第16話
結局、電車は私たちを懐かしい場所まで連れて行った。あれからたった一ヶ月しか経っていないのに、最後にここに来たのはもう随分前のことのように感じられる。
「ここ、前に二人で来たとこだよね」
「そうだね。もう来ることはないと思ってたんだけど、セキュリティ的にやっぱりここが一番安心だから」
電車から降りると、前に通った道とは違う道を、京平は迷うことなくずんずん進んでいく。
京平の後を追っていくと、遠くのほうに開けた湖が見えてきた。夕日を反射して光る水面が本当に美しい。
「すごい!あの湖きれいだね。」
「でしょ。今からあそこに行くんだよ」
「え?」
「京平ってさ」
バシャンバシャン。
「何考えてんのかわかんないよね」
バシャンバシャン。
「そうかな。俺自分のこと結構単純だと思うよ」
バシャンバシャン。
「普通なかなかさ、スワンボートで大事な話しようなんて思いつかないよね」
二人乗りのスワンボートに乗り込んだ私たちはキラキラ光る水面の上を、ゆっくりゆっくり動いていた。
もちろん、夕日を鑑賞することが目的ではない。
「スワンボートが一番条件がいいんだって。考えてみ、他の人には会話は聞かれないけど個室空間じゃないから別に変な気まずさもない。しかも夕日めちゃくちゃキレイだし。正直楽しいでしょ?」
スワンボートは京平にとってナイスアイデアだったらしく、得意げな顔を見せてくる。
自分の心の内を悟られまいと、スワンボートを漕ぐ足を速めた。夕日に向かってボートがまっすぐ進んでいく。
「そろそろ本題なんだけどさ」
真剣なトーンの京平の声に、私はボートを漕ぐ足を止めた。京平も足を止めたことでボートも風にのって緩やかに流されていく。
「うん」
「何から話せばいいかわかんないね」
京平は困ったように笑った。遠くから白鳥が鳴く声が聞こえた。
「じゃあさ、近況報告とかはどうかな?」
「うん、いいね」
「じゃあ、京平からお願いします」
「はいー」
少しずつ夕日が落ちていくのを気にもとめず、京平は色んなことを話してくれた。一ヶ月前、自分の病気を知ってから京平の身に起こったこと。そこにはもちろん、私が全く知らないことも含まれていた。
「黒川さんは?その後どんな感じなの?」
一通り自分の話を終えた京平が私に訊いてきた。
私はあれからしばらくして三連休を利用して病院に入院し、無事に手術を終えた。
耳の少し前のあたりには傷が残っているが、今は髪を下ろしているから京平からは見えないだろう。
傷の回復も早く、私があの病院に行くことはおそらくもうない。
私の身に起きたことなんて、京平のそれと比べれば話すに値しないことだった。
「えっと、とくに変わらずって感じかな。栞には何も話してないし、よくもなく悪くもなく、みたいな?」
ははっと薄ら笑いを浮かべた私を京平は静かに見つめてきた。今まで私が知っている中で、一番真剣な表情の京平。
「ちょっと、どうしたの?」
京平は私の目から、何かを読み取ろうとしているように見える。
「黒川さん、それ、本当?」
「え?」
「俺の前では、本音を聞かせて。ちゃんと、言って。…もし困ってることがあるなら、話聞くから」
その目があんまりにも優しくてまっすぐで、たった一瞬で涙が出そうになった。
私はこんなことを言ってもらうのに、ふさわしい人間ではないのだ。
自分が一番つらいはずなのに、ただのクラスメイトにすらこんな言葉をかけられる京平。
何も言えずにその目を見つめ続けると、京平はなんてねと言って笑った。
バシャンと音を立てて、湖の遠くのほうで何かが跳ねるのが見えた。
固くなってしまった空気を和らげるかのように、京平がすげー!と無邪気にはしゃぐ。
夕陽が湖に反射して、私たちをいっぱいに包み込んだ。私たちの視界が、一瞬にしてオレンジ色に染まっていく。
その光景は神秘的で、人知を超えているように感じられる。こんなにも美しい世界を創り出すことができる神様は、京平の命を私からよりも早く奪うことを決めた。
「…京平」
口の隙間から漏れ出すように、声が震えた。驚いた顔の京平がこっちを見てくる。
「どした?」
「…京平、死なないでよ」
私の京平は優しく口角を上げると、こっちを向いたまま首を傾げた。
「なんとかしてまだまだ生きてよ、長生きしてよ。ちゃんと高校卒業して、生きたい大学に行って、素敵な人と出会って、それで絶対に幸せになってよ」
今のこの状況において、私ばかりが勝手に感情的になってしまっているのは自分でもわかっている。でも、言葉にすることで少しでも願いに近づけたら。今の私にできることと言ったらこれしかないから。神様に抗うことができる、今の私がもつ唯一の手段。
「わかった。頑張るよ」
私の言葉から何かを悟ったかのように、京平は静かにそう言った。その言葉とは裏腹に、京平の声はどこか頼りなさを感じさせた。
やっぱり私は、京平に何もしてあげられない。
「京平、ごめんね」
「なんで黒川さんが謝るの」
「ごめん、ごめんね」
私なんかが病気だと嘘をついたところで、私は京平の心の支えになんてなれない。むしろ私は、その嘘を利用して京平に近づこうとしただけなのではないか。勘違いして、うぬぼれて。でも結局私は何もできない。こんなにも近くにいるのに、隣に座っているはずなのに、京平は私からずっと遠くにいる。
私は京平に何をしたかったんだろう。何をしようとしていたんだろう。
悔しくて、情けなくて、気が付くと私の頬を涙が伝っていた。京平にばれないように、目がかゆいふりをしてごまかす。
京平、ごめんね。心の中で何度もそう言いながらも、結局私は言えなかった。
京平は、私が泣き止むまでの間一言も話すことなくただ黙って沈んでいく夕陽を見つめていた。
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