第15話 バグアイテム


「テミス、この眼鏡お返しします」


「え? もういいのアテナ? 魔力の調整は出来るようになった?」


「はい。光属性は初級、中級は全て覚えました。それに、魔法薬の生成も失敗しなくなりましたので」


「そっか、よかったね」


「では失礼します」


 アテナはテミスが貸していた魔道具【魔力可視メガネ】を返した。この眼鏡を掛けると誰でも魔力を可視化できるという便利な魔道具で、テミスの祖父が発明したものだ。アテナは自分の魔力制御が下手なため初級魔法や魔法薬を作ることが出来なかった。テミスから眼鏡を借りて、自分の魔力を観察し魔力制御方法を自得した。その結果、魔力のコントロールが繊細に調整できるようになり、魔力量が少ない初級や中級魔法、繊細な魔力調整が必要な薬草、毒消し草などの魔法薬と高難度の魔力回復薬までマスターすることができた。


(最近、アテナと話してないな……)


 夏休みが終わってから、テミスとアテナの距離はますます広がった。テミスは学校の窓から外を見る。雲が浮かび風が肌寒く感じる。ポカンと口を開け、途方に暮れていると頭の中から女神の声が聞こえた。


《テミス? 突然だけど、あなたに課題を出します》


(本当に突然だなッ! で、私に課題って何?)


《魔法学校の近くに霊験あらたかな山があります》


(霊験あらたか? あ~、確か七大聖山の1つ【ベルグ山】だっけ?)


《そこへ行きなさい》


(行ってどうするの?)


《迷わず行けよ、行けばわかるさ》


(名言は偉大な人が言うから名言なんだよ)


《元気ですかー!?》


(最近は全然元気じゃないよ……)


《イーチ、ニー、サーン……》


(元気を強要すな)


《なんだコノヤロー!》


(バカヤロー!)


《ご清聴ありがとうございました》


 女神との茶番が終わるとテミスは教室へ戻っていった。翌日は学校が休日のため、テミスは朝からベルグ山に登ることにした。


 休日の朝は少し早めに目が覚めた。登山とはいえ観光地になっているベルグ山。頂上は気温が低いため、テミスは軽装な恰好と厚手のコートを持って寮を出発した。寮から最寄りの駅へ歩いて10分、そこから蒸気機関車に乗り、1時間ほどでベルグ山前駅に到着した。


(9月後半とはいえ、まだまだ登山客は多いな~)


 ベルグ山前駅には防寒具を着た登山客がちらほらいた。ベルグ山は標高2600メートルの霊峰。炎が祭神で頂上には洞窟があり、その中に御神体である炎の鏡が祀られている。4000年前からずっと天然ガスが出続けているので、炎山として神聖化されている。洞窟内の御神体に祈りを捧げると炎神から加護が与えられ、寿命が延びるご利益がある。実際、心臓病患者が一念発起して頂上に登り、炎の鏡に祈りを捧げると、苦しかった心臓が軽くなり下山する時は走って帰っていったという逸話もある。


(さてと、頂上までどれくらいかかるかな?)


 テミスはベルグ山の登山口の看板を見た。そこには山のイラストに登山ルートが赤線で引かれ、片道3.5時間と記載されていた。


(そんなにかかるの!? 往復で7時間! 1日終わっちゃうよ~)


 テミスはさっそく、ベルグ山の頂上目指して登り始めた。太陽はまだ東に傾き、朝9時の気持ち良い陽光が山の斜面に反射する。普段は目を向けない自然の景色をゆっくり眺めながら足を運んでいった。登っている途中で頂上から下山してくる登山客とすれ違う。その時、すれ違いざまに挨拶をする。それが登山マナーのようだ。


「こんにちわ~」


「あっ、こんにちわ~」


 健康そうな老夫婦が笑顔でテミスに挨拶をした。テミスはつられて笑顔になり、軽く頭を下げて挨拶をする。登山客と何度か挨拶を繰り返していると、テミスの心はだんだん晴れやかになってきた。


(なんか元気出てきた! これが女神の狙いか!?)


