サブエピソード1

「ちょっと、そこの坊主。お前さんだよ、金髪の」


ふらりと立ち寄った大きな村で、メロウは声をかけられた。振り向くと、フードを被ったお婆さんが着いていた杖を軽くふって、こちらへ来いと誘う。メロウは首を横にふった。今、ゲシュペンストは少し離れた薬を売っている店にいる。たまたま近くの靴屋に用事があったメロウは別行動をしていた。


ゲシュペンストは人間の世界に慣れていないはずなのに、意外とよく社会を知っている。むしろ、危ないことに首を突っ込むのはだいだいメロウで、後でゲシュペンストに怒られるのだ。数回目でようやく自衛は大切だと言うことを覚えたメロウは、怪しい人についていくことに躊躇いを見せた。

「僕、連れがいるんで」

「じゃあここでかまわないさ。坊主、その耳飾り、呪われてるぞ」

「え?これ?」

メロウは両耳についている、紅い宝石に触れた。これは、ゲシュペンストがプレゼントしてくれたものだ。呪いかどうかはわからないが、一生メロウの耳から外れないように、魔法をかけてくれた。その魔法を見破られたのだろうか。

「それじゃ。複雑な魔法を用いておる。わしの知り合いに同じような呪術を使うやつがおってな。思わず引き留めてしまった。まあ、わしなら外せるが、金次第じゃな」

「あ、結構です。僕の意思で、外れないようにしてるので」

「ほう?お前さんがやったのかい?」

「ううん。でも、呪いじゃないですよ。僕が、頼んで、取れないようにしてもらったので」

メロウがそういうとお婆さんはポカンとした顔で、メロウを上から下まで見た。そして、布で巻いている手首を指差した。

「なるほど、お前さん、可愛い顔をして、悪魔と契約したんじゃな」

「え、布越しでわかるんですか?すごいですね」

「わかるもなにも、わしも悪魔と契約しているからな」

ほほほ、と笑うお婆さんは、どこからどう見ても人間のお婆さんだ。もしかしたら、このお婆さんは魔女なのかもしれない。メロウの住んでいた所は、信仰が深く、魔女狩りも少なくなかったが、ゲシュペンストと旅をして様々な国があることがわかった。ここは比較的、魔女に対して緩い。だから、このお婆さんもこの町に住んでいるのだろうか。

「貴女は、魔女なんですか?」

「滅多なことをいうでない。お前さん、世間知らずじゃな。一体、なんの悪魔と契約したんだ?ちなみにわしの刻印はこれじゃ」

お婆さんは掌を広げて見せ付けた。そこには、確かに、メロウの手首にあるような刻印があった。ただし、紋様はメロウのとは異なっていた。自分の刻印を見せないと帰れない雰囲気だったので、仕方なく手首の布を取り、ちらりと見せると、お婆さんは「ひっ…」と後退りした。

「なんと……ベリアルと契約しておるのか」

「ベリ……?知らないけど、ビアンカっていう悪魔とだよ」

メロウは自分が契約した悪魔の、年を取らない美形な顔を思い出した。ビアンカはどうやって探しているのかわからないが、たまに姿を現してはゲシュペンストに薬を、メロウに知識を与えて去っていく。彼(彼女)が有名な悪魔かどうかなんて気にしたことがなかった。メロウにとっては人生で二人目の命の恩人であり、自分の死後の魂の所有者でしかなかったからだ。しかし、お婆さんは目を細め、しばらく無言でメロウを見ていたが、ふっと笑って「お前さん、何か、惹かれるものがあるな」と言った。

