでいるわけでもなし、小僧は儂が各地をまわった際にばら撒いた種の一つに過ぎんよ。最早、秘術の類も忘れ去られ、小僧以外はろくな霊力も持ち合わせておらんがのう」


 老人は、中々に艶福家だったらしく。下手をすると、全国各地に末裔がいそうである。


 「それじゃあ、私は突然変異なのか?それとも隔世遺伝というやつか」


 「ふむ、そのどちらもであると言ったところか。確かに霊力という意味では小僧は生まれつき莫大なものを持っていたが、霊能の才が皆無であったからのう。あれでは宝の持ち腐れよ。それどころか、魑魅魍魎共のよい餌よ。まあ、じゃからこそ儂がついとったんじゃが……。それがこうなるとはのう」


 男が知る由もないが、《僕》が霊力マシマシ・霊能才ゼロに対して、《私》はその真逆の霊力ゼロ(本当の意味でゼロではないが人並み以下)・霊能の才マシマシだったのだ。両者共に隔世遺伝で、莫大な霊力or超一流の霊能の才(死を経験したブースト有り)を持っていたものの、《僕》は肝心の行使するための才能がなく、《私》は才があっても行使する力を持っていないという片手おちの状態だったわけだ。

 そんなわけで、本来ならば両者は、その力か才能を活かすことなく死んでいったはずであったのだ。


 「私、霊能の才皆無なの?」


 「案ずるな、それは以前の小僧の話よ。死を経験した前世と統合した今の小僧は違う。じゃから、儂が見えるし、小僧を苦しめていた病魔も、霊力によるごり押しとはいえ祓えたであろう?」


 老人はあえて語っていないが、《僕》の莫大な霊力にものを言わせて魂に干渉し、《私》を引きずり出したのは守護霊たる蘆屋道満その人である。《僕》には、霊力を扱える才能は皆無であったのだから当然だ。

 とはいえ、別に勝手にやったわけではない。あのまま放置していれば、遠からず死んでいたのは紛れもない事実であり、《僕》が強烈なまでの生きたいと言う想念を抱いていたからこそ、蘆屋道満は守護霊の分を超えて行動したのだから。


 「あの黒い靄が病魔だったのか?」


 「そうじゃ、人より優れた霊力を持ちながら目覚めていない者を狙い撃ちにした悪質な病魔よ。本当に運が良かったのだぞ。統合されておらず前世の小僧が前面に出ていたせいで、魂魄の名前が変わっていたのじゃ。その結果、病魔はお前を見失ったのだからな」


 「魂魄の名前?」


 「名で呪うのは最も簡単にして強力な呪いの指定よ。逃れるのは並大抵のことではない。故に儂らは真の名を隠す」


 「いみなってやつか」


 「そうじゃ、小僧にもあるようじゃな。本来の名が。すでにその慣習の意味も失伝して久しいようじゃが、お前の母はしっかり者じゃな。もし、諱で呪われておれば、あれだけの病魔じゃ一日と持つまいよ」


 老人の話によれば、男の体温は十日あまりの間、39度~41度を行ったり来たりしていたというのだから、ぞっとする話であった。しかも、それでもマシな結果だったというのだから、尚更である。


 「本当にヤバかったんだな」


 「うむ、両親に感謝せよ。医者も匙を投げた原因不明の高熱に対し、一時も諦めずできうる限りの手を尽くしたのだから。そして、それが以前の小僧にも理解出来たからこそ、死にたくないという単純にして強烈な想念を生んだのじゃからな」


 「分かっている。あの人た――――いや、両親はボクの親で家族だ」


 転生した肉体の血族など家族として受け容れられるか、正直男は不安であった。

 しかし、統合されたことに加え、快癒したことに対する両親の喜びようにすっかり絆されてしまっていた。


 「ならば良い。では名乗れるか?お前の真の名を、父母よりたまいし今生の名を」


 「ボクの名は夜葦徹。諱は夜葦道徹だ」


 そう男が宣言した瞬間、本当の意味で彼は統合された。


 「うむ、道を徹すか、良き名よ。長男の諱に道の字を用い、姓は夜と来た。違いなく儂の直系の末裔じゃな。これからビシバシ陰陽士のなんたるかを叩きこんでやるからのう。覚悟せい」


 「なるほど、諱の道は爺さんから来てたわけか。夜葦の葦も蘆屋由来なわけね。

 って、ちょと待って。ボクは陰陽師になるの?」


 流石に突然決められた進路には、男が物申したくなるのも仕方ないことだろう。未だ幼児あり、無限の可能性があると言っても過言ではないのだから。


 「当たり前じゃろう。そんだけ莫大な霊力を持って、死を経験しているという唯一無二の才もあるのじゃからな。儂の子孫がそれを使わぬと言う懈怠は許されぬ。安心せよ、必ず超一流の陰陽士にしてやるからのう」


 「いや、実際死にかけたし、興味もあるから、学ぶことに文句あるわけじゃないんだけどさ」


 男としては、今後の身の安全の為にも、陰陽師のいろはを教わることに異論はない。異論はないのだが、将来を陰陽師に限定されるのは、流石に抵抗があった。


 「ふん、中途半端に学んでも無意味よ。ましてお前の莫大な霊力が、否が応でも厄介事を運んでくるじゃろうて。霊力は魂の力、強ければ強いほど、良くも悪くも人も妖魅も。神さえも惹きつけるものじゃからな」


 (直系の子孫の危機とは言えど、天則を捻じ曲げた報いは必ずあるじゃろう。それまでに、此奴を儂以上晴明にも比肩する陰陽士にしなければならぬ。然もなくば……。)


 守護霊とは、子孫の霊的守護であって、本来ならばここまでの介入は認められていない。病魔からの守護は本流なれど、魂への干渉は明確なルール違反だ。必ず報いとして、男改め夜葦徹に苦難が襲いかかるであろうことを老人――――蘆屋道満は誰よりも理解していた。

 それがどんなものになるかは分からないが、生死をかけたものなるであろうことは間違いない。故にこそ早急に鍛え上げなければならない。どんな苦難でも折れることなく、生き抜くことが出来るように。


 「――――」


 お前の人生、これから波瀾万丈が確定してると言われて、さしもの徹も絶句する。

 その裏には、蘆屋道満の子孫を思いやる心があるのは間違いないが、徹からすれば一難去ってまた一難どころの話ではないのだから、無理もないだろう。


 「これよりは、儂のことは師匠と呼ぶように!」


 そう言って中空でふんぞり返る蘆屋道満を、絶望的な面持ちで徹は見つめるほかなかったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

転生したけど現代日本、でも見える世界が微妙に……。 @tetusin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