第37話

 その想介が久しぶりにわたしのことを呼び出したのは、四年前、私たちが中学二年生の春のことだ。


「藍沢に頼みがあるんだけど」


 いつの間にか私よりも背が伸びて、がっしりとした体つきになった想介は、やはり私を栞ちゃんとは呼んでくれなかった。

 一週間ほど前から、京平が突然冷たくしてくるようになった。俺がなにかやらかしたかもしれないから、探ってきてほしい。それが、想介からのお願いだった。


「わかった。声かけてみるよ」


 京平くんと私は、小学五年生のあのときの会話以来、ほとんどしゃべったことはなかった。だから、本当はそんなの自分で解決しろと言いたいところだった。でも、私にはそれができなかった。

 想介が頼みごとをしたいと思う相手の中に、まだ私がいたことが嬉しかったから。

 あの日、想介のお願いを聞き入れた私の前には、斎藤京平が立っていた。


「コツズイ、イケイセイ?」

「症候群。これ、病気の名前なんだけど」

「ごめん、初めて聞いた。なんか難しい名前だね」

「そうだよね。俺も、先週初めて聞いた」


 小学生の頃に一度話したっきりだというのに、京平くんの話し方はそんなことを微塵も感じさせなかった。京平くんは誰と話すときも、全く同じ距離感で話すことができた。


「あの、それがどうかしたの?」

「これ、俺の病名らしいんだ。あ、相良には言わないでね。心配しちゃうと思うから」


 俺の病名。あまりにもあっさりと放たれたその言葉。耳をすり抜けて流れ出て行ってしまう前に、慌てて引き留めた。


「えっと、京平くんは病気なの?」

「うん、そうらしい」

「そうらしいってそんな、他人事みたいに。どんな病気?」

「それはまだ俺もあんまり理解できてないんだけど」

「でもちょっとくらいわからない?どこが悪いとか。治るのにはどれくらいかかりそうなの?想介、次の大会京平くんと一緒に出るの楽しみにしてたから、それまでには治りそう?」

 聞いたことのないような難しい名前の病気。悪い予感がどんどん私の中で広がっていった。

「ああ、大会自体は出られるよ。ただ、」

「ただ?」

「この病気は、治らない。治療はするけど完治はしないんだ」

「え、まって。それって、」

「俺、この病気で死ぬかもしれないんだ」

 淡々とした口調。京平くんが自分の病気をよくわかっていないからなのか、様々な感情を押し殺した結果なのか、私にはわからなかった。

「京平くんは、そんなに重い病気なの?」

「さっきも言ったけど、俺もまだよくわかってないことのほうが多いんだ。お医者さんも。もともとこの病気、若者がなるのも珍しいみたいで。でも、五年くらいって言われた」

「何が?」

「俺の余命」

「そんな…」

「相良には言わないでね」

 少しずつこの状況が理解できてきた気がした。

「え、じゃあ最近」

「最近俺は、わざと相良に冷たくしてた。そうすれば相良、俺から離れていくかなって思って。他にやり方思いつかなくて」

 そう言う京平くんの眼差しは真剣そのものだった。

 余命宣告を受けた人間が、周囲の人間をあえて自分から遠ざける。自分が死んだときに、悲しい思いをしなくていいように。より早く忘れてもらって、少しでも早く自分の死から立ち直ってもらえるように。

 そんな展開は、ドラマや漫画の世界だけの話だと思っていた。創られた世界でのセリフと、実際に言われてみるのでは言葉の重みが全然違う。

「ひどいよ」

「なんで?」

「なんでって。逆になんでそんなこと考えたの?」

 訊かなくても、その答えはもう出ている気がした。

「大事な友達だから。俺にとって相良は、大切な人だから」

「じゃあ、わかるでしょ。急に冷たくなんてしたら、想介は絶対に傷つくよ。何があったのかもわからないでさ。それでもし、もしだよ、京平くんが本当に死んじゃったら、想介がどれだけ悲しい思いをすると思ってるの」

 京平くんは、まっすぐ私の目を見つめている。その瞳の奥には、確固たる信念と覚悟が宿っていた。

 二人の間に重い沈黙が流れた。

「藍沢さんはさ、大事な人が急にいなくなったことはある?」

「ないけど。急になに」

「俺はあるよ」

 ハッとなって京平くんを見た。京平くんは、静かに私のことを見てきた。

「大事な人が急にいなくなると、自分の一部がどっか行っちゃったみたいな気持ちになるんだ。なにをしてても何かが足りないって思う。もっとその人になにかできたんじゃないかとか、意味ないってわかってても思うんだ。もう会えないってわかってても、どこかでほんとは生きてるんじゃないかって、思っちゃうんだよ。そのときだけじゃない。何年経ってもずっと、ずっと」

 何か言おうと口を開くも、言葉が出てこなかった。そのまま京平くんは、話を続けた。

「それって結構つらいよ。俺は、相良にそんな思いしてほしくない。相良のことは、本当に大事な友だちだと思ってる。だからなおさら、俺は、相良にとっての大事な人になりたくない。藍沢さんだってわかってくれるでしょ」

 話している間、京平くんは一秒たりとも私から目をそらそうとしなかった。そうすることで、私から自分が逃れられなくしているかのように。

 私は、生まれてから今まで大事な人をなくしたことはなかった。大事な人たちは大事な人たちとして、今も私の近くにいてくれている。お父さんもお母さんも、それから想介も。

 だから、京平くんの気持ちは想像はできても完全に理解することはできない。私がどれほど思いを馳せても、所詮それは私のなかでの想像でしかないのだ。

 ―どんなに不幸な境遇も、自ら選び取ることはできないから。

 

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