「良いものをやろう」

「え、いらない……」

「遠慮するな。若い魔法使いには貢ぎたくなるものじゃ」

お婆さんは胸元から取り出した袋を無理矢理メロウに押し付けて、杖を軽くふった。

「これ何ですか?」

「飲めば、力がわいてくるぞ。では、機会があったらまた会おう」

「あ」

お婆さんの姿が、黒髪の若い美女に変わったかと思うと、妖艶な笑みでウインクをされた。そして一瞬で粉のようにさらさらと消えていった。


ゲシュペンストと落ち合って、宿に帰ったあと、その話をしたら、ゲシュペンストは眉を寄せた。

「初対面の妖しい人間とあまり会話をするな」

「話しかけられたら普通は返事するでしょう」

「……まあ、無事で良かった。その、袋の中身を確認しよう」

「なんか、コロコロしたんだよね」

袋を開けると、出てきたのは真珠くらいの黒い粒が5つ。ゲシュペンストはそれを見た瞬間、いつもより大きな声で、「オルスタントの魔女の秘薬だ」と言った。

「オルスタント?」

「……私の育ての魔女であるラントゥルの友人だった魔女だ」

「あのお婆さんが?」

「魔女に年齢はない。どんな姿にも変身できる」

言われてみれば、消えるより前に若い女性になった気がする。ではあれが、お婆さんの本当の姿だったのだろうか。

「それで、これ、何?」

「薬だ。これを飲めば、魔力があがる……が、その代わり寿命を縮める」

「寿命?」

「魔女は人より長生きだが、もちろん命の期限はある。魔力は命をほんの少し削って出しているものだが、自分の力以上の魔力を使用したい場合、秘薬を使う。もちろん寿命と引き換えだがな。ラントゥルもこのようなものを作っていたが、オルスタントのものが一番効力があった」

「でも、僕、魔力なんて要らないけど…」

「……そうだな。だが、低級の悪魔なんかはこの一粒で簡単に使役をしてくれるぞ」

ゲシュペンストは興奮しているみたいだった。心なしか、つまらなさを感じたメロウは、黒い玉を袋にしまってゲシュペンストに渡した。

「あげる」

「これはメロウがもらったものだろう?」

「あげる。僕は使わないもの。ゲシュペンストが使えば?」

「メロウ、何を怒っている」

「怒ってないよ。ただ、嫉妬しただけ」

「嫉妬?」

「僕以外が、ゲシュペンストを興奮させてると思うと、なんだか悔しくて、嫉妬してるの」

ぷいと顔を背けて、頬を膨らませるメロウはとても幼い。その姿に、その台詞に、ゲシュペンストはどうしようもないほどのいとおしさを感じた。薬を机に置いて、メロウに手をのばして抱き締める。ゲシュペンストの大きな体は温かくて、優しかった。

「すまない、メロウ」

「呆れた?あんな玉にまで嫉妬するなんて愚かだって」

「呆れるわけないだろう。そこまで愛してくれているなんて、嬉しいよ。あの薬は……そうだな、ビアンカにでも売るか」

「ビアンカに?そういえば、お婆さん、ビアンカのことを別の名前で呼んでいたけど、ゲシュペンストはビアンカがどういう悪魔なのか知ってる?階級の高い悪魔なのかな」

「階級は紛れもなく高い悪魔だ。他はよく知らん。だが、知らなくていいと思う。聞いても教えてくれないしな。奴らは、騙すことが仕事だ。考えても無駄なことだ」

「ビアンカは必要なの?」

「ビアンカ自身は必要ないさ。ただ、魔具を使って人間や悪魔で遊ぶ。自分の楽しみだけに」

「………アデリナは、大丈夫かな…ビアンカに可愛がられているのかな」

メロウは別れた当時の妹の可愛い姿を思い浮かべる。人間に火炙りにされ、悪魔に連れ去られた幼い妹。ビアンカが来る度、どうしているか聞くが、答えはいつでも「生きているよ、元気でやってる」だけ。もしかしたらもうこの世にいないのかもしれない。

