第26話

 昨日のドタバタから一夜明けた。朝も中々の忙しさではあったが、夜に比べたら楽なものだ。うるさい野郎たちは既に退出し、そしてまた新たな野郎たちを向かい入れるわけである。


「で、今から何するんだ?」


「部屋の掃除です」


 雑巾とほうきと袋を両手に携え、客室へ向かう。


「......間に合うのか?」


 キヨとイサムは買い出し。残された三人で掃除をする。大きい宿屋ではないが、この人数は心もとない。ましてやクラトスとイグニールの二人は素人だから尚更。


「間に合わせるのです! なので手早くやりますわよ」


「わかってる。イグニール、お前も――」


「わーってるって。いちいち何回も言わなくていいだろうが」


「何回も言わないとやらないだろが」


「そうですわ。みんなで力を合わせて追わらせましょう」


 ファムヴールはグッと拳を握る。


「なぁ、ずっと気になってたんだけどよ。オメェのそれなんなんだ?」


「え?」


「お嬢様口調のことだよ。違和感ありまくりだぞ」


「そ、そうですか? そんなことないと思います......わよ」


「やめろそれ。聞いててイライラする」


「す、すみません......」


 しゅんと落ち込んだ彼女は力なく客室の扉を開ける。カーテンが閉めてあり、酒の匂いと体臭が充満していた。


「くっさ」


 イグニールが顔をしかめる。


「まぁ、昨日あれだけ飲んでたら匂いも残るわな」


「俺、こういう匂い嫌いなんだよな。おいファムブール、窓開けてくれ」


「は、はい!」


 慌てた様子で彼女は走り出そうとした途端、派手な音を立てて転んだ。


「なにやってんだよ」


 呆れた様子でイグニールが手をあげた。


「すみません......」


ふらふらと立ち上がってカーテンと窓を開ける。


「おい、ちょっと言い過ぎなじゃないのか?」


 クラトスはイグニールに耳打ちする。すると彼は不敵な笑みを浮かべた。


「いいんだよ。ああいうのはな、調子に乗らせるとダメなんだ」


「それをお前が言うか」


「俺はいいんだよ。......どうせなにしたって寄ってたかってくるんだし」


「え?」


「何でもない。けど、自分の立場分かってないと痛い目見るぜ。ま、俺なりの優しさってやつよ」


 クラトスは唸っているのをよそに、イグニールはほうきを置いて雑巾で棚を拭き始める。胸にモヤが残るが、ずっとこうしているわけにもいかない。ほうきを手に取って掃き始める。ゴミを入口のほうに集めて、ちり取りで拾い上げていく。


「そういえば、じいさんたちはいつ帰ってくるんだ?」


「確かお昼過ぎに帰ってくると言っておりましたわ」


 はっとした表情でファムヴールはイグニールに目を向けた。聞こえていないのか変わらず、そこらを拭きあげている。


「そうか」


 はい、と彼女は頷いた。それからはこれといった話もなく黙々と続けた。







 この日の夜も酒と料理とせわしなく運び、時々客といざこざに苛まれファムヴールに叱られ、昨日と同じルーティンで終わった。しかし、違う点が一つある。それはイグニールがサボらずにやってくれたという点である。大変ではあったが負担は減らすことができた。


「あぁ、疲れた」


 イグニールが大きくため息をついて椅子に腰かけた。片付けも終わってロビーにいるのは彼とクラトスの二人だけだ。


「おつかれさん。頑張ったな」


「舐めてたぜ......。こりゃ、イサム爺とキヨ婆の二人だけじゃ無理だわ」


「そうだな。それに、ファムヴールがいて助かる」


 あぁ、とイグニールは頷いた。肘を膝の上に乗せ、クラトスの足元に視線を置いている。


「......やっぱ言い過ぎたかな」


 クラトスは眉を上げた。


「いや、今日の掃除する時あいつにさ」


「あぁ。まぁ......そうだな。一言余計だったかもしれないな」


「そうだよな」


 立ち上がった彼は体を伸ばした。


「俺はもう寝るわ。疲れて仕方がない」


「そうするといい。俺も寝るとしよう」


 イグニールは階段を上って自室へ戻る。それにならってクラトスも戻った。


 ベッドに倒れこみ体が沈み込んでいくのが心地良い。目をつぶればすぐに眠ってしまいそうだ。

 そのまま目をつぶろうとした時、右隣の部屋から扉を閉める音が聞こえた。その部屋にいるのは――


「ファムヴールか?」


 コツ、コツと足音が部屋の前を通り、遠ざかっていく。


「こんな時間にどこへ行くんだ?」


 少し引け目を感じながらも彼女についていくことにした。

 たいまつが点々と廊下を照らしている。木がきしむ音を感じながらゆっくりと階段を下っていく。ロビーには誰もいない。恐らく外に出たのだろう。玄関を開けると、道の対面側に背を向けてファムヴールが座っていた。


