第38話
「わたしには、わからない」
目の前に立つ京平くんの驚きを感じながらも、そのときの私の口は勝手に動いていた。
「わからないよ。申し訳ないけど、わかりたいとも思わない」
もう一度繰り返すと、京平くんはため息をついた。わたしを説得するのを諦めたようだった。
でも、それでよかった。
大切な友達であればなおさら、自分のもとから離れていくことなんて京平くんは望んでいない。京平くんの目のずっと奥のところで、私はそう訴えられていた。
その声を汲み取って京平くんを止めることができるのは、私しかいなかった。
そっか、と京平くんは再びため息をついた。
「とにかく、今の話は相良には絶対に言わないで。ほんとに、ほんとにお願いします。それと、もしこれから相良が俺のことで藍沢さんに迷惑かけたら、それは、ごめん。でも、俺はもう決めたから。相良のこと、よろしくお願いします」
深々と頭を下げると、京平くんは私に背を向けて歩き出そうとした。その右腕を思わず掴む。
「待ってよ!」
「痛ぇ!」
「…ごめん」
中学二年生の男子が出すその声は、迫力があって一瞬怯んだ。京平くんがそれほどまでには怒っていないとわかっていながらも、私の心臓はドクドクと激しく胸を叩いていた。
それでも、自分の声の震えを感じながら言葉を続ける。
「ごめん。でも、やっぱり私は京平くんには協力できないよ。悪いけど想介にも今の話はしようと思う」
京平くんは、何も言わなかった。
私に病気のことを話したことを後悔しているようだった。でも、もう遅い。
「京平くんは知らないかもしれないけど、想介が一番楽しそうにしてるのって、京平くんと一緒にいるときだよ。想介は、ほんとに京平くんのことが大好きだし、京平くんのことをすごく大事に想ってる。想介が一番悲しむことがあるとしたら、京平くんが何も言わずに離れていくことだと思う。そんなこと、想介のためになんてならないよ。ほんとは京平くんだってわかってるんでしょ?こわいから、病気のことを聞いた想介が、自分から離れていくのがこわいから、そうやって言うんでしょ?違う?でも言わせてもらうけどね、想介はそんなに薄情じゃないよ。病気のこと聞いたくらいでそんな簡単に大事な人を切り捨てたりなんて絶対にしない。京平くんが想ってるのと同じように、想介も京平くんのこと、大事に想ってるんだよ」
心の中で湧き上がった色んな感情が、言葉へと形を変えて口から流れ出ていった。
そのとき想介の隣にいるのは私じゃなくて京平くんだったから。勝手に想介のことを一人にされては困る。
「わかったよ」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で京平くんはそう言った。
「ほんとにわかった?」
「わかったよ。ありがとう、教えてくれて」
「うん。だから」
「だから、相良には言わないで」
「ねえ、今の話は?」
「ちゃんとわかってる、わかったよ。それで思ったんだ。相良がそんなふうに俺のこと思ってくれてるなら、それはほんとに嬉しいことだから。だったら相良とだけは、何があっても今まで通りの日常を続けたい。相良のためなんて言わないよ。これは俺のため。俺の自分勝手なわがまま。認めるよ。ダメかな?一生のお願い」
目の前にいた彼は、私よりも頭一つ分大きいのに、すごく小さな子どものようだった。誰かが守ってやらないといけないような。
彼の言う「一生のお願い」という言葉は、普通の人が簡単に口に出すそれとは意味が違う。今の彼にとっての一生は、本当に一生なのだ。
「じゃあ京平くんは、想介にずっと隠し続けるつもりなんだね?病気のこと」
「うん、そうしたい」
「そんなことほんとにできるの?自分の病気なのに自分でもよくわかってないっていうのに」
「それは俺もわからないけど、でも、相良とはずっと今まで通りでいたいんだ。これからどんどん俺は今までの俺とは変わっていくのかもしれない。できないことがたくさん増えていくのかもしれない。まだ、全然わからないけど。それでも相良がいつもと同じで、何も変わらないでいてくれたら、俺は大丈夫な気がするんだよ。藍沢さんには迷惑かけないようにするから、っていうかもともとそんな関わりなかったしね」
「でも、じゃあ最近の変な態度はどう説明するの?」
口では反対していながらも、目の前の彼に何か協力してやれないかなどと考え始めている自分がいた。
あー、と京平くんはわかりやすく考え込む。顎に手をやって。
数秒後、あ!と突然京平くんが大きな声をあげた。そして、絵に描いたような得意げな顔。
「何か思いついたの?」
「こういうのはどうかな?ずっと口内炎が痛くて、喋るのがつらかったって。だからちょっと無愛想になっちゃったって。別にお前になんかあったわけじゃないよ、みたいな。どうかな?」
脱力した。わざわざ私にお願いしてくるほど、想介は京平くんのことを気にかけていたのだ。そんな小学生みたいな嘘が通じるわけがない。
黙っている私の表情から察したのか、京平くんの得意げな顔が目に見えてヒュルヒュルとしぼんでいく。
「やっぱりだめ、かな?」
「私、やっぱり京平くんに協力するよ」
「おお、ほんとに!ありがとう、助かる」
京平くんの顔が綻んだ。京平くんがみんなから好かれる理由がわかった気がした。こんな顔をされてしまったら、誰だって彼を喜ばせたくなる。
京平くんの病気を隠すことに関して、私になにか考えがあるわけではなかった。京平くんは最近の変な態度の理由に加えて、今後の入退院や検査の際も嘘がバレないように隠し続けなければいけない。勘の鋭い想介に気づかれないようにするにはどうすればよいのか―。
「ちょっと提案なんだけど」
ある考えがひらめいた。でもこれは京平くんが嫌がるかもしれない。ダメ元で彼に伝えてみる。
「え、でもそれって藍沢さん迷惑じゃない?」
「いいのいいの。大丈夫」
小さい頃から自分でも自覚するほどわたしにはずる賢いところがあった。でも、人生で一番ずる賢い瞬間はいつか、と訊かれたら間違いなくあのときだろう。
「じゃあ、お願いします。でも、ほんとにいいの?」
「うん。こちらこそ、よろしくお願いします」
「ありがとう」
こうして京平くんはあの日、私の提案を受け入れたのだった。
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