「……ビアンカが生きているというなら生きているだろう。我々には、その言葉を信じるしかない」

「うん…そうだね」

ぎゅっと抱き締められた腕に、メロウは自分の腕を重ねた。


***


「オルスタントの魔女の秘薬じゃないか」

「あぁ、お前に売ろう」

「本当に?」

ビアンカはゲシュペンストが思った通り、オルスタントの秘薬を喜んだ。4つの黒い玉をにやにやしながら眺めている。ビアンカの頭の中には、それを使った悪戯が、きっといくつも浮かんているのだろう。

「報酬の宝石はどれくらい必要だ?」

「宝石ではなく金貨をくれ。路銀が欲しい」

「おや、珍しいね。宝石を加工した方が高く売れるんじゃないか?」

「この街から先は、小さな村がいくつかあるだけだ。宝石だと、逆に使えん」

「ははは、お前、人間臭くなったな」

ビアンカは指を鳴らした。すると、何もないところから袋が現れて、どさりと机の上に落ちた。落ちた衝撃で中から金色の硬貨が飛び出す。かなりの金額の金貨だった。

「足りるかね」

「十分だ。感謝する」

「しかし、オルスタントの魔女に会ったのか?奴はラントゥルと折り合いが悪かっただろう」

「私ではない。メロウが貰ったんだ」

「ははは、あの子は本当に魔に好かれる不思議なやつだな。ところで、その可愛い可愛いお前の恋人はどこにいるんだ?」

ゲシュペンストは隣の部屋を指差した。

「隣の部屋で寝ている」

「へえ、昨日はお楽しみだったの?僕もいれてくれればいいのに」

「断る」

ゲシュペンストは、棚から小瓶を取り出して、ビアンカに渡した。旅を始めてからも、薬は作り続けている。仕事というより習慣のようなものだ。そういえば、とゲシュペンストは昼間、メロウが心配していたアデリナのことを、ビアンカに問うた。

「アデリナは元気か?」

「生きているよ、元気にやってる」

メロウが聞いたときと同じ回答だ。これ以上聞いてもビアンカは、ニタニタと笑って同じ言葉を繰り返す。ゲシュペンストは「そうか」と頷いた。


***


ビアンカが去ってから少し経って、メロウが起きてきた。目を擦りながら、あくびをする姿は幼い頃と変わらない。メロウは机の上に置いてある金貨を見て、驚いた。

「どうしたのこれ」

「ビアンカが来て、オルスタントの秘薬と引き換えに置いていった」

「ええ!こんな大金を?!そんなに珍しい物だったの?」

「魔女の秘薬はとても高価なものだぞ」

「ふうん…これだけあったらご飯に困らないね…あ、ねえ、そういえば今日の夕飯なんだけど……」

メロウは、理解できないような顔だったが、お腹が空いたのかご飯の話になった。忘れたのか、元々あまり興味がなかったのか、たぶん両方だろう。それきり秘薬のことを話さなかった。

「若鳥のもも肉が美味しそうだったから買ってきたんだ!これと、ソースを煮込んで……」

「美味そうだな」

メロウの話を聞いて頷きながら、ゲシュペンストはそっと、胸の袋に触れる。


ビアンカに売ったのは4つ。残りのひとつはゲシュペンストが持っていた。


もし、以前のようにメロウが瀕死の状態になったとき、自分の命を代わりに捧げて、魔力を最大限に使えるよう、ひとつは自分用に取っておいたのだ。

(二度と、そんなことはないと信じたいが……)

残念なことに、そうなる可能性は皆無ではない。だが、この薬さえあれば、メロウが助かる選択肢は増える。メロウはゲシュペンストを守るために傷付き、その結果、死後、悪魔に魂を渡すと言う契約をした。メロウの想いに報いるためには、自分の命を差し出すことになんら抵抗はなかった。

「僕の話、聞いてる?ゲシュペンスト」

「聞いているよ、メロウ」

ご飯の話より、違うことを考えていた?と目尻をつり上げた可愛い恋人の姿に、ゲシュペンストは慌てて、真剣な顔で頷いた。


*END*

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Gespenst 玲 -あきら- @akiraroku

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