9 敵だ! 敵だ! 敵だぁっ!

 呼ばれて本山がふりかえった、ホームの先頭のほうで、電車が入ってくるのにあわせて白線の手前まで出てきたところだった。とっさに、國木はなにが起きたのかわからなかった。

 本山は目をすがめて、たぶん入ってくる電車の、行き先表示を読み取ろうとしていた。薄い髪が綿毛みたいに風であおられていた。田辺も見つけて、早足で近づこうとしていた。本山が着ているのは薄い青のポロシャツで、そこに、はじめての殺人に興奮したのと國木が殴ったときの鼻血が、黒ずんだしみになって散っていた。

 拳銃を隠し持つだけの良識もまだあった。ゴムのマスクもリュックのなかだった。

 やっと國木は気づいた、本山のマスクはだった、國木が本山にわたした拳銃は、しろうとでもすぐ使える、シンプルで故障のすくないだった、と。それにひきかえ、あっちの売店のそばにいるのがかぶっているのはで、持っているのは國木も職業がら何度かかかわったことのある、で、くせが強くてあつかいにくいから、本山なんかに使いこなせるわけがない、と。

 別人だった。敵を探していた。

 ゴム製のマスクをかぶっているのはそいつだけじゃなかった。あとふたりいた。ひとりは、いま、改札から國木のわきをとおり過ぎたところだった。そいつのマスクは、あの世界的に有名なテーマパークでおなじみのネズミに似ていなくもなかった。スマホをあちこちに向けていた。敵を探していた。もうひとりがそのあとから改札をとおり抜けた。こっちは、びっくりしたように目をまるくして、歯をむき出しにした馬だった。これもスマホを持っていた。敵を探していた。

 アップデート? たぶんそうだった。こいつらはアップデートだった。

 にやけ顔の出っ歯男が、いきなり3Dプリンターの銃をかまえて撃った。

 電車がひときわかんだかく警笛を鳴らした。それに驚いたのか女子高生の集団がけたたましい大声で爆笑した。かき消されて銃声は聞こえなかった。

 田辺が突き飛ばされたようによろけてホームの端から線路に転げ落ちるのを國木は見た。そこに電車が滑りこんだ。すでにホームに入りかけて減速していたからといって、車両の強大な重量を、急ブレーキくらいで押しとどめることなんてできるわけがなかった。たぶん田辺が大声でなにか叫んだ。言葉になっていない、動物的な雄叫びだった。それを警笛が――つんざくような悲鳴さながら――押し潰した。追い打ちをかけるように車輪が線路にこすれてすさまじい金属音が響いた。

 それだけの轟音のなかでも……すくなくともホームのそのあたりだけは、まるで時間が完全に静止したような感じだった。だれも動かなかった。だれもがそれまでやっていたこと(スマホをいじっていたり、友だちや家族としゃべっていたり、スマホで撮影していたり、恋人とじゃれていたり、スマホを見せあっていたり)を中断して、そっちを――ホームのとちゅうの、やけに中途はんぱなところで停止したきりドアを開けるわけでもない電車を――見つめていた。國木も動けなかった。たぶんほんの一秒か、せいぜい数秒のことだった。それが数分か数十分にも感じられた。

 さいしょに本山が動いた。そこに立ったまま、とつぜん、あの年齢なりのまともなおとなだったらぜったいあげないような凄絶な声で叫ぶと(あいつは見たにちがいない、田辺が撃たれて、線路に転げ落ちるところを、そこに電車が急ブレーキの悲鳴を響かせながら突っこむところまで、あますところなく、ぜんぶ)、売店のほうに拳銃を向けた。

 ここでも銃声は聞こえなかった……空気の密度が不自然に増して、まともに音がつたわらなくなってしまったみたいな感じだった。

 にやけ顔の出っ歯のすぐそばで、案内表示板が鋭い破砕音をたてて跳ねた。にやけ顔の出っ歯も3Dプリンター銃を突きつけて応戦した。車両の窓ガラスに、たてつづけにクモの巣状の弾痕が撃ちこまれた。本山がとっさに上体をかがめて撃ち返した。こんどは売店の新聞スタンドが紙くずを高くまき散らして破裂した。つぎの一発はさらにそれて壁ぎわのベンチに握り拳くらいの大きさの穴を開けた。だれかが悲鳴をあげた。なにが起きているか理解したからじゃない、こんなの國木だってまだよく咀嚼できていないんだから、たまたまいあわせてしまっただけのしろうとなんかにわかるわけがない。それともわかっているんだろうか、時代がアップデートされてしまったことを、アンテナを高くして敏感に察知できるなら、ここでなにが起きているかも見抜けるのかもしれない。

 全員が、いっせいに改札に向かって走りだした。

 いらついたように群衆を片手で押しのけながら、にやけ顔の出っ歯が本山に向かって駆けだした。

「敵だ!」

 ゴム製のマスクのなかから、くぐもった声で叫びたてていた。「敵だ! 敵だ! 敵だぁっ!」

 叫ぶたびに撃った。タイミング悪く射線を横切った何人かが、敵でもないのに(あるいは何パーセントの確率で敵なのかまだ判定されてもいないのに)、つんのめって倒れた。それを踏み越えて逃げるのもいれば、立ち止まって抱き起こそうとするのもいた。信じられないことに、足を止めてスマホで撮影しているのもいた。すくなくなかった。たくさんいた。

 本山が撃ち返した……そこで弾がつきたので、頭を低くして車両伝いに改札に向かって退却しはじめた。世界的に有名っぽいネズミとびっくり顔の馬が、駆け足でそっちに向かった。國木はそのまえに割りこんで、ふたりに殴りかかった。びっくり顔の馬はスタンガンを持っていた。世界的に有名っぽいネズミを蹴りつけてから(つま先の感触からして、まちがいなくあばらが折れた)、馬のスタンガンを持つ手をつかんで引き倒した。出っ歯がにやけ顔でまた撃った。本山の身体が逃げるとちゅうでいきなりダンサー並みのすばやさで一回転し、足がもつれて車両に叩きつけられた。右手からリボルバーが、左手からスマホが吹っ飛んだ。車両によりかかって立ち上がることもできずにいるところに、出っ歯が大股に近づいてさらに撃った。本山の身体が跳ねあがり、後頭部が車両にぶつかって鈍い音をたてた。そのままホームにくずおれるのを、出っ歯はスマホで撮影しつづけていた。

 國木はズボンにねじこんでいた拳銃を抜いて出っ歯を撃った。びっくり顔の馬が起きあがろうとしたのでそれも撃った。ネズミは……身体をまるくしてうめいていた。近づくとマスクをつかんで引きはがした。

 男だった。たぶん國木や本山とそう変わらない年齢だった。汗だくで、めがねのレンズにまでしずくがついていた。白髪まじりの髪が、ホイップクリームみたいに逆立っていた。

 スマホを國木に突きつけて、もどかしそうに指先で画面を何度も叩いていた。非難がましく叫びたてた。

「おまえ、敵じゃないじゃないか!」

 そのとおり、國木はこんなやつを知らない。知らないやつは敵になりようがない。時代がアップデートされてしまうまえまでは、そんなのはあたりまえのことだった。

 引き金に指をかけ、銃口を相手の鼻先に突きつけたまま、國木はどうしたものか考えた。


【おしまい】

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片瀬二郎 @kts2r

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