転生したけど現代日本、でも見える世界が微妙に……。

@tetusin

第1話 『見える人』になりました

 私は令和の世に生きる弁護士だった。いわゆるイソ弁でようやく独立が見えてきた時だった。ボスからもそろそろいいんじゃないかというお墨付きを頂き、意気揚々と帰宅している最中に、呆気なく交通事故で死んだ。

 別に特別な事情など何もない。成人式で盛大にテンションの上がった若者の無謀な飲酒運転による暴走に巻き込まれただけで、単に運が悪かったというだけの話だ。誰かを助けようとしていたとか、そんな美談は欠片もない。むしろ、怪我の割に即死できなかったせいで、死ぬまで延々と地獄の苦しみを味わったくらいである。

 そんな私が何の因果か転生した――――率直に言って意味不明である。



 自分が生きていることをハッキリと認識した時、男は混乱の極みにあった。

 なにせ、死ぬまで延々と地獄の苦しみを味わいながら、己の命の灯火が徐々に消えていく生々しいまでの死の実感を男は経験していたのであるから、然もあらん。

 どう考えても、男は死んでいた。ガードレールに腹を掻っ捌かれて腸を路上にばら撒いたあの状態から、どこをどうすれば蘇生が可能になるというのだろうか。フィクションの名医や闇医者でもお手上げであろうことは間違いない。ショック死しなかったことが奇跡だろう。まあ、奇跡とは言っても本人からすれば、余計極まりないものであったろうが……。


 「生きているのか……本当に?」


 信じられない思いで起き上がり、自分の手足と腹を確認する男。


 「傷もない、生きてる!生きてるんだ!うんっ?――――何じゃこりゃあ!?」


 傷一つもない己の体に安心し、生きている喜びを滲ませる男だったが、ある違和感に気づいてしまい、再び混乱の坩堝にたたき落とされる事になった。


 「体がちんまりしてる。肌もすべすべだし、腹筋も割れてない!頑張ったのになあ……。」


 男はいわゆる遅咲きの桜というやつでアラサーであり、断じて幼児ではなかったからだ。だというのに、視界に映るのは可愛らしい未成熟な手足と割れてないお腹であった。密かに自慢にしていた大学時代に不純な目的で鍛え上げて維持してきた割れた腹筋はどこにもなかった。それどころか、肉体の素晴らしい肌触りが、この肉体が成人男性のものではなく、未成熟な子供のものであるということを嫌というほど実感させた。


 運がいいのか悪いのか、そこには姿見があり、まざまざと今の己の姿を男に見せつけた。そこにいたのは、見慣れた顔の三十路手前の成人男性ではなく、利発そうな顔つきをした幼児だった。


 「顔の造形がどう見ても私じゃないな。面影もこれっぽっちもありはしない。過去に戻ったというわけでは無さそうだ。輪廻転生というやつか?親孝行これからだったのになあ……。」


 ロースクールに行ったものの司法試験も二度落ちていたりする。そんなわけで、長いこと学費と生活費を工面してくれた両親には頭が上がらない。ようやく独立して親孝行ができるというところだっただけに、色んな意味で精神的なショックは大きかった。


 「ということは、当然ここは私の部屋じゃないと――――あれ、なんだろ?」


 現状を把握しようと周囲を見れば、女物の服がおいてあるのが男の目に入る。先の姿見ともあわせて考えて、ここはこの肉体の母親の部屋であろうと当たりをつけた男はある一点で突然に動きを止めた。


 「黒い靄?」


 そう言い表すしかないものが、部屋の隅に蠢いているのを男は発見したのだ。


 「……嫌な感じがする」


 生前は一回も見たことすらなかったが、男は直感的に「あれはよくないものだ!」と思った。あれをどうにかしないと自分や家族に害が及ぶと、なぜだか確信できた。


 「とはいえ、どうすればいいんだ?」


 あの黒い靄?は尋常でないのは分かる。物理攻撃など効きそうにないのは言うまでもないし、仏教徒ではあったが敬虔な信者ではなかったから、念仏を暗唱できるわけでもない。もっとも、念仏が有効かも定かではないが。


