第58話
春の温かい日差しが、私たちをぽかぽかと包み込んでいる。まだ寒いかと思いセーターを着てきてしまったが、この時期にはもう厚着だったかもしれない。
町の外れにある壊れかけたバス停でバスを降りた私たちは、車も人もほとんど通らない田舎のはずれの道を歩いていた。右手にある土手の向こうで、川が流れている音が聞こえる。
私の前を歩く想介は、さっきからなかなか言うことを聞かない亜美の車いすのタイヤに苦戦していた。わずかに口が開いてしまっているリュックからは、さっきホームセンターで買ったばかりのろうそくと線香が顔をのぞかせている。
「なんだかんだ言ってこれが初めてなんだよね、三人でのお出かけ。相良、私重くない?大丈夫?」
「うーん、ちょっと重いかも。黒川ちゃん、太った?」
「うわー。京平が聞いてたら絶対相良怒られてたよ。京平はいつでもジェントルマンだもん。ちょっとは見習ったらどう?」
最近、亜美の口からよく京平くんの名前が出てくるようになった。少しずつ、だけど確かに。私たちは前を向いて歩き始めている。
いつの間にか、あれからもう四か月近く経つ。
亜美は今年になってやっと退院し、車いす生活を続けながらも高校を卒業した。四月からは私と同じ県内の大学に通うことになっている。第一志望の大学が不合格だった想介は、浪人を決めてあと一年地元に残って頑張るのだそうだ。
そして、京平くんは―。
「はい着いた。ここだよ、ちょっと車いすはきついかもな。どうしよう…」
「相良と栞、二人で行ってきていいよ。私はここで待ってるから」
「それじゃ一緒に来た意味ないでしょ。京平に怒られちゃう。大丈夫、俺が黒川ちゃんのことおんぶするから。ほら、乗って」
かがんだ想介の背中に、亜美が恐る恐る手を伸ばす。亜美の腕が自分の首にしっかりと巻きついたのを確認すると、想介は立ち上がった。感覚を失った亜美の足がけがをしないよう優しくその両手で亜美の足を支え、歩き出す。
亜美のことを重いなどと言っておきながらも、想介の足取りは軽やかだった。時折亜美が自分の背中から落ちてこないように、立ち止まってはしっかりと亜美のことを背負いなおしている。
口ではなにを言おうが、想介はこういう人間だ。
亜美の降りた車いすをたたんで持ち上げると、私も二人の後についていく。
想介の足が、ある場所で止まった。
「ここが京平の…」
「そう。ここに京平と、京平のお母さんが眠ってる」
『斎藤家』と書かれたお墓は、周りの他のお墓と違ってなぜか生き生きとして見えた。側面に彫ってある京平くんの名が新しい。
京平くんの眠る墓石の前には少しだけ開けた場所があった。すぐにそこに車いすを広げ、想介の背中におぶされていた亜美を慎重に座らせる。以前は亜美の体を動かすことにかなり苦戦していた私たちだったが、今日ここに来るにあたって何度も練習した甲斐があった。京平くんのお墓参りは、ずっと亜美が望んでいたことだ。
亜美が無事に座ったことを確認すると、想介はリュックを下ろし、中からタオルを取り出す。お寺の入り口で水を汲んでくると、すぐにタオルを水に浸し、慣れた手つきで墓石を拭き始めた。
「相良、慣れてるね」
感心したように亜美が言う。私も同じことを思っていた。名前のところも、墓石のわずかな隙間も、想介はよく目をいきわたらせて丁寧に拭いていく。
「京平が入院するときにここの場所教えてもらっててさ。ほら、京平お母さんのことすごい大事にしてたじゃん?自分がお墓参りに行けないこと、京平すごく気にしてたから、京平が入院してからは俺が代わりに京平のお母さんのお墓参りに来てた」
しゃべっている間も想介の手はせわしなく動いている。
「想介、すごいね。そんなことまでしてたの私知らなかった」
「うん、相良すごいよ。冬とか寒かったでしょ」
「冬ねー、寒かったなぁー。手とかキンキンだったし」
でもね、と手を止めて想介がこちらに振り返る。
「でも、俺は京平の友達だからね。友達の、京平の大事な人は、俺にとっても大事な人だから」
私たちが言葉を返す間もなく、想介は再び手を動かし始めた。
想介のこういうところは、昔からずっと変わらない。想介だけはずっと京平くんのそばにい続けた。京平くんの友達であり続けた。
想介の京平くんへの想いはもはや、愛だと思う。どうか想介の想いが京平くんにもちゃんと届いていますように。
その後も想介は丁寧に墓石を磨き続けた。想介が定期的に来ているだけあってもともと綺麗だった墓石も、想介の頑張りでさらに綺麗になっていく。
一通り掃除を終えると、想介は額についた汗をぬぐった。墓石を見る真剣なそのまなざしがやけにまぶしく見えた。
「じゃあ、手、合わせよっか」
想介の言葉を皮切りに、車いすに座った亜美が手を合わせて目を閉じた。隣を見ると想介もすでに手を合わせ、眉間にしわを寄せながら目を閉じている。あっという間に私だけ取り残された。
とりあえず私も想介に倣って目を閉じる。
ここに京平くんが眠っている。頭ではそうわかっていても、まだどこかで信じられない自分がいた。
どうしよう、なんて言えばいい。
京平くんのことを思い浮かべると、自然と心の中に言葉が浮かんできた。
京平くん、お久しぶりです。
今日は初めて亜美を連れてきたよ。見えてる?
こんな感じでいいのだろうか。何度お墓参りに来ても、この時間に何を考えればいいのか、いまだに正解がわからない。隣の二人は何を考えているんだろう。もしかして、何かルールがあるとか―。
「ふふっ」
そこまで考えて、自分で自分がおかしくなった。こんな私の心の中も、きっと京平くんからは丸見えなんだろう。
しっかりと目を閉じると、心の中でもう一度京平くんに語りかける。
京平くん、私まだ京平くんがどこかで生きてる気がします。だからこうやって手を合わせてるのって、なんかちょっと、変な感じです。
もうお見通しだとは思うけど、一応言っておくと、私まだ京平くんのこと普通に好きだから。京平くんの亜美を想う気持ちも知ってるし、亜美が京平くんを想う気持ちももちろん知ってるけど、私が京平くんを想う気持ちには結構自信があります。
中学校のときも、高校に入ってからもいろんな形で京平くんのこと、困らせちゃったね。ごめんなさい。でも、今となってはそれもいい思い出なのかなって思います。京平くんもきっと、そう言ってくれるよね。不器用な彼女ですみませんでした。
亜美に恋愛感情はない、みたいなこと前に言ってた気もするけど、私あんまりそれ信じてないので。亜美に京平くんのこと取られちゃわないように、頑張っていい女でいたいです。こんな心の声も聞かれちゃうのは結構恥ずかしいけど、心の声は抑えられないので諦めます。
亜美のことは、私が責任をもって守ります。約束します。
それから想介も。私が頼むことじゃないかもしれないけど、受験勉強は寄り添ってあげてほしいです。
あと、―もしまだ残ってるパワーがありそうだったら、っていうかなくても、私のことも見ててくれたら嬉しいです。これからも、よろしくお願いします。
目を開けると、二人ともまだ目を閉じたままだった。伝えたい想いがたくさんあるんだろう。
でも、私はもう目は閉じない。
だってきっと、京平くんはここにいるから。私が目を閉じなくても、京平くんはきっと私のことを見てくれているはずだから。
私の想いが、どうか、京平くんに届きますように。
「また来るよ」
京平くんにだけ聞こえるように、小さな声でそっとつぶやいた。
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