第12話 レンズのない眼鏡


 6月になると新入生もすっかり魔法学校になじみ日常風景の一部となる。この季節はジメジメしてて雨が多く太陽を見ない日が続く。勇者パーティーは修学旅行でスクリーム男爵の館で不思議な体験をした。それ以来、少しだけ絆が深まった。ただし一部を除いて。


「おいッ、アテナ。さっきから肘が当たってんだよ」


「当ててんのよ。邪魔だから」


 今日の授業は実験室で魔法薬学の講義。薬を作る理論を学んだら、自分たちで薬を作る実地。生徒たちは4人パーティーで机を囲み、1人1人が薬を一から作っている。ジークとアテナは隣同士で、2人はなにかと喧嘩を始める。


「まあまあ、2人とも。仲良くしようよー」


「ふむふむ、喧嘩するほどなんとやら。我々は見守ることしかできませんな~。メアート君?」


「でもでも、ジーク君はねー? 本当は嬉しいんだよー? だってさっきね―――」


「言うなッメアート!」


「むぐぐ」


 ジークは咄嗟にメアートの口を塞いだ。ジークの顔が自分の赤髪と同じ色になる。テミスはレンズの入っていない眼鏡をかけながら、眼鏡をクイッと上げる仕草をする。


「それは興味深いですな! さあアテナ君! ただちにメアート君を救出し、ジーク工作員の口を割るのです!」


 テミスがけしかけると、アテナは首を横に振った。


「くだらない。テミスも白衣着てるからって賢ぶらないでよ。それにその眼鏡、何でレンズ入ってないのにかけてるのよ」


「むむむッ」


 アテナは茶番には乗らないようだ。テミスは眼鏡の縁を上げて眉間に皺をよせ煩悶している。アテナは自分の前に置いてある壺に薬草を入れる。


「これがウサギヤナギ、これが月の花の花粉、それと最後に魔人参の葉を入れて……かき混ぜると」


 ボンッ。


「あれ?! 何で!?」


 アテナの壺から紫色の煙がのぼった。他の3人が同じ工程をすると、緑色の液体から青色の液体へと変化した。どうやらアテナだけが薬草の生成に失敗したようだ。


「アテナ薬草作るの下手だな~」


「何で私だけ?? だってテミスたちと同じ工程だったのに……」


「私のは愛が入ってるからね」


「愛? どうすれば……」


「い、いや。真面目に受け取られても」


 テミスの冗談を真に受けてしまうほどアテナは困惑していた。再び魔法教師の説明が始まる。


「えー、次に作るのは毒消し草です。さきほどと同じ壺に……」


 魔法教師は瞼の下がくまになっていていつも眠そうな目をしている。だが、色白の美人でどこか妖艶さを感じる。ゴスロリのような黒い服装をしていて、その見た目通り、魔法の闇を全て知り尽くす呪術研究者でもある。アテナは魔法教師の説明を真剣に聞くと、すぐさまメモを取った。そして再び、メモを見ながら毒消し草の材料を壷に入れる。


「これで……完璧です―――」


 ボンッ。


 アテナの壷から黒い煙がのぼった。アテナは肩を落し、涙目でテミスを見る。


「テミス~、私に愛を、愛を教えてくださ~い」


「いやだから、さっきのは冗談だって」


 アテナをあやしていると、突然テミスの頭の中で声がした。


《テミス~、私にも愛を頂戴~!》


(流れるように入って来るな、女神!)


《まあ、冗談はさておき。アテナが薬を作れないには訳があるのよ》


(そうなの? 確かに分量やタイミングは私と一緒だし……)


《アテナは魔力調整が下手すぎる》


(どういうこと?)


《その授業は魔法学校の生徒にしかできない授業。一般の人が作っても魔法の薬はできない。じゃあ魔法学校の生徒との違いは?》


(魔力かな)


《そう。薬草や毒消し草、あらゆる魔道具は魔力あってのもの。そして魔力を道具に注入することで魔道具ができあがる》


(つまり、アテナの魔力調整を何とかできれば―――)


《そこで今回の課題! アテナに【魔力制御】を教えること》


(やり方はどうすればいいの?)


