一話 物語は邂逅から始まる



 運命は必然であっても、人生は偶然からなる産物。

 つまりは、人生何があるかは分からない。

 だから物語は始まるんだと、ある人は言った。


 僕はそれを聞いて、ピンともこなかった。

 何というか、何を言っているか分からなかった。

 ただあの人が言うんだからそうなんだろうな。と、その程度。




「……はぁ」


 深くため息をつき、眠い目を擦りながら歩く午後の9時半を超えた頃。

 辺りはもう暗い。

 真っ暗であるけど、全く見えないという訳ではない。縦長の路地を怪しく照らしている光がポツポツと切れたり付いたり。そんな街灯が無駄に明るく道を示し、服の擦れる音さえ聞こえてしまうほど静寂で澄んだ空気が覆う不思議な感覚。

 そう、まさに不気味。

 ここが心霊スポットと聞いても誰も疑わないだろう。

 もちろんそんな場所に人気ひとけなんてある訳ない。

 むしろ逆にあった方が怖い。


 僕はもうこの不気味さにも慣れたものだが、とてもこの時間女の子には一人では歩けないだろうし、とても歩かせられない。

 そんな場所。

 そう、そんな場所だからだろう。

 僕は油断していたのだ。




 背後の影が動いたのだ。




「……ッ!!!」




 僕は大きく振り向いた。

 後ずさりするほど勢いよく、反射的に、防衛本能的に。



 そこには一人の少女が突っ立っていた。


 頼りなく、棒のようになった足で。

 生まれたての小鹿のように、震える足で。



「あなたが……─────ですね」



 ある人は言った。

 人生は偶然の産物で、だから物語は始まる、と。

 今ならその言葉の意味がよく分かる。


 この物語は、この出会いから始まる。


 僕のこの物語は、邂逅から始まったのだ。






 ******




 気分は最悪だ。


 憂鬱に部屋に入る週末の朝11時。

 5月の後半頃のある日のこと。

 地元を出て東京に住み、ごく一般的な普通の大学生。

 しかし大学というのは同じ「学校」というくくりでも中学や高校とは全く違う。

 全くも全く、全然違う。

 本当に別の国のよう。

 というのが大学生になってみた感想だ。


 さて、進学して1ヶ月。そろそろ大学生活に少し慣れてきた頃だ。

 となると、色々なことを覚え、色々と始まる頃だろう。

 大学内に親しい友達ができて自由に遊べる頃だろう。

 サークルに入って新しい青春を謳歌し始める頃だろう。

 色恋沙汰が本格的になり始める頃だろう。

 楽しい遊びを覚え始める頃だろう。


 楽しい楽しい大学生活が始まる頃だろう。



 僕は、鼻で笑った。



「やあやあやあー。その顔は言われなくても分かってる顔だね」


 自宅から歩いて10分。

 くるくると座る椅子を回したまま怪しげに笑みをこぼしているすみれ先生の家にお邪魔していた。


「……まあ、憂鬱だよ」


 僕は不服そうに不服を答える。

 そんな僕を見てなのか、神妙な空気に彼女は粘り気のある顔で笑った。


 峰藤みねふじ すみれ

 僕は彼女のことを尊敬の念を込めて「菫先生」と呼んでいる。

 女性34歳独身。

 本人曰く、一番したくないことは結婚らしい。


 ノーメイクにしてはいい顔をしてると思うから、ただ単にモテないということはないと思う。

 ただ、問題があるとしたら内面だ。

 人間の外面なんてアテにならない。外ずらなんて、人を騙すための武器だ。そう考えるようになったのは、間違いなくこの人のせいだ。

 ……いや、嘘ついたかもしれない。

 元から僕はそういう人間だったかも……。


 くるくると椅子で回転しながらも、彼女は僕を見ながら言う。


「そんな顔すんなよー。多少死にそうな思いをするくらいで、何もないじゃあないか」

「冗談……だよね」


 彼女は笑いながら言う。

 不適にも、不気味に。


「……はっ、冗談だよ。珍しく私も憂鬱なんだ、珍しくね。冗談なんてらしくないことを口走ったかもね~」



 と、が、皮肉という冗談を交じわせた。





 藤峰菫、彼女は異人だ。

 同時に天才だ。


 彼女は有名人だ。

 彼女は有名なライトノベル作家だ。

 代表作は『はちみつ少女シリーズ』

 他にも様々なジャンルを中心に手掛ける、所謂いわゆるヒットメーカーで「このライトノベルはすごい!」の常連。さらに付け足せば数少ない殿堂入りを果たした作家の一人である。

