8 おそろしく物騒な場所

 電車が到着したばかりで、すべての乗客がまるでいやがらせみたいにこっちをめがけて押し寄せるので、力づくでかきわけ、さからい、抵抗しなければならなかった。田辺はなんでもないことみたいに人混みのわずかなすきまをくぐり抜け、またたくまに國木を引きはなしてしまった。

 あらためて見まわしてみると、だれもがスマホを手にして、小さな画面をのぞきこんでいた。ひとりで見つめているのもいれば、相手に画面を見せていたり、仲間同士で向けあっているのもいた。こんなのはべつに、いらだたしく感じることはあっても、いつものあたりまえの光景のはずだった。それがいまは、いつにも増して気に入らなかった。五百万ダウンロードがいったいどれほどの数字なのか、國木はこういうことにうといので見当もつかない。ほんとうに時代が……アップデート? されたんだとして、それがどういうことなのかも。このなかの何人か……何十人か、ひょっとして全員が、あのアプリを使っていたとしてもおかしくないのかもしれなかった。ここにいるだれもが画面に映る明るいグリーンの枠線に指先で触れては、敵じゃない。敵じゃなーい! だの、敵だ、チャーンス! とはしゃいでいたとしても。

 それに刃物とかスタンガンとか、しろうとでもかんたんに手に入れられる武器なんていくらでもある。ほんものの銃だって、古い親友ならだいじょうぶだろうとのんきに決めつけて、軽はずみに融通してしまうばかがほかにいないとはいいきれない。

 いま、とつぜん、この街がおそろしく物騒な場所になってしまったことに國木は気づいた。アップデートとはこういうことなのかもしれなかった。なにが起きても不思議はなかった。

 改札にさしかかると、その手前で、大学生くらいの若い男が目のまえにスマホをかかげてにやついていた。そばをとおりざま、國木はもうすこしで殴りつけてしまうところだった。怒り……、いや、恐怖の表情がカメラに映ったからか(そこに判定不能:スマホ使用履歴なしとでも出たのか)、男は画面から顔をあげて不安げに國木を見つめた。國木は目をそらし、改札を急いで通過した。手を出さずにいるために、音をたてるほど強く奥歯を噛みしめていた。

 ホームにつづく階段をあがるあいだもスマホばかりが目についた。薄くなめらかな筐体に、カメラがひとつだけ埋めこまれているのも、ふたつのも、三つ配置されているのもあった。小さな黒いレンズはまばたきをしない不気味な小動物の瞳のようで、そのすべてが、國木が血相を変えて階段を駆けあがるのを凝視しつづけているように思えてならなかった。敵か? 敵じゃなーい! 敵じゃない? 敵だ、チャーンス!

 ホームに出ると、つぎの電車が到着するところだった。くぐもったアナウンスが白線の内側にさがるようにと警告していた。音高く警笛が響いた。國木は本山と田辺の姿を探した。見つけた……ホームの中央あたり、売店の手前の、すこし広くなっているところに立っていた。田辺じゃなかった。なぜなら片手に、まだ隠そうともせずに銃を持っている。田辺のは國木が取り返していまもズボンにねじこんである。ゴム製のマスクをすっぽりかぶって顔を隠し、もういっぽうの手はスマホを高くかかげて、ゆっくりとまわりを撮影していた。敵を探していた。だからあれは本山だった。

 國木は叫んだ。「本山っ!」


【つづく】

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