第36話

「藍沢さんさ、骨髄異形成症候群って言葉、聞いたことある?」

 四年前のよく晴れた日の放課後、突然私に呼び出された彼は、なんてことのないようにそう訊いてきた。


 彼、斎藤京平は小学校五年生のときに私がいた小学校に転校してきた。私が彼と言葉を交わすのは、おそらくあれが二度目のことだった。

 転校してきた当初、彼はいつも一人でいた。母親を亡くしたらしいという噂は聞いたことがあった。

 京平くんは、決して人を寄せつけないような空気を発しているわけではなかった。話しかけられれば笑顔で応じるし、誰に対しても分け隔てなく接していた。

 ただ、自分から人に近寄っていくような素振りを一切見せない。それは偶然などではなく、そのような意思をもってそうしているような、そんなふうに見えた。

 みんなは気づいていないだけで京平くんには何かがあった。廊下を何度かすれ違う程度の関係でしかなかったが、私は京平くんから発せられる何かをすでにその時から感じ取っていたように思う。


 京平くんが転校してくる一ヶ月ほど前から、私と幼なじみの相良想介との関係が悪くなってしまっていた。私と想介がかわりばんこで世話をしていた子犬を想介のお母さんが勝手によその家にあげてしまったのだ。想介の妹の麻里ちゃんに犬アレルギーが発覚したことが原因だった。

 子犬がいなくなったことに対して、私はもちろん悲しかった。すごく私たちに懐いていたし、かわいかったから。でもその悲しさは想介ほどではなかった。

 子犬がいなくなってからというもの、想介はわかりやすく塞ぎ込んだ。近所の子犬を見るたびに目に涙を浮かべ、散歩コースだった道を極端に避けるようになった。

 最初は私もなんとかして想介を慰めようと必死だった。何か新しいことを始めれば気が晴れるのではないかと思いバスケを薦めたり、放課後は毎日遊びに誘った。

 その結果想介はバスケ部に入ったし、放課後は思いっきり遊んでいたが、想介の気持ちが晴れるのは束の間のことだった。私がどんなに頑張っても想介はいつまでも子犬のことを引きずり続ける。

 おせっかいでしかないことはわかっていたが、私ももう限界だった。イライラを直接想介にぶつけてしまい、想介のことを傷つけた。

 私の代わりに落ち込んでいる想介の隣に誰かがいてやらなければ。そう思って私が目をつけたのが彼、斎藤京平くんだった。


「あの!」

「ん?」


 小学五年生のとき、六限の授業が終わって教室から出てくる京平くんを待ち伏せした。京平くんが教室から出てきたのは一番最後で、あっという間に廊下には私と京平くんの二人しかいなくなった。

 完全に一対一という形で、一度も話したことがない斎藤京平くんに話しかけた。


「私、隣のクラスの藍沢栞っていうんだけど。斎藤京平くんだよね?一昨日、転校してきた」

「そうだよ」


 イメージと違って、京平くんは人当たりのいい人だった。突然知らない女子に話しかけられても、嫌な顔一つしない。


「あの、急でごめんなんだけど、京平くんって仲いい人とかってもういるのかな?いつも一緒にいる人とか」

「特にはいないよ。転校してきたばっかだし、もうなんかグループみたいなのあるしね。そこに自分から入っていこうとはあんま思わなくて」

「そうなんだ」


 今考えれば、初対面の女子に突然そんなふうに話しかけられたら誰だって少しは警戒するだろう。でも、京平くんからはそんな様子は感じ取れなかった。

 ただ訊かれたことに対しては誠実に答える、それ以上でもそれ以下でもない。彼のそんな態度に、私は自然と信頼してもいいと感じていたのかもしれない。


「実は、京平くんに友達になってほしい人がいて。私の幼なじみの相良想介っていうんだけど。そいつと私、最近喧嘩しちゃって仲直りできてなくて。でも想介誰かがいないとなんもできないから、その、仲良くしてやってくれないかな?あ、もし京平くんがよかったらの話なんだけど」

「なるほどね。いいよ」


 突然の私のお願いを、京平くんはこちらが驚くほどにあっさりと受け入れた。

 その後、京平くんは私にどれが想介か訊くと、その一週間後には京平くんが一人でいることはなくなった。

 京平くんと想介。二人は寂しいもの同士、通じるものがあったのかもしれない。私のお膳立てなど一切必要とせずに、想介と京平くんの関係はどんどん深まっていった。そして私は、そんな二人に置き去りにされた。

 ずっと、想介は私がいなければ何もできないと思っていた。朝一緒に学校に行くのも、転んだときに助け起こしてやるのも、次の日の時間割を教えてやるのも、私の役割だと思っていた。想介は私が守ってやらなくては生きていけないのだと、ずっとそう思っていた。

 でも、その役割を果たすのはいつの間にか私ではなくて京平くんに代わっていた。

 小さい頃からいつでも私がそばにいてやらないと何もできなかったはずの想介は、私と一緒に学校に行くのをやめ、私のことを栞ちゃんと呼ぶのもやめた。いつしか私たちは、言葉も交わさなくなってしまっていた。


 想介に謝ることができないまま、わたしの想介はどんどん遠い存在になっていった。いつのまにそんな仲になったのか、想介の誘いで京平くんはバスケを始めた。わたしの想介は、京平くんの想介になっていた。


 

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