恥ずかしがり屋
星雷はやと
恥ずかしがり屋
『……では、この件については泉田くんに任せるとしよう』
「はい、承知致しました。資料は来週の月曜日に提出致します」
自宅のリビングでノートパソコンに向かい、俺は頭を下げる。最近流行りのリモートワークだ。今日は部長との大事な打ち合わせを終えたところである。直接会っているわけではないが、相手の顔が映し出されていると緊張をする。こっそり息を吐く。
「にゃ~ん」
「わっ!?」
鳴き声を共に足に温かい塊が擦り寄り、俺は思わず叫んだ。飼っている猫の仕業である。打ち合わせに集中する為に、寝室に移動させていた筈だ。しかし完全に隙を突かれ、情けない姿を晒してしまった。
『ん? 泉田くん、猫ちゃんを飼っているのかい?』
「あ! は、はい……申し訳ございません」
パソコン越しの部長に、鳴き声が聞こえてしまったようだ。打ち合わせは終了しているが、今は仕事中である。俺は再び頭を下げた。
『何で謝るの? それよりも種類は?年齢は? あ、ほら! 私の家ではゴールデンレトリーバーを飼っているよ! 今は妻が散歩に連れて行っているけど、これ写真』
「え、えぇ? あ、可愛いですね……」
首を傾げた後に、部長は笑顔でスマホをこちらに向ける。彼のスマホには、人懐っこそうなゴールデンレトリーバーが映っていた。今日初めて見る俺でも、素直に可愛いと思えるワンちゃんだ。
『そうかい? そうだろう! もう、可愛くてね! 最近はね……』
俺の感想を聞くと、部長は目を輝かせた。ワンちゃんを褒める表情は慈愛に満ちている。普段は少し近寄りがたい雰囲気を持つ部長だが、意外な一面を知ることが出来た。
「んにゃ~」
「なぁ~」
「あ、こら。やめなさい……ふたりとも……」
部長の話を聞いていると、膝に上ってくる一匹と俺の靴下を脱がそうとする一匹。何時の間にか、二匹は合流していたようだ。俺は部長に怪しまれないよう、テーブルの下で攻防を繰り返す。
『嗚呼、すまない。長く話し込んでしまったね』
「いえ、お話しを聞けて楽しかったです!」
俺の努力は虚しく散り、部長が申し訳なさそうに謝罪を口にした。俺は慌てて、感想を口にする。楽しかったのは本当だ。
『そうかい? そう言ってもらえると嬉しいよ。良かったら今度、泉田くん家の猫ちゃんの写真を見せてくれないかい?』
「え! あっ……う、うちのは……その、恥ずかしがり屋でして……難しいかと……」
部長の提案に、俺の肩が跳ねた。幸いなことに、今直ぐにカメラに映せと言われなかっただけが救いだ。俺は冷や汗を掻きながら、歯切れ悪く答える。
『無理を言って済まなかったね。写真が苦手な子達もいるから、気にしなくて良いよ』
「……あ、いえ……」
『じゃあ、資料作成宜しく』
「はい、失礼致します」
気落ちした部長の表情に、罪悪感が募る。しかし本当の事を伝えるわけにもいかない。俺は部長に挨拶を告げると、通話終了のボタンをクリックした。
「はぁぁぁ……焦った……」
真っ暗になったノートパソコンの前で、溜息を吐き全身から力を抜いた。すると俺の膝から一匹がノートパソコンの上に寝そべる。もう一匹は、足元で俺から奪い取った靴下を咥え走り回る。もう好きにしたら良い。
部長には悪いことをした。俺だって、出来れば二匹のことを写真に収めたい。動画だって撮りたい。みんなに自慢したい。だが、それは出来ないのだ。
「恥ずかしがり屋にも程があるだろう……」
何にも乗っていないのに、ノートパソコンのキーボードが凹み。
何にも居ないのに、靴下だけが空中を移動している。
うちの猫たちは透明なのだ。
恥ずかしがり屋 星雷はやと @hosirai-hayato
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