《なんでもかんでも訊けば答えがあると思わないでよね!? 今回は自分で考えなさいよ!!》


(あれ? 今日の女神、なんか荒れてる??)


《荒れてないわよ! なんで……グスンッ、なんでアイドルって年取るとワガママになっちゃうんだろう。そしてアイドルは解散していく》


(そりゃ人間だもの。最後は好きにさせてあげなよ)


《知った風に語るな! アイドルはみな、永遠のアイドルを目指しなさいよッ!》


(んな無茶な)


 女神との通信が切れ、テミスは授業そっちのけで考え込む。


(アテナの魔力制御か~、とりあえず明日からやってみますか)


 翌日、曇天の蒸し暑い放課後、テミスはアテナと訓練場へ行った。魔法訓練場は入学時の能力測定に使った場所で東京ドーム1個分ほどの広さがある。そして2人は魔法を当てられる鉄壁の前に来た。


「アテナ、この壁に初級魔法を当ててみて」


「初級? 私は上級魔法しか使えません」


「え?」


「ですから、光属性の上級魔法【プロミネンス】しか使えません」


(なるほど~、魔力の出力が大きすぎて初級と中級をスッとばしてきちゃったんだ)


「そうだッ」


 テミスは制服のポケットからレンズの入っていない眼鏡を取り出した。それをアテナに渡す。


「これ掛けてみて」


「これは昨日の?? はい分かりました」


 アテナは銀縁眼鏡をかけた。黒髪美少女が知的に見え、テミスは顎をさする。


「ほう、眼鏡もなかなかいいですな~」


「えッ? テミスはこっちの方が好きですか?」


「う~ん、アテナはどっちも可愛い」


「そ、そうなんですか」


 アテナは少し頬を紅潮させる。そしてふと自分の手を見るとある違和感に気づいた。


「あれ? 何か黄色い光が見えます」


「それが魔力だよ」


 アテナの目には身体を纏う大きく揺らぐ黄色い光が見えた。そしてテミスの身体からは微量に揺らぐ魔力が見えていた。


「その眼鏡はジーちゃんの魔法道具でね? 魔力が可視化できる眼鏡なんだ。昨日はその眼鏡をかけながら薬草とか作ってた。だから先生にも高評価だったでしょ?」


「確かに。珍しくテミスが1番の評価を得ていましたからね。なるほどそういう訳だったんですか」


「それで本題はここから」


「はい?」


 アテナはテミスを訝しげに見た。


「アテナは常に魔力が出過ぎている。だからこの眼鏡で、どういう時に魔力が大きくなって、どういう時に魔力が小さくなるのか、自分の魔力を観察してみてほしいの」


「魔力を観察?」


「うん。観察していれば、魔力のコントロールができるようになるかもしれない」


「魔力がコントロールできるようになると、どうなるんですか?」


「初級魔法や中級魔法が使えるようになる。それに薬草も毒消し草も作れるようにね?」


「ほ、本当ですか!?」


 昨日の魔法薬学の授業で成績がビリだったアテナはテミスの肩を掴んだ。そしてさっそく、自分の魔力の揺らぎを観察し始めた。テミスは我が子のように優しくアテナを見守る。数日過ぎると、アテナは興奮しながらテミスに話しかけた。


「テミステミス! どうやら私は、気分で魔力が変わるみたいです! リラックスしてるときは魔力が小さくなって、緊張しているときやイライラしているときは魔力が大きくなるみたいです!」


「そかそか」


 テミスはアテナを子犬のように撫でる。アテナの目は輝き、まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のようだ。


 ピッシャーーーン! ゴロゴロゴロ。


「キャッ」


 今日は朝から雨が振り、時々、雷が落ちる。アテナは反射的にテミスに抱きついた。そして、テミスは窓の外を睨んだ。


「今の気配は何? ごめん、アテナ! 今日、私授業さぼるから」


「テミス!? どこ行くんですか?」


「ちょっと野暮用!」


 テミスは1人で勝手に走っていった。アテナはおろおろしながら廊下を右往左往している。だが、授業のベルが鳴り担任教師に呼ばれ、アテナはしぶしぶ教室へ戻っていった。

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