第54話
病室を出ると、声をかけようとする私を振り切るかのようにずんずんと想介は先に歩いて行ってしまった。
「想介」
先を歩く想介の背中に呼びかけるも、想介は返事をしない。聞こえていないはずないのに。
「想介、待って」
廊下の角を曲がるとなお足を速める想介を、小走りで追いかける。正面のエレベーターのドアが開いた。これに乗られてしまったら私は想介に追いつけなくなってしまう。
「待ってよ、想介!」
ぎりぎりで伸ばした私の右手が想介の左手をつかんだ。観念した想介が足を止める。先にエレベーターに乗っていた乗客が、怪訝そうに私たちのことを見てきたが軽く会釈をするとエレベーターのドアがゆっくりと閉まった。
何も言おうとしない想介の手を引き、ラウンジの隅まで連れていく。私が向かいあって立っても、想介は頑なに顔をあげようとしなかった。
「想介。なんでさっき亜美に嘘ついたの?」
想介は下を向いたまま、なにも言わない。
ねえ、なんで嘘ついたの?なんでちゃんと亜美に京平くんが―」
「亡くなったって、言える…?」
上目づかいで私のことを見上げる両方の目から、はらはらと涙が頬を伝って流れていく。その姿は、小さいころ私が守ってやらなければいけなかったあの頃の想介と重なった。
「黒川ちゃんに、本当のこと言える…?黒川ちゃんが眠ってる間に京平は死んじゃったって、もう会えないよって…。黒川ちゃん、また京平に会うの楽しみにしてた…」
涙で声を詰まらせながらも、想介は自分の想いを伝えてくる。
「誰も言ってないんだよ…、本当のこと。あの感じだと森ちゃんだって隠してる。なのに俺らが言える?それを。
藍沢だって、黒川ちゃんのこと見たでしょ?何も知らない間に自分の身体があんな風になっちゃってて…。そのうえで京平が死んだなんて言ったらどうなっちゃうと思う?三日経ったって言っても黒川ちゃんはまだ意識が戻ったばっかなんだよ。それで黒川ちゃんまでなんかなったら…、俺、耐えられない…」
そこまで言うと、想介は両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
想介の話を聞けば聞くほど、自分が間違っている気がしてくる。亜美はまだ意識が戻ったばかりで、京平くんの死を伝えるにはまだ早すぎるかもしれない。森田ですらも伝えていないなら、私たちがわざわざ言う必要なんてないのかもしれない。もう少し時間が経てば亜美は自分で気が付くかもしれない。でも―。
「しっかりしてよ、想介!京平くんはもういないんだよ!」
静かなロビーに私の大声が響いた。もの珍しそうに私たちのことを見てくる患者たちの視線を感じる。
想介が驚いて見上げてきた。真っ赤になった顔と目が合う。
「想介、私病室に戻ろうと思う。亜美に嘘ついたことちゃんと謝って、ほんとのこと伝えてくるから。想介が無理なら、私一人で行ってくるから」
すぐに想介は立ち上がったものの、何も言葉は発してこない。ならば私が一人で行かなければ。その場に立ち尽くす想介に背を向けると、私は歩き出した。
涙こそ出てこないが、心臓が内側から私の胸を痛いほど強く叩いてくる。さっき通り過ぎた廊下の角に差し掛かると、その痛みはさらに強まっていった。
本当は私だって想介のように泣いてしまいたかった。できればこんなことなんてしたくない。思いっきり泣いて、逃げ出してしまいたかった。でもさっき、確かに京平くんの声が聞こえたような気がしたのだ。私が亜美に本当のことを伝えなければ。いつか亜美は、もっと傷ついてしまう。
気が付くと病室の前まで戻ってきていた。
「京平くんの想いは私が必ず届ける」
心の中で自分にそう言い聞かせると、トントン、と二回ドアをノックした。
「はい、どうぞ」
中から亜美の声が聞こえる。亜美はきっと私だとは思っていないだろう。私が、ちゃんと伝えるんだ。
大きく深呼吸をすると、私はドアの取っ手に右手をかけた。
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