第47話

 想介が私の家に迎えに来るまではまだ時間がある。朝食を摂る気にもならず、部屋を出るとまっすぐ洗面所へ向かった。

 鏡に映った私の目は腫れぼったく、二重幅も狭くなっている。

 何度か冷水で顔を洗い、瞬きを数回繰り返すと少しはマシになった。想介ならきっと、こんな私の顔を見てもなんとも思わないだろう。小さい頃から想介は私のいろんな顔を知っている。

 目尻の少し上がった切れ長の瞳が鏡越しにこっちを見つめてくる。昔から私は顔がこわいとか、気が強そうとか、そう言われることが多かった。

 ふと、京平くんの目に私はどう映っていただろうかと考えた。私が大好きだった人は、私をどんなふうに見ていただろう。

 私が最後にちゃんと京平くんと話したのは、おそらくあのとき。彼の柔らかくて温かい声を聞いて、真っ直ぐなあの目を正面から見つめることが許された、その最後の瞬間は、多分あの日だ。


「お久しぶり。ごめんね、急に呼び出して」

「話ってなに?」

「ちょっと相談したいことがあって」


 去年の夏、放課後の掃除を終えて玄関に向かっていたところを急に呼び止められた。明日の放課後、あの公園に来てくれないか、と。驚いた私が小さく頷いたのを確認すると、京平くんは急いで走っていってしまった。向かった先の校門の前で亜美が待っているのが見えた。

 あの公園、と聞いて私が思いついた場所は一つしかなかった。中学生の頃、私が初めて京平くんの病気のことを聞いた場所。私があの公園に行くのはあのとき以来初めてのことだった。一瞬にして中学生の京平くんの姿が脳裏に浮かんだ。あのときまだ彼は私とそんなに背が変わらなかった。

 その日の夜はなかなか寝つけなかった。最後に京平くんと図書館で話した日から約一年の間、私たちの間に交わされた会話はほとんどなかったから。京平くんが私に何を言おうとしているのか、見当もつかなかった。結局私は寝不足のまま、その日を迎えた。


「それ、想介じゃだめかな?」

 一年前に自分がとってしまった行動に負い目があった私は、京平くんの顔を直視することなくそう言った。あなたとはもう話したくない、早くここから帰りたいのだというメッセージは、京平くんにも伝わっていたはずだ。

「ごめん、相良じゃだめなんだ。藍沢さんにお願いしたくて」

「…なに?」

「俺、明日学校辞めるんだけどさ」

 驚いて京平くんヘ顔を向けると、そこにはなぜか少し申し訳なさそうな表情の整った京平くんの顔があった。

「そう、なの?」

「うん。また入院することになったんだ。多分これが最後になると思うから」

「そうなんだ…」

 いつかそんな日が来ることは頭の中ではわかっていたはずだった。京平くんの病気は映画やドラマのなかでの設定だけで終わるようなものとは違う。目に見えなくても着実に京平くんの体を蝕んでいた。

「それでね、俺が藍沢さんに相談したいことっていうのは…」

 京平くんの視線が左右に揺れる。落ち着かない様子で何度か腕を振ると、深呼吸を繰り返した。

「なに?」

「ああ、ごめん。あのね、」

 大きく息を吸う途中で、何かを考えるように京平くんの胸は動きを止めた。そして次の瞬間、

「藍沢さんには、黒川さんがどうすれば俺から離れてくか、一緒に考えてほしい」

 吸った息を全て吐き出すように、京平くんは私に向かってそう言った。

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