十六話

「隊長、復職する日を待っていました!」


 部下の一人が酒の入ったコップを片手に赤ら顔でそう言った。


「おいおい、いきなりご機嫌取りか?」


 他の部下達が笑いながら茶々を入れる。


「隊長がいない間、どれほど心細かったか。皆もいまいち覇気がなかったし」


「そりゃお前だけだろ。隊長の指示がなきゃ、何にも出来ねえんだ」


 これに部下達の豪快な笑い声が響く。


「何にも出来ないのは俺のせいじゃない。隊長代理のヘルベルトのせいだ」


「えっ、僕?」


 急に名前が上がり、ヘルベルトは目をぱちくりさせる。


「お前がもっと隊長らしく、もっと的確な指示を出せば、俺はもっといい働きができたんだ!」


「もっとが多いぞ。あと何回言う気だ」


「自分の不甲斐なさを人のせいにするなんて、騎士としては失格じゃないか?」


 半笑いで誰かが突っ込んだ。


「とにかく! ヘルベルトは駄目だ。隊長の器じゃない。やっぱりカインツ隊長でないと俺は働けないんだよ!」


「同期のヘルベルトへの妬みなんか聞きたくねえぞ」


「酔っ払って感情がだだ漏れだな」


「俺は、酔っ払ってなんか……いてっ」


 赤ら顔の部下は、勢いよく立ち上がった拍子に机に足をぶつけ、そこに載っていたコップを床に落とした。


「あっ、もう、お客さん、店を汚さないでよ」


 ちょうど通りかかった女の給仕が迷惑そうに部下を睨み、持っていた布巾でこぼれた酒を拭く。


「す、すみません……」


 睨まれただけで急に大人しくなった部下を見て、周りの同僚達は一斉に大笑いした。


「……何はともあれ、今日はカインツ隊長の復職祝いなんだ。ご本人からお言葉を頂戴しようじゃないか」


 そう言うと、部下達の視線が壁際の席に座るカインツに注がれた。カインツは手に持ったコップを置くと、皆を見回してから口を開いた。


「まずは、迷惑をかけてすまなかった。特にヘルベルト、隊長代理を任されて、いろいろと苦労しただろう」


「とんでもありません。僕は隊長の真似をすればいいだけでしたから。苦労らしい苦労はありませんでしたよ」


 ヘルベルトはにこりと微笑んで見せた。


「ここにいる約一名を除けば、ヘルベルトの隊長ぶりは様になっていたと聞いている。皆をよくまとめてくれた。感謝するぞ」


「役目を果たしただけですから、感謝なんて……」


「俺達も、こうして酒を飲める復職祝いを提案したヘルベルトに感謝しないとな」


 小さな笑いが収まると、カインツと部下達はそれぞれのコップを掲げた。


「……では、我々バロッサ南西地区隊と、ヘルベルト隊長代理に」


「改めてカインツ隊長の復職に」


「――乾杯!」


 全員の声が揃い、掲げたコップ同士がぶつかって、皆はその中の酒をぐいっと飲む。


「おーい、もっと酒持ってきてくれ」


「料理も追加だ。じゃんじゃん食うぞ」


 部下達は占拠した酒場の一画で、わいわいと声を上げながら楽しく食事を始める。そんな様子をカインツは見守るように眺めていた。


「隊長も、この肉どうですか? ソースに絡めるとうまいですよ」


 隣の席にヘルベルトが皿を持ってやってきた。


「ああ、そうだな……」


「あまり食欲はありませんか? まだ本調子ではないとか?」


 心配する目がカインツをのぞき込む。


「いや、体は……大丈夫だ。それより、本当に苦労をかけたな」


「やめてください。苦労したのは隊長のほうではないですか。僕を含めた部下が頼りないばかりに、体調を悪くさせてしまって……」


「お前達が原因で休職したのではない。むしろ頼りがいのある部下達だと思っている。ヘルベルトがいるなら、私はいつ隊長をやめても安心できそうだ」


「何だか褒めすぎではないですか? 休んでいる間に、性格が丸くなりました?」


「どうだろうな」


 笑みを浮かべ、カインツはコップに口を付ける。


「隊長、そう言えば上層部の事件については、もう聞かれましたか?」


 これにカインツはコップを持つ手を止めた。


「……ああ。総長と団長の起こしたことだろう。かなりの騒ぎになっているな」


「本当に。まさか総長ともあろう人が偽者を大量にかくまっていたなんて、最初に聞いた時は冗談かと思いましたよ。しかも我らの団長がそれに加担していたとは……。やはり人は見た目ではわからないものです」