 「子供が触れても怒られそうにないもので、効果がありそうなものって、何があるかなー?桃?鳴弦?箒?御札?破魔矢?相撲の四股なんかも意味があるって聞いた気がするな」


 思いつく限りの厄払いや破魔の効果がありそうな穢れ払いを挙げてみるが、どうにもうまくない。桃や弓、御札に破魔矢などは、そもそも都合良くあるか分からないし、たとえあったとしても、幼児に触らせることはないだろう。箒はまだ可能性があるが、成人用のものを子供に扱うのは無理があるだろう。四股などはもってのほかだ、相撲なんて子供の頃やったきりで、後は見る専で正規の四股踏みなど分かろうはずもない。


 「黒に対しては白が対極。白いもので打ち消すとかできないものか?うん?白いもの?――――そうか、塩だ!」


 塩は盛り塩や清め塩など、魔除けや浄化、穢れ払いにも使われる由緒正しき代物だ。何より、幼児が触ってもそこまで怒られることはないだろうというのが大きい。


 「両親は出かけているのかな?いや、都合がいいけど」


 幸いにも台所に向かう男を呼び止める声はなかった。幼子供一人おいて、些か以上に不用心ではないかと思いはしたものの、今は都合がいいので気にしないことにする。


 「えーと、あったあった。確か皿に三角錐にして盛るんだっけ?」


 うろ覚えではあるが、なんとなく盛り塩皿の上に作り上げる。少し不格好ではあったが、初めてにしては上出来と言っていいだろう。少なくとも生前の男よりは、この肉体は器用なようであった。


 「後は、念の為塩を一掴みと」


 盛り塩を持っていても、大人しく黒い靄?が退いてくれるとは限らなかったので、少量の塩を握り込む。力士が土俵入りの歳に塩を撒くのは神聖な土俵の邪気を祓い浄める意味があり、同時に神に祈るという一種の儀式なのだ。効果があるのではないかと男は思ったのだ。


 「やっぱり、どいてはくれないかー」


 案の定というか、黒い靄?は盛り塩がされた皿を嫌がっているような感じはするものの、部屋の隅からは動こうとしない。それどころか、威嚇するかのように体を震わせて、嫌な感じを濃くしてくることさえした。


 「うーん、しょうがないな。悪霊退散、悪霊退散!はらいたまえきよめたまえとかしこみかしこみもうすだったけ?」


 それっぽいことを言って、塩に念じて黒い靄?へと振りかける。幼児が単に塩を撒いただけだというのに、黒い靄?の変化は劇的だった。


 『ギエエエエエエーーー』


 思いがけない断末魔の叫びが響き、黒い靄?が消え去っていく。何か手のようなものを伸ばされたが、手前に置かれた盛り塩に見えざる壁があるかのように止まり、結局、何も出来ずに消滅していった。


 「今のって、人の声?いや、分かる、アレは確かに命が消え去る時の声だった」


 自らが死を経験したからこそ、男にはその断末魔を理解出来たのだ。

 そして、己が何者かの命を存在を消し去ったのだという実感が湧いてくる。


 「うぷっ……気持ちのいいものじゃないな」


 男は猛烈にこみ上げてくる吐き気をどうにか堪える。己がやったこことである以上、ここで吐いてはいけないと思ったからだ。男は黒い靄?がよくないものと断じた。だからこそ、排除しようとして行動したのだ。そこに恥じることはないし、あのまま放置していたら、ろくでもないことになったのは、間違いないのだから。


 「うわっ、真っ黒!?」


 それを示すかのように、男の前に置かれた盛り塩がされた皿の上の塩は、真っ黒に染まっていた。穢れか邪気か陰気か定かではないが、確実に害為すものであろうことは予測できた。もし、盛り塩がなかったら、あの腕もどきは己に触れていたに違いないと実感し、男は背中を嫌な汗が流れることをハッキリと感じ取った。


 「もしかして、九死に一生を得たのか?」


 『然様、運が良かっただけよ』


 誰もいないはずの部屋から誰かの声が聞こえてくる。男は慌てて振り向くが、なんとそこには半透明に透き通った達磨を思わせる老人が腕を組んで中空に浮かんでいたのだった。

 初めての除霊というか、退魔もどきでの極限の緊張と安堵、ハッキリと人の霊を視認したことに加え、コミュニケーションがとれるさらなる超常存在の追加というのは、幼児でしかない男の肉体には、耐えきることができなかった。


 バタンキューという擬音が聞こえて来そうな勢いで、男は失神し倒れた。


 『やれやれ、先がおもいやられるわい』


 そんな呆れるような言葉が無人となったはずの部屋に響くのであった。

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