第44話

 カアカアカア、ガゲェッ

 変な声で鳴くカラスに反応して見上げると、空はもうすでに暗くなり始めていた。さっきまではまだ明るかったのに―。

 スマホで時間を確認すると、私がここに来てからすでに二時間以上経過していた。この二時間、わたしはずっとこの、日の当たらない駐輪場に身を潜めている。


 遡ること約二時間前、二人の後を追った私がたどり着いた先は学校から歩いて十五分程のところにある図書館だった。あの様子からすると、おそらく二人は毎日放課後ここで一緒に勉強をしているんだろう。

 ―毎日。

 京平くんが頭がいいのは中学生の頃から知っていた。進学校に入っても京平くんの頭の良さは変わらないまま。今でも京平くんは毎回のテストで必ず学年順位一桁には入っている。

 亜美はといえば、彼女はどちらかといえば努力でなんとか周囲に追いついているタイプだ。決してバカなわけじゃないが、みんなが一回で理解するようなことに彼女は多くの時間を費やす。授業の後はよく私にも質問してくるし、教科書に大量の書き込みがされているのを見たことがある。

 目を閉じると、二人の姿が瞼の裏に浮かんでくる。

『京平ごめんね、ちょっと訊いてもいいかな?』

『いいよ。どこ?』

『ここなんだけど…』

『ああ、これはこの公式を使って…』

 自分からガツガツ行くタイプではない亜美はきっと、京平くんに質問することを何度もためらってやっとのことで勇気を出して声をかけるんだろう。そしてきっと京平くんは優しく教えてあげるのだ。あの温かい目で亜美のことを見つめながら。

 私はどこで間違えてしまったんだろう。京平くんを見上げる亜美と、京平くんを見つめ続けてきた私は何が違うんだろう。

 私たちの目にはどちらも京平くんが映っているはずなのに、京平くんは今私の手の届かないところにいる。

「ふふっ」

 自分が情けなくて笑ってしまった。

 頭ではわかっている。京平くんは亜美のことが好きだ。亜美も京平くんのことが好きだ。それだけだ。

 私が二人の間に入ってどうこうする必要なんて本当はどこにもないはずだ。二人は幸せ。私はそれを一方的に妬んでるだけ。それだけ。

 本当は、京平くんが一人になった隙を狙って声をかけるつもりだった。

『亜美とはどういう関係なの?』

 そう、訊いてやるつもりだった。

 でもあんなものを見せられたら―。あんなにも幸せそうな姿を、あんなにも亜美を想っている姿を見せられたら―。


「―藍沢さん?」

 突然名前を呼ばれ振り返ると、図書館の出口から出てきた京平くんがわたしの方に向かって歩いてきていた。人違いを装いすぐに下を向くも、京平くんがその意図に気づく様子はない。

「え、藍沢さん?だよね?」

 私に話しかけながらも、どんどん彼は近づいてくる。

 下を向き続ける私の視界に、私の正面にまわりこんできた京平くんの、少し汚れたスニーカーが飛び込んできた。このスニーカーには見覚えがある。私が四年前の彼の誕生日にあげたものだ。

 まだ使ってくれてるんだ―。

「やっぱり藍沢さんだ。よかった、人違いじゃなくて。おつかれ。ここで何してるの?」

 何をしているのかと訊かれて、あなたを待ち伏せしていたんだよ、と正直に言えるほど私は強くない。何も答えない代わりに、顔をあげた。

 当然だが、そこには京平くんの顔があった。こんなに京平くんの顔を近くで見るのはいつぶりだろう。子犬のようにキラキラした目も、すっきりとした鼻も、どこか楽しそうな笑みをたたえた唇も、四年前と何も変わらない。

 私だけが浦島太郎になってしまった気分だ。

「どうか、した?」

 少し困惑した顔で京平くんが私の顔を見つめてくる。

 あれほど私のことを見ていてほしかったはずなのに、いざ見つめられると目をそらさずにはいられなかった。

「京平くんは、なにしてたの?」

 京平くんと一対一で話しているこの状況に、自分の声が震えてしまっているのがわかった。私はこの質問の答えを知っているから。どうか京平くんがこの震えに気がついていませんように。

「俺の質問には答えてくれないのね」

 京平くんが少し困ったように笑った。笑うと目が線のように細くなってしまうところも、私は好きだった。

「内緒だよ。私がここで何してたかは内緒」

「内緒か、そっかそっか」

 平静を装って、必死に取り繕った。我ながらめんどくさい女だと思う。

 もったいぶったって、京平くんの質問には大した意図もないだろう。別に私が何をしていたって、京平くんはそれほど興味がないことなんてわかりきっている。今の京平くんが興味があるのは私じゃなくて亜美なのだから。

「で、京平くんは何してたの?」

 京平くんは、なんて言うだろう。一人で勉強をしていたと言われれば私はきっと満足していただろう。

 京平くんは私なんかには興味がなくて、私なんかに興味がないから私は振られて、でもいい女が現れたからその子には優しくして、でもバレないように私には嘘をついて。そうしたら私は傷ついて、でもどこか安心することができたはずだ。私の目的は達成されたはずだ。

 でも―。

「俺は、黒川さんと一緒に勉強してたよ」

 京平くんは嘘をつかなかった。京平くんは、四年経っても京平くんのままだった。

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