 ヘルベルトが難しい顔でそう言ったのを、カインツは黙って聞いていた。


 あの後、偽者の住む村が発見されたことで、修道会と各騎士団では大きな騒ぎとなっていた。まず修道会では、村に総長の偽者が住んでいたことがわかって、ただちにホイベルス総長は拘束され、尋問されることになった。それと同時に自宅を捜索される中で、偽者を助ける活動に関する勧誘の手紙や協力者の目録、自身の双神に対する思想、随想が書かれた雑記などが大量に見つかり、もはや言い逃れのできない状況に追い込まれたホイベルス総長は、すべてを話さざるを得なかった。総長の座からは当然外され、異端審問にかけられた現在は、牢の中で判決が下されるのを待っているという。


 騎士団のほうはと言うと、団長のエレミアスが総長の協力者であり、それを裏付ける証拠や部下らの証言が出たことで、各騎士団では他にも協力者がいないか一斉に内偵が行われた。ホイベルスの残した協力者目録に書かれた者は真っ先に捕まり、その後も各地で十数人が拘束されていた。その数は思っていたよりも多く、主に上級騎士が協力者だったということで、各騎士団はこの事件の深刻さを身をもって知ったのだった。


「それから、シュライアー司祭も関わっていたようですね。殺されたのは、その関係なのでしょうか……。隊長はどう思います?」


「さあな。手掛かりが一つもない今は、何とも言えない」


「そうですね……これほど背景が深そうだと、我々には少し荷が重い事件です」


 溜息を吐くヘルベルトを横目に見ながら、カインツは静かに酒を飲んだ。


 シュライアー司祭が殺された事件では、犯人どころか、まだ容疑者すら浮かんでいない状況だった。その原因は目撃者がいないことが大きい。司祭は深夜に殺されたため、聖堂で共に暮らす修道士達はぐっすりと眠り、物音すら聞いていなかった。わかっているのは、犯人は勝手口から侵入して、司祭に枕を押し当て窒息死させたことだけだった。このまま進展がなければ未解決で終わるのだろうとは、隊の誰もが思っていることでもある。


 確かに目撃者はいないのだが、この事件を引き受け、捜しに来たエレミアスは、一つの目撃情報を頼りにバロッサ近郊まで来たわけだが、しかし、その情報は手紙で送られ、犯人について具体的な内容もなく、送り主の名も書かれていなかった。進展がない今、この手紙の情報は信憑性が疑われ、いたずらだったという結論に落ち着こうとしていた。捜しに来た騎士団側も、この事件を利用して偽者の村とエレミアスの活動を暴いたわけで、ばたばたする内部の対応に追われ、犯人捜しどころではなくなり、詳しく調べる様子は見せなかった。そのため、これらの事柄がすべてつながっていることを知るきっかけは薄まり、手紙の情報者、司祭の殺害、そして、エレミアスを殺した犯人が同一人物だという事実には、おそらく誰も到達できそうになかった。重ならないそれぞれの犯人は、このまま闇の中に隠れ続けるのかもしれない……。