「こんな時間にどうした?」


 声をかけると小さい悲鳴と主に肩をビクッと震わせた。


「先生? よかった。びっくりしました」


「それはすまん」


 苦笑を浮かべ続ける。


「眠れないのか? 今日は疲れただろう?」


 彼女の横にクラトスは腰をかけ、顔を横に向けた。芝生が湿っていて、尻がじんわり濡れていくのを感じる。


「なんか落ち着かなくて」


「イグニールに言われたこと、気にしてるのか?」


「いや、そんなことは......はい」


 ファムヴールは目を伏せる。


「気に病むことはない。あいつもそのことで気にしていた」


「そうなんですか? ちょっと意外です」


「あぁ。俺も驚いた」


「先生は気にならないんですか?」


「何がだ?」


「わたくしがどうしてこんな口調なのか」


 イグニールが言っていた、取ってつけたようなお嬢様口調は、クラトスも違和感を感じていた。口調だけじゃない、しぐさもぎこちない動きで、どちらも不釣り合いに見える。


「わたくしの家、宿屋を営んでるって言いましたよね?」


 あぁ、と彼は頷く。


「代々営んでいたみたいで、昔はあたくしの家も貴族だったみたいなんです。だけど、お爺ちゃんの代で没落。それでお父さんがまた貴族にしようと奮起していて」


 彼女の目線は暗い芝生に向けたままだ。そっと膝を抱えて顔を置く。


「小さい時から厳しく、特にしゃべり方にはうるさいんです。もっと上品にもっと 貴族のしゃべり方をしなさい――父の口癖でした」


「だからあんな話し方をしていたのか」


「はい。ずっとしなくちゃいけないから疲れました」


 彼女の乾いた笑いが暗闇に吸い込まれる。顔を膝にぐりぐりと押し付けた。


「将来、貴族の家に嫁ぐために修道院に入りました。金獅子学級に殿下と公爵二人がいると知って父は大喜びで。絶対その三人とは仲良くしろ。殿下、それかイグニール様に嫁ぐんだって、手紙に毎回書いてあるんです」


 なるほど。ならこの夏休みも実家には帰りたくないわな――頭の中の疑問がすっと晴れて彼女の申し訳ないが、気持ちいい気分になった。


「ファムヴールって変な名前でしょ? 嫁いだ時を考えて貴族らしい名前にしたんですって。名前負けしちゃいますよ」


「もし、嫁ぐ相手がいないまま卒業したらどうなる?」


「宿屋を継がせると言っていました。結婚の相手は多分、父がどこからか探してくるんだと思います」


「そうか」


 クラトスはごろんと寝そべった。背中にも湿った感触が伝わる。無数の星達が夜空に散りばめられていて輝いている。星々が真ん中に集中して川のように見えた。体の体温で暖められた不快な湿気がすぐに気にならなくなった。


「お前はどうしたい? 親父さんの事は無視して、本当はやりたい事とかあるんじゃないか?」


 隣で芝生が擦れる音が聞こえる。彼女のメガネが星を映し、照らされた顔がほんのり赤くなっているのが分かった。


「......画家になりたいです」


「画家?」


 はい、と彼女は頷いた。


「絵、描くの好きなんです。嫌な事も忘れられるし。家なんて継ぎたくない」


「いいじゃないか。だとしたら授業も大変だろ?」


「座学はいいんですけど、実戦は苦手です。運動音痴だし」


 クラトスは唸り声を上げて空に顔を戻す。


「すみません。色々と話を聞いてくれてありがとうございました」


「気にするな。むしろお前の事が聞けてよかった」


 クラトスは立ち上がって尻を軽く叩く。


「先に戻ってるぞ。あまり遅くなるなよ」


「はい」


 道を渡り玄関を開ける。誰もいないロビーを見渡し、目線を下にやる。


「これは──」


 絹で織られたハンカチが一つ床に落ちていた。クラトスはそれを拾い上げてポケットへしまった。















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白獣と金獅子とたまご 秋栗有無 @manson4me

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