第15話

 今朝、スマホを開くと京平からの返信が来ていた。

『色々まじで申し訳ない。

 そしてほんとにありがとう。

 明日の放課後、もしなにもなければ教室に残ってくれないかな?少し話がしたいんだ。

 なかなか人に聞かれるとまずい話だから場所はまた二人で決めようと思うけど。

 もしだめだったら、そのまま帰ってくれて全然いいから。

 相良のこととか、関係ないのに巻き込んじゃってほんとにごめんね。』

 京平も、私と同じできっとたくさん通知音が鳴らないように気遣ってくれたんだろう。自分が他の人に対してしたのと同じ行為を受け取っても、京平が私にしてくれるのはなぜか特段嬉しく感じられた。

 この文章を打ちながら、私に申し訳なさがっている京平の顔が浮かぶ。

 もとを正せば全ては私がしょうもない妄想を現実にしようとしてしまったのが悪いのだ。京平が謝る必要なんてどこにもないし、むしろ短い残りの人生を私なんかと過ごさせてしまっていることに大きな罪悪感を感じる。

 なんの迷いもなく、私は京平の提案を受け入れることにした。

 京平とまた二人で過ごせると思うと、いつもは嫌な授業も嫌じゃなくなる。

 数学の解説も昨日頑張っただけあって無事に乗り越え、あっという間に一日の授業が全て終わった。

 掃除場から戻ってくると、教室にはまだ何人か人が残っていた。男子たちが騒いでいる脇で、京平は黙々と勉強している。

 そんなことしてなんになるのだろう。

 私に気づいた京平が顔を上げた。

「おつかれー」

 私に向かって小さく手を上げる。

「うん、おつかれ。どうする?」

「もう帰れる準備ってしてある?」

「あ、ちょっと待って」

「じゃあ俺、玄関で待ってるから」

 教室に残る人たちに気づかれないよう、小さな声で言うと、京平は素早く教科書をカバンにしまって教室から出ていった。 

 私たちが一緒に帰っていると思われないように、私はなるべくゆったり帰り支度をして京平の後を追う。

 教室にいた相良と栞の視線が少し気になったが、玄関へと急いだ。

「ごめんお待たせ」

「全然待ってないよ、行こうか」

 京平が歩き出した。

 近すぎず、かと言って変に気を使わせなくていいように、程よい距離を保つことを心がけながら、京平についていく。

「今日はどこに行くの?」

「あんま人目とか気にしなくていいとこ。あ、怪しいとこじゃないから安心してね」

 信号待ちの間、私にたくさん話しかけてくれた京平の顔はこころなしか前よりも頬