第42話

 去年の七月、京平くんは他の部員たちより一年も早くに部活をやめた。京平くんがエースとしてバスケ部みんなを引っ張っていく。誰もがそう思っていた最中のことだった。 

 直接本人の口から聞いたことではないが、私からすればその理由は明らかだった。おそらく、京平くんの病気が悪化したのだ。

 京平くんの抱えていた病気は、若者がなるのは珍しく、その症例も少ない。京平くんは病気を抱えながらも、周囲に隠したまま日常生活を続けられていた。

 でも、きっとそれが少しずつできなくなってきたのだ、直感的にそう思った。

 あのときと同じ、底知れない不安が私を襲った。

 京平くんがいなくなってしまう。私の前から、京平くんがいなくなってしまう。ずっと京平くんのことだけを見てきたのに。この高校に入ったのも、いろんなことを犠牲にして勉強しているのも、全部全部京平くんのためなのに。

 ずっと私たちをかろうじて繋いでいたものが、強い潮の流れによって引き裂かれそうになっているように思えた。

 部活を辞めたことをきっかけに、京平くんの病気が周囲にバレてしまったら。想介に、京平くんの病気がバレてしまったら。唯一私たちをつなぎとめていたものがなくなってしまう。

 京平くんと、直接会って話そう。もう一度京平くんに歩み寄って支えよう。大好きだったバスケを辞めた京平くんはきっと落ち込んでいるはずだ。そんな彼を、すべてを知った上で支えることができるのは、私しかいない。

 そう思った私は、学校帰りの京平くんを待ち伏せした。高校に入ってから京平くんとふたりきりで話すのは、おそらくそれが初めてのことだった。あのときの私は、久しぶりに京平くんと話せるということで浮き足立っていた。

 それなのに―。

 校舎から出てくる京平くんの隣には、なぜか亜美がいた。二人はそのまま仲睦まじそうに学校の敷地から出ていくと、一緒にどこかへ歩いていった。ほんの数十秒の出来事だった。

 体中の血がすうっとひいていくような感覚が私を襲った。京平くんと亜美。教室ではただのクラスメイトでしかないはずの二人が、一緒に帰っていく。

 私は足が地面に固定されたかのように、しばらく動くことができなかった。

 なんで、なんであの二人が。私がすべてを捧げて愛する彼と私の唯一の親友が、どうして、どうして私を置き去りにして。


 その日から私は、狂ったように二人のことを観察し続けた。

 二人の教室での会話。二人の行動。放課後まではなるべく二人が接触しないように、亜美のそばにい続けた。

 私がこんなにも今まで頑張ってきたのはすべて、間違いなく京平くんのためだ。京平くんは、不治の病を抱えていて、それを知っているのは私だけ。私は京平くんのためにすべてを捧げてきたのだ。

 京平くんの残りの限られた人生の中で、愛される資格がある人間がいるとしたら、それは間違いなく私のはずだった。そこに亜美が入ってきていいはずがない。

 苦しくて苦しくてたまらない毎日が続いた。

 放課後になると誰よりも早く玄関に向かい、柱の陰から京平くんが現れるのを待つ。初めて二人が一緒に歩いていくのを見た日、さすがの私も偶然を疑わなかったわけではない。

 京平くんは男女問わずみんなと仲がいいから。だから、たまたま玄関で遭遇した亜美と一緒に話していたのだ。帰る方向も、たまたま一緒だっただけ。

 そう思って、そう信じたい自分がいた。

 二日目、先に玄関に到着していた亜美を見つけて京平くんが手をあげたのを見たときも、五日目、靴ひもを結び直す京平くんの荷物を亜美が持っているのを見たときも、まだ私は偶然だと信じたかった。

 教室ではすごく仲がいいわけでもない二人が、放課後に玄関でお互いの姿を認めた瞬間、心を許したようにほころんだ笑顔を見せる。中学時代に付き合っていたときの京平くんも、教室では一番の親友のはずの亜美も、私に一度もそんな顔を見せたことはなかった。

 いつの間にそんな仲になったのか、亜美は京平くんのことを「京平」と呼んだ。私は、一度も呼び捨てしたことなんてないのに。私はこれほどまでに彼のことを大切に想っていても、彼の名前を簡単に口になんてできないのに。

 亜美はきっと、京平くんのことが好きだ。そう確信するのに時間はかからなかった。そして京平くんも、少なからず亜美のことを意識はしているだろう。

 いつからそんな仲になったのか。考えに考えた末、思いついたのがあの、亜美の唯一の欠席だった。あの日、京平くんも学校を休んでいた。そしてふたりとも病院に行っていたはずだ。

 もしかしたら二人は病院で偶然会ったのかもしれない。そこで親しくなって、ひょっとすると京平くんは亜美に病気のことを話したのではないか。確信できる要素はないものの、私の中で点と点が線で結ばれた気がした。

  京平くんはそうやって、誰かの大切な人を自分のものにしていった。想介も、亜美も。私から離れていって、京平くんのものになっていった。 

  

  

 心の底から愛した京平くんと、初めてできた親友の亜美を私はあのとき、どうしたかったのか。自分を徐々に見失っていく日々の中で私は、ある覚悟を決めた。

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