第40話

 私はそれまで、京平くんの彼女でありながら京平くんの彼女ではなかった。

 今まで一緒に過ごしてきた時間、京平くんのことが好きで一緒にいたわけではない。私から京平くんに対して何かをしたことも、したいと思ったことすらなかった。

 自分でもひどいとは思うが、京平くんは私にとっての「手段」であり、「目的」ではなかった。お互いの都合のいいように、利用し合うだけ。それだけのはずだった。

 それに、京平くんが余命宣告を受けたことを知っていながらもそれを意識して過ごしたことはない。

 言ってみれば当時の私は所詮中学生で、付き合うとか、余命とか、ドラマで見たものを自分の世界に落とし込んでわかった気がしていた。それだけだった。私は何もできないただの子どもでしかなかった。

 幸い京平くんの入院は定期的な検査をするためのものであって、何か大きな手術などではなかった。それでも、京平くんがいつかいなくなってしまうことへの大きな恐怖を感じた私はいた。


「明日から、入院するんだ」

 自分自身も入院の詳細についてはよくわかっていなかった京平くんの電話越しの声は頼りなく、不安がにじみ出ていた。

 携帯を置いたばかりの私は、体が震えた。

 もし本当に京平くんが死んでしまったら―。

 死ぬ、ということは、もう二度と会えないということだ。京平くんが笑った顔を見ることも、車道側を歩く京平くんの横を歩くことも、放課後二人で出かけることも。全部全部、京平くんが死んでしまったらできなくなる。

 私はなんてバカだったんだろう、そう思った。

 京平くんが私の隣にいたとき、私も確かに京平くんの隣りにいた。京平くんはずっと、私に優しくしてくれていたのに、私は何もしてこなかった。何かをしようとすらしなかった。

 気がつくと、目の辺りが涙で濡れていた。誰かのことを考えて涙が出てくるのは、これが初めてのことだった。

 もしかしたら、こういう感情を恋というのかもしれない。

 京平くんは、何もしてこなかった私をずっとずっと大事にしてくれていた。今ならまだ時間はあるはずだ。今度は私が彼のことを大事にしなければ、笑顔にしなければ。

 偽物なんかじゃない、本物の恋人になろう。置いたばかりの携帯を手に取ると、私は京平くんの番号にかけた。


「もしもし、藍沢さんどうしたの?」

 電話を切ったばかりだというのにすぐにかけてきた私を、京平くんは不思議がっているようだった。

 その声さえも愛おしくて、胸がキュッと締め付けられる思いがした。

「京平くんの声が聞きたくなった」

「今話したばっかだよ」

「うん、それでも。また聞きたくなった」

 自分で発しておきながら、自分でもらしくないと思った。好きな人の番号に電話をかけ、好きな人の声を聞く。そんなことも、私にとっては初めての経験だった。

「珍しいね。本当の彼女みたいじゃん」

 電話越しの声は少しくぐもっていたものの、私の言葉を聞いた京平くんはそう言って笑った。

 本物の彼女。京平くんは私の偽物の彼氏で、私は京平くんの偽物の彼女。私たちは、偽物同士。

 もともと提案したのは私なのに、その事実を目の前に突きつけられると不思議と悲しさがこみあげてきた。偽物同士の恋人は、ただの知り合いよりもずっと、本物の恋人より遠い気がした。

「ねえ私は今、京平くんの彼女じゃないのかな?これからちゃんと京平くんのこと好きになって、京平くんの本物の彼女に―」

「ならないで」

「え?」

「俺のこと、好きになんてならないで。俺も、藍沢さんのこと好きじゃないから。俺たちはそうやって成り立ってきたから。好きになんてならないで。そんなこと言われても困るだけだから。

 もしそうできないなら別れよう。なんか、勘違いさせてたならごめんね」

 京平くんの声は、冷たくて京平くんの声じゃないみたいだった。京平くんが私の話を遮ったことなんて、今まで一度もなかったのに。一方的に話すことなんてなかったのに。


 あのとき、私がなんと返したのかは思い出せない。気が付くと電話は切れていて、私の頬を涙が伝っていた。

 ただ、京平くんが私のもとからいなくなってしまったことだけはわかった。

 

 

 

 


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