第14話 平和な世界
魔法学校は夏になると閑静になる。昼を過ぎても生徒たちの騒がしい声は聞こえない。教室は窓が開けられカーテンが揺らぐ。机には誰も座っておらず、教師たちは職員室で黙々と仕事をしている。夏休みに入って数週間が経っていた。学校に近い生徒は自宅に帰り、学生寮から通っている生徒たちは学校から少し離れた場所で夏休みを過ごしていた。
テミスは学生寮の自室のベッドで寝ころびながら、ソーダアイスを食べている。
「夏休みはやっぱいいな~。学生の特権だよ。出来ることなら、ずっと怠けていたいな」
テミスの部屋は6畳一間。簡素なベッドと勉強机が置いてある。壁際には狭いクローゼットがあり、そこに魔法学校の制服や私服、テミスが森の実家から持って来た荷物が押し込められている。冷蔵庫とトイレと風呂は共同で、食事は学校の食堂を利用する。
テミスの机には夏休みの宿題が山積みになっている。魔法学術論初級、魔法属性概論(火属性編)、やさしい魔法薬学、魔物図鑑、魔物の対策と方法、魔法の歴史などなど。
夏休みが終わるまで残り1週間。テミスの宿題はまだ半分以上が残っていた。アイスを食べ終わると、テミスはだるそうに机に座る。
「はぁ~、また勉強か~」
テミスは鉛筆をトントンと机で鳴らしながら窓の外を見た。夏の青空と入道雲が昔の夏休みを思い出させる。
(そういえば、私が東条正義少年だった頃、宿題とか出たら真っ先にやる子だったのにな~)
バタン。
テミスの部屋のドアがノックなしで急に開いた。テミスは慌てて宿題のやさしい魔法薬学のページを開く。
「えーと何々? 薬草の材料を答えよ。なるほどなるほど。確か、虹トカゲの目玉とトゲトゲ草と毒蜘蛛の糸だっけ……あれ? アテナいつからそこに? 私、勉強に集中し過ぎてて気づかなかったな~ははは」
テミスはわざとらしくアテナを見あげた。アテナはテミスのノートを見て言った。
「まだ白紙じゃないですか。それにさっきテミスが言ってたのは毒消し草の作り方です」
「そ、そうそう! いや~最近、物忘れが酷くてね~」
「なんだか、今日のテミスはおじさんみたいです」
アテナは机の後ろにあるベッドに腰かけた。魔王直属の部下ブロウとの一件以来、テミスとは自分から距離をとっていた。だが、夏休みの終盤になると勇者パーティーのリーダーとして、怠け者のテミスの宿題をチェックしに来るようになった。テミスは鉛筆を机に放り投げ、両手で頭を組んだ。
「アテナ~、そもそも宿題っておかしくない?」
「なぜですか? 学生は勉強が本分です。いくら休みだからって、勉強を怠るとダメ人間になってしまいます」
「違う違う。それは精神論でしょ? 私は学生の本分は世間を学ぶことだと思うな。子供は世間に出る前に学校で世間のルールを学ぶんだよ。先生たちは勉強を教えることが仕事だからさ? 学生の本分は勉強だっていうけど、それを言うのも仕事のうちなんだよ。だって学生の親からお金貰ってるんだもん。先生は学生の親のために勉強を教えてるんだよ?」
「確かに一理あります。でも、魔法教育を知らないと世間で通用しないのでは?」
「私たちは魔法使いだよ? 勉強よりも世間で魔法を活用する術を身に付けるべきでしょ?」
「具体的に言うと?」
「魔法で料理とか、魔法で配達とか~。それから~、魔法で皆を楽しませるとかさ!」
「そういう道もあるかもしれませんね」
「でしょでしょ!? だから、学校は世間の予行練習だよ。勉強ができる子が出世するとは限らないし、学校で落ちこぼれだった子が世間で出世することもあるでしょ?」
「そういうケースもあるでしょう。でも、テミスの場合は宿題をやりたくないと駄々をこねているだけで、ただの言い訳です」
「ううッ」
テミスの論駁はアテナの説得に失敗した。アテナはテミスの後姿を見てから天井を見あげた。窓からは心地よい風が吹き、夏草の香りが2人を和ます。アテナは少し躊躇してからテミスに訊いた。
「テミス? ……あなたは、なぜここへ来たのですか?」
「う~ん、魔法学校にってことだよね? それはジーちゃんが行けって言ったから」
(ジーちゃんは勇者を裏で支えろって言ったんだよね。力を隠すのは光の側が一番だからって……)
「では、学校を卒業したらどうするのですか?」
「う~ん、それは考え中かな。アテナは何か目的があってここへ?」
「もちろんです。私は勇者の末裔。だから……魔王を倒すために誰よりも強くならなくてはいけないんです」
アテナは真っすぐな瞳でテミスを見た。テミスはアテナの目をそらし、窓のサッシにもたれかかった。
「私ね、前に一度、人の命を助けたことがあるの。その時、私は死にかけた」
(本当はそのまま死んだんだけどね……)
「そう、なんですか……」
「それでね、私はこう思ったんだ。自分は何のために命を投げ出したのか? 今までの正義は何だったのか? 命を危険にさらすことが本当に私のやりたいことだったのか? ってね」
「はい、分かります」
「だから、私は争いを避けたい。人はもちろん、魔物だって生きてる。命の奪い合いなんてくだらない。本当は戦うのが嫌なんだ」
「テミスは平和な世界を望むのですね」
「そう。争いのない楽しい人生にしたい。アテナは?」
アテナはベッドから静かに立ち上がり、テミスの顔を見ず、そのままドアへ向かった。ドアの前でアテナは後姿のまま答えた。
「私もテミスと同じ意見です。でも、テミスとは行く道が違うようです。私は自分の命を犠牲にしてでも、皆の平和を実現させなくてはいけません。テミスの言う平和は個人の平和です。私が必ずそういう世界にしますから、テミスはそれまで待っていてください」
「え?」
テミスはアテナが言ったことを理解できなかった。アテナはそのままテミスの部屋を出ていった。その後、夏休みが終わるまでアテナとテミスは顔を合せることはなかった。
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