第1話 勇者になりたくない


(俺は……あのまま死んだのか? 川で溺れている老人を助けて死んだ。それが俺の人生か……)


 死後の世界は真っ白な空間が果てしなく広がっている。太陽も雲も土もなく、固くも柔らかくもない白い地面があるだけだった。男はポツンと地面に座り、全裸でその白い世界を眺めている。すると、後ろから声が聞こえてきた。


「東条正義34才独身。正義感溢れるリーダー的存在で皆に慕われていた。八月某日都内某所、川で溺れている老人を助けた後、川で溺れて絶命」


「誰だ?」


 男が振り向くと、そこに立っていたのは美しい女神だった。女神は男の顔を見て微笑した。その美貌に囚われた男は邪念を振り払うように頭を振った。


「私はあなたの世界を司る神。あなたの命は尽きました。天命です。そして、これから先を選択しなければいけません」


「選択? 死んだ後があるのか?」


「そうです。人は命が尽きると肉体を捨て輪廻転生をします。つまり、これまでの記憶を消去し、赤ちゃんへと生まれかわるのです。しかし、あなたには選択することが出来ます。1つ目の選択肢、通常の生まれかわりです。このまま記憶を消去して再び元の世界で赤ちゃんとして生まれかわります。もちろん、今までの善行が積み上げられ、さらに良い人生がおくれます。あなたはこれまで3955回の記憶を消去し繰り返し生まれかわっていたのです」


「とても信じられないな……」


「まあ、そうでしょうね。ですが、天界ではそれが当たり前のことなのです。そして、2つ目の選択肢は……」


「何だ?」


「あなたの記憶を維持したまま、次の転生先で【勇者】となって世界を救うのです」


「俺が世界を救うだと? なにかの間違いだろ。俺は老人1人助けて死ぬような男だ。世界を救うなんて馬鹿げている」


「いいえ、あなたにはすでに備わっているのです。魔王と戦う強い意志が」


「人は器を超えてはいけない。俺はもうこりごりなんだよ。自分の命を危険にさらしてまで人の命を助けるなんて……結局は報いのないことだろ」


「それは違います! あなたは素晴らしい人材なのです! 強靭な肉体と不屈の精神。そして剣と魔法が加われば、最強の勇者となるでしょう!」


「俺はもう正義を捨てたんだ。命を懸けた人助けなんて……するもんじゃない」


「あれ~、おっかしいな~? だ、だからね? それは勇者へと成熟する過程であって、正しい選択だったのですよ? 自分の命を賭して恐怖に打ち勝つ勇気、弱き者を救う正義感。これほど勇者の素質を持った人材は他にいないではありませんか?」


「自分の命も尊いだろ」


「そ、それは……」


 女神は男の発言に焦りを感じていた。この女神に託された使命は『勇者を育てること』。3955回という人生を繰り返し、ようやく勇者の魂に仕上がったと期待していたその男は、女神の期待を裏切り、今までの苦労を全て台無しにしようとしていた。女神は男の過去世に思いをはせ執拗に勇者転生をアピールした。


「ほらッ! ここ! ここを見てください!」


 何もない空間からホワイトボードが出現した。そこには勇者になる利点が箇条書きされていた。


 1  勇者になると英雄になれる。

 2  勇者になるとなぜか皆に好かれる。

 3  勇者になると老後の心配がない。

 99  勇者に……以下省略。


「そういうのもういいんだ」


「へ? こんな名誉は他では味わえないですよ? あッそうだ! ハーレム! そっち系の人!」


「だからッ! 俺はそんなの望んでない!」


 男はホワイトボードと女神から背を向けた。男の興味を何1つ湧かせられない勇者利点ボードは役目を終えたように虚しく消え去った。女神にとっては計算外。本来なら、ここで勇者の魂を奮い立たせ、魔王討伐へと誘いたいのだが、普段の女神の怠惰な監視が仇を成した。女神の顔はひきつり、言葉で説得できないことを悟り、強行手段で力づくで異世界の扉へと押し込もうとする。


「ほらほらッ! 勇者って、あなたの小さい頃の夢だったでしょ? ヒーロー戦隊とか怪人退治とかゲームの主人公とか! 子供の頃の夢が、いま実現しますよ~! さあここから、あなたの伝説が始まるのです! このドアを開けてッ、中に入って……ぐぬぬう。はあはあはあ」


 男の強靭な肉体は女神の非力な腕力では動じなかった。そして、男は女神に向ってこう言った。


「俺は勇者になりたくない。もし、次の人生があるなら、もっともっと自由に気ままに楽しく生きたいんだ!」


「……そんな」


 ピカッ!


 バサッバサッバサッ、バサン。


 突然、上から閃光が発せられ、空から双子の天使が舞い降りてきた。女神と男が異世界のドアの前に立っていると、双子の天使たちは口を開いた。


「あなたは女神失格だ」

「勇者を育てるのは女神の仕事よ」


 双子の天使が交互に喋る。


「勇者を拒否した男には制裁だ」

「男の魂は抹消よ」


 双子の天使は互いに手を合せた。すると、数メートルの黒い玉が出現した。黒い玉の周囲には赤い雷がはしり、バチバチと音を立てて唸っている。双子の天使は無常な笑みを向けた。男はそれを黙って見つめた。


「待って待って! なにも魂を消すことないでしょ!? そしたら本当に終わりなのよ? ここまで繰り返した輪廻転生が台無しよ!」


「却下だ」

「バイバイ、勇者になれなかった人」


 双子の天使たちは手を振り、友達のような別れ方をする。女神は油汗と冷や汗でベトベトになり、男の屈強な肉体をなんとか異世界のドアへと押し込もうとしている。


「ほらッ、まさよし! 勇者になりたいって訂正しなさい、まさよし! 勇者にならなきゃ、無に還るしかないのよ、まさよし~!」


「い、イヤだッ! 俺は絶対に勇者にだけはならないぞ!」


「こんな所で不屈の精神を使わないでよ! あなたが勇者になれば、それで丸く収まるんだからッ!」


 男の断固とした態度は女神をさらに追い詰める。天使たちは互いに目を合せて頷く。


「東条正義。永遠なれ」

「無に還り、再び目覚めることはないでしょう」


 天使たちは黒い玉を放った。男は黒い玉を睨み、腕をクロスさせ全身を防御態勢にして構えた。女神はパニック状態になり、どうにか男を守ろうと頭をフル回転させる。そして―――。


「もうッ! どうとでもなれー! カオスゲート!」


「うわぁぁぁぁぁ……」


 女神はどこの世界にも通じていない空間、異世界と異世界の狭間へと男を落した。男の下に魔法陣のような紋様が出現し、ポッカリ穴が開いた。男はそのまま、穴の中へと落ちてねじ曲がった空間へ行ってしまった。


 穴は閉じられ、男がいなくなり、天使たちは黒い玉を霧散させた。そして、女神を睨む。


「お前の所業は父に報告だ」

「天罰よ」


 すると、双子の天使たちは空へと羽ばたいて行った。女神はヘナヘナと座り込み、どうにか男を逃がせたことに安堵する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る