 女神が自分を慰めてくれたのだ、とテミスは勘違いをした。順調に歩を進めていくと昼食を過ぎた頃に頂上へ着いた。テミスは顔を上げて頂上を見回した。そこは昼にも関わらず幻想的な風景だった。岩の間から炎が揺らぐ。それがあちらこちらに見え、自然のイルミネーションのような景色だった。オレンジの炎が揺らぎ、青く澄んだ空がバックに見える。焚火とは違い、どこか荘厳な炎を感じる。頂上は風が強く吹いているが炎が消えることはない。立てかけてある看板の説明文を読むと『この炎は4000年の間、一度も炎が消えたことがない神聖な炎です』と書かれている。登山客は思ったよりも多く、御神体がある洞窟まで行列になっていた。


(なんか、お正月みたいだな)


 テミスは日本の初詣を思い出していた。横4列に並び、30分ほど経った。テミスはようやく洞窟の中に入れた。洞窟の側面には壁画が描かれている。独特なタッチで炎らしきシンボルと三角の山、牛が横を向いた線画が刻まれている。


(山の中には炎があって、その上に牛が逆さに浮いてる? 焼肉かな?)


 炎神に供物である牛を捧げる図を見たテミスは焼肉を思い出した。腹に手を当てて、朝から何も入れていない胃を心配する。昼食前には寮に帰って来る予定だったため、登山に昼食は持ってきていなかった。テミスは空腹のまま、炎神を祀る祭壇の前にきた。すると、頭の中で声がする。


《バグを見つけてください》


(え!? ここでバグなんてあるの!?)


 テミスの【バグ認識スキル】が起動した。女性アナウンサーの声に従い、テミスは辺りを見回す。横に並んでいた人が貨幣を祭壇へ放っている。祭壇の上には牛の角と炎の形をした鏡が飾られている。その炎の鏡にバグが発生していた。


(あった! けど……たぶん御神体だよね!?)


《バグの前で【2礼2拍手1礼】してバグに触れてください》


(そんなの無茶ぶりだよっ!)


 登山客のほとんどは貨幣を投げた後、両手を組み跪いて祈っている。まるでキリスト信者のような祈り方だった。そんな中、テミスは日本式神社作法で挑まなくてはならない。さらに御神体に触るという罰あたりな行為まで。参拝ルールを知らない海外客が土足でお寺に上がって仏像を触るようなものである。そんな革新的な行動を取らなくてはいけない状況にテミスは躊躇している。すると、後ろに並んでいた強面な登山客が文句を言ってきた。


「おい、まだかよ! こっちは夕方には帰らなくちゃならないんだ! 早くしろよ!」


「あ、すみません。どうぞお先に」


 テミスは強面の男性に先を譲った。鞄から財布と取り出し、一番価値のある金貨を取り出し、右手でぎゅっと握りしめる。強面の男性は貨幣を放った後、まるで何かを懺悔しているかのように長い祈りを捧げている。その間、テミスの心は落ち着きを取り戻し、不動の心で自分の番を待つ。そしてテミスの番が来た―――。


 チャリーン。スッスッ、パンパン! スッ……。スリスリスリスリ。


 金貨を祭壇へ放り、2礼2拍手1礼を堂々とやる。その後、少し前に歩み、ご御神体である炎の鏡を優しく撫でる。洞窟はテミスの2拍手で反響し、登山客一同は度肝を抜かれて言葉も出なかった。


(穴があったら入りたいッ!)


《ピコン。バグアイテム【透明マント】を入手しました》


 テミスが炎の鏡の前で俯いていると、バグが発生していた部分から黒いマントが出現した。そのマントはふわふわと空中を浮かびながらテミスの手元までゆっくりと飛んできた。テミスが両手を差し出すと、そのマントは突然、パサリと落ちた。そしてテミスは黒いマントを急いで羽織った。その瞬間、テミスの姿が忽然と消えた。


(逃げろー!)


 テミスは透明マントを装備して洞窟から逃げるように去っていった。


 洞窟内は騒然とする。突然、罰当たりな行動をとる若者がいたと思ったらマントが出て来て、その若者は忽然と消えた。多くの登山客がその奇跡を目撃してしまった。


「今のはなんだったんだ!? 人が消えたぞ!?」

「いや、そもそもあれは人だったのか?? 炎神の化身だったのでは??」

「だったら我々の祈り方が間違っていたのかもしれない。炎神自ら我々に教化したのだ!」

「そうか! これからは、さっきの女の子のようにすればいいのか!」


 テミスの革新的な神社作法は、この土地の祈り方のルールを変えてしまった。その後、洞窟内では大きな2拍手が響き続け、奇跡を目撃した登山客たちは周囲の人々に新たな逸話を伝えていく。霊験あらたかなベルグ山。【炎神の化身が出現し人々に新たな祈り方を教え忽然と消えた】。ここの看板に新たな逸話がまた1つ刻まれた。


 テミスはそんな事もつゆ知らず、透明マントを羽織ったまま逃げるように去り、ベルグ山を走って下山した。

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