 作風も作品によって様々。それでいて何より特徴的なのは超速筆ということ。一年に四冊出したのは界隈では伝説で有名な話だ。

 本当に人間離れしている。


 順風満帆、大成功。才能に恵まれた、失敗も挫折も無いと思えるほど、何不自由のない人生。

 そう、何不自由のない。


 だが、もう一度言う。

 彼女は異人だ。

 この人に不自由がないというのは、少しマズかった。


 菫先生の代表作『はちみつ少女シリーズ』が完結した。

 あまりに美しい完結に、我々読者は感動した。

 そして、期待した。

 次はどんな作品を書くなだろうか……と。



 だが、人々は知らなかった。

 彼女は異人ということを。




 藤峰菫は小説家を引退した。




 そして




 思いついたら即行動してしまう異人。

 思いついたら行動できてしまう偉人。


 だから僕は彼女を尊敬するし、天才だとも思う。



 さて、今日この頃、この時期。先生の手伝いを数年やってれば、今日この日を言われなくても察する。

 今日、僕が呼び出された理由、彼女の「SUMIRE文庫」の新人賞決めに駆り出されたわけだ。



「それで、今年はどれだけ応募来たんすか?」


「いっぱいさ」

「具体的に」

「ん?んー、聞きたいかい?」

「……やっぱいいです」


 聞くと絶望で死にたくなりそう。


「とりまノルマ分は送ってるからさ、終わったらまた報告してね~」


 先生の立ち上げた「SUMIRE文庫」は最近できたばかりの新参者だというのに既存の強豪他社を押しのけ、今一番の注目されている。

 それは菫先生の人気の高さも関係あるだろう。だが、おそらく理由はそれとは別。


「SUMIRE文庫」で出版された作品は


 新人賞からは1年に1作品しか出版しないからすごい倍率なのだが「SUMIRE文庫」というブランドに賭けた一発逆転を夢見て、応募数が絶たないのだ。


 はて、その上で「終わったら報告して」だってよ。学生一人が終えれる量じゃない。


 つまり、死ね。だってよ。



「なんで前々からやってなかったんですか」

「暇なときはやってたよ。でも今年は忙しくてね」


 ……確かに。

 今年はアニメ化が立て続きだったし、忙しそうではあった。

 嘘ではない。


「……分かったよ、分かりましたよ。僕ができるだけなんとかしますよ」

「おおっ、助かるぜ〜」


 彼女の死にたくなるだけという冗談に本当が増してきた。


「先生、今日の予定は?」


「んー。私は別件があるからねー。今日は画面とオ・ト・モ・ダ・チ。ご飯作っといて~」


「今日一日っぽいすか?」


「いんやぁ?分からない。終わり次第そっちにかかるつもりだよ。」


「へー。珍しい」


「いやいやいやぁ、私をなんだと思ってるんだ。流石に私の会社のことで、私自身のことだからねぇ。寝る時間でも削って頑張ってやるさ」


 この人がこう言うときは本当に寝てないことが割とあるから怖い。


「……無理しないでくださいね」


 先生は素直に驚いた顔をした。

 僕も、らしくないことを口走ってしまったモンだ。

 先生はくるっと背を向け、画面とにらめっこ。

 顔は見えなかったけど、少し笑っていた。


「はっ、舐めるな。あたしゃね、気合いと根性をカフェインで満たすのが大好きなんだよ」


 多分、ドヤ顔でそう言った。

 てかソレ、余計に心配させてますよ。


 僕は大きく「はぁ」と、ため息をつきながらも、作業にかかった。


 まぁ、冗談しか言わない人だ。言うこと全部真に受けても意味ないし、心配なんてするだけ無駄だ。

 ……そう思うことにした。

 


 さて、今日は何時に帰れるかな。9時に帰れたらマシか。

 そんな生活がいつまで続くかね……。


 そうだ。死のう。

 




 ******





 突然ながら自己紹介から!


 私の名前は、日登ひのぼり ゆい。

 現在12歳の、自他も認める美少女です!

 

 金沢から東京まで遥々はるばる片道約2時間半。

 そう!私は今、東京に居ます。


 あすか。聞いてる?私はやっと、約束を叶えられそうです。


『ゆい、私が死んだらに会って。そして ─────』


 あすかのお願い。


 あすかのお願いが何を意味してるかは分からないけど、でも絶対にやらなきゃいけない。

 あすかには、返しきれない程の恩が……というか命の恩人だ。

 その恩人の最後のお願い。


 だから、絶対に……。


「ッスーーーー……。ふぅ……」


 私は握ってる物に視線を通す。

 私は薄い青に咲く桜の花を描いた縦長の写真をラミネートされた……手作りの栞。

 よくある絵柄の栞。

 どこにでもありそうな、栞。


 でも、あすかは大事にしていた。


 私にコレが何なのかは分からない。

 というか明日香のことを、何も知らない。



 …………。



 私はぎゅっと握りしめた。



 間違いない。

 ここだ。

 左ポケットに入ってる紙切れを見る。

 何度も確認した。

 何度も何度も何度も確認した。


 ……。

 ここがあの人の家だ。


 やっと会える。

 やっと言える。

 やっと……。


「よし!!!」


 私はインターフォンを鳴らした。




  ─────彼が留守であることも知らずに。


 彼が帰ってきたのは9時間後。

 夜の9時半を超えた頃だった。



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天音あすかの物語は『栞』の中で死んだ わたみ @W_T_A_M_I

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