「噂で聞いたところでは、この騒ぎで総長に加担していた者が捕まり、上層部では人材不足が起こっているらしいですよ。もしかしたら、隊長の異動もあるかもしれませんね」


 これにカインツは鼻で笑った。


「実績のない騎士に声がかかるはずないだろう。地方に住む私には無縁な話だ」


「ですが、ここで隊長をやっていますし、いきなり上級騎士とはいかなくても、人材の繰り上げで地方隊に呼ばれることも――」


「ないな。たとえそんな声がかかったとしても、私には迷惑なだけだ」


「どうしてですか? 出世できるというのに」


「出世に私は魅力を感じない。まあ、辞令ならば仕方ないが……今のこの生活を失いたくないのだ。現状で十分満足している」


 ヘルベルトは小首をかしげ、カインツを見つめる。


「隊長に、欲はないのですか?」


「もちろんあるが、ヘルベルトよりは少ないのかもしれないな」


「今の生活、ですか……。それは、奥さんのためということですか?」


 いつものからかいの色を見せ始めたヘルベルトだったが、カインツはその顔をじっと見返し、はっきりと言った。


「そうだ。すべてはカタリナのためだ」


 真っすぐに言ったカインツを、ヘルベルトは唖然と見つめた。


「……何だ」


「もう少し照れてもらわないと、こちらとしてはつまらないのですが……」


「私はお前を笑わせるために言ったつもりはないが?」


 いたずらっぽく言ったカインツに、ヘルベルトは肩をすくめて苦笑いを見せた。


「隊長、休職して、やはり性格が変わりました?」


 カインツは笑って酒を一口飲んだ。


 酒場での復職祝いの宴は、夜が更ける前にお開きとなった。カインツが病み上がりということで、気を遣ったヘルベルトが早めに終わらせたのだった。他の部下達はもっと飲ませろと文句を言ったが、その大半はもう十分に酔っ払っており、支払いを済ませ、千鳥足で帰っていく部下達を、カインツは最後まで見送ってから帰宅の途についた。


 暗い通りを歩いていると、そよそよと風が吹いてきて、酒で火照ったカインツの頬を柔らかく撫でていった。少し前までは生ぬるかった風も、最近はその中に秋を思わせる冷たさが混じり、残暑の夜には何とも心地いい風だった。周囲の民家には、まだちらほらと明かりがともっていたが、見えてきた自宅の窓は閉め切られ、外観は真っ暗だった。だがよく見れば、閉まった窓の隙間からはランプと思われる明かりがわずかに漏れていて、住人が起きていることがわかる。それを確認したカインツは鍵を取り出し、玄関を開けて中に入った。


「今帰ったよ」


「……あ、お帰りなさい、ユリウス」


 居間から顔をのぞかせたカタリナは笑顔を見せて言った。その手には食器が見える。


「何だ、遅い夕食でも食べるのか?」


「私じゃないわ。ユーリよ」


 カインツが居間へ行くと、机には作り立ての料理が並べられ、それを見下ろしてもう一人のカインツが立っていた。


「こいつの食事か」


「こいつじゃなくてユーリ。そう呼んでと言ったじゃない。ユーリもついさっき帰ってきたばかりなの」


 カタリナは笑顔を絶やさず、せっせと食器を並べていた。


 この三人での生活は、見られてはいけないという大きな不便はあるものの、どうにか順調に送られていた。その中で、何もかもが同じの二人の夫について、カタリナは呼ぶ時に不便だからと、それぞれに呼び名を分けた。仕事に出かける夫はこれまで通りのユリウス。家に残る夫は、子供時代の愛称でユーリと呼ばれることになっているのだが、当の二人はまだその呼び分けに慣れることができずにいた。


「おいしそうだな」


 席に着いたユーリは、焼き目の付いた鶏肉を見つめ、フォークとナイフを握った。その横でカタリナはコップにワインを注ぐ。


「召し上がれ。……ユリウスも何か食べる?」


「いや、酒を飲み過ぎたせいか、腹は減っていないよ」


「飲み過ぎたって、どのくらい飲んだの?」


 カインツは自分の顔をぺちぺちと叩いて見せる。


「この顔色を見て判断してくれ」


「……今日は部下の皆さんのご好意だったから、見逃すわ」


 カタリナは微笑むと、台所へ行こうとする。


「カタリナ、片付けは私がやる」


「え、でも、疲れているでしょう?」


「この酔いを醒ましたいんだ。カタリナは先に休んでくれていい。後は私達でやっておくから」


「いいの? それじゃあ……お言葉に甘えさせてもらうわ。お先に休むわね」


「ああ。おやすみ……」


 階段を上がり、カタリナが二階へ姿を消すと、カインツは食事をするユーリの正面に座った。


「……異常は?」


「ない。怪しむ者はいないし、カタリナの体調も変わらない。むしろ以前より元気になっているかもしれないな」


「この選択が間違いでなかったという、いい証拠だ」


「だが油断すればすべてが壊される。気を緩めるなよ」


「言われるまでもない。お互い様だ」


 ユーリは切った肉を口に放り込み、ワインを一口飲む。その様子を腕を組んで眺めながらカインツは聞いた。


「それで、そっちの仕事のほうは」


「お前の情報を頼りに、いくつか回ってきたが、一つ当たった」


「どれだ」


「孫の偽者をかくまっているという老婆だ。どうやら一家ぐるみらしい」


「排除は」


「していない。だがこれなら隊で対応できるだろう。私がわざわざ動く必要もない」


「そうか……じゃあ今週中にでも捜索に行ってみるか」


「それがいい」


 口の中の肉を咀嚼しながらユーリはうなずいた。


 カインツが騎士として任務を行っている間、もう一人のユーリはというと、基本家から出ることはなく、家事をしたり寝ていたりするのだが、日が落ちて暗くなると、ようやくこちらも仕事の時間となる。外套をまとい、フードで顔を隠し、町中を見回っていく。カタリナには体がなまらないための散歩と言っていたが、もちろんそんな理由ではない。カインツが騎士の立場で得た様々な情報を元に、ユーリがそれを確かめに向かうのだ。偽者出現の情報から、それをかくまう者、逃がした者など。だがその多くの状況では証拠が足りず、捕まえるための決め手を欠いたカインツの隊が動けないこともある。そういう場合はユーリが独断で確認、判断し、偽者、または擁護者とわかった時点で自ら手を下していく。時にはそんな現場を誰かに見られることもあったが、ユーリは自分を見た者もためらうことなく排除していた。そのせいで最近では治安が悪くなったと住人達は怯えて、夜に出歩く者はめっきり少なくなっていた。バロッサの町の評判は下がったかもしれないが、そんなことは二の次のユーリは、ただ歩き回りやすくなっただけとしか感じていなかった。


「……新しい情報はないのか」


 肉をナイフで切りながらユーリは聞いた。


「噂なら一つある」


「また、ヘルベルトか?」


 ちらりと見たユーリに、カインツはふっと笑う。


「どこで聞いてくるのか……あいつは誰よりも耳ざとい。まあ、こっちとしては助かるが」


「今度はどんな噂だ」


 するとカインツは真剣な表情に変わって言った。


「偽者の村が、他にもあるそうだ」


「何……?」


 手を止めたユーリはカインツを見据える。


「本当なのか?」


「どうだろうな。だが、以前同じ噂を聞かされた時、私は信じなかったが、実際には存在していた。今回も頭から否定はできないだろう」


「場所は?」


「国の最西端辺りの山中らしい。ここから北へずっと行った先だ。噂だから、位置はかなりざっくりしているが。……どうする」


 カインツの鋭い目が聞く。


「愚問だ。どんなに小さなことでも、障害になり得る可能性がわずかでもあるなら、私は労をいとわないと決めた」


「お前が行くか? それとも、私と入れ替わるか?」


「自分で行く。最西端となると、長い留守になりそうだな……」


「カタリナのことは任せろ。上手く言っておいてやる」


「ああ。……早速、準備を始めるか」


 最後の肉の欠片を食べ終えたユーリは、それをワインで飲み干すと、勢いよく椅子から立ち上がった。


「行っていいぞ。食器は片付けておく」


 ユーリを促し、カインツは空の食器とコップを持って台所に向かう。


「悪いな。頼む」


 それを横目にユーリは旅支度に動く。そこに以前のような反目し合う二人の姿はない。今は共通の目的のために、まるで双神のごとく手を取り合い、同じ方向へ突き進もうとしている。机に置かれたランプの明かりは、そんな二人の背中を照らし出し、床に、深い闇色の影を作り続けていた。


 二人の中に神という存在はもういなかった。それに取って代わったのは愛する妻だった。彼女だけが信じられ、彼女こそが守るべき対象。そのすべてを守るためなら、自分の手を汚しても構わない。彼女がいつまでも、幸せでいてくれるのなら――二人に後悔は微塵もない。自分達が偽者だろうと、愛する心に偽りはない。だが、その狂気染みた愛を貫く姿勢は、どこか人間的に欠けているようにも見える。それを知った者なら、やはり偽者は悪魔なのだと言うに違いない。しかし、二人にはもはやどちらでもいいことだ。愛を知る悪魔だろうと、命を奪う人間だろうと、この幸せさえ続けばそれでよかった。では、偽者という存在とは一体何なのか……それは当人も知らなければ誰も答えを知らない。ただ、人間と限りなく近いことだけは確かなようだった。

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双神の騎士 柏木椎菜 @shiina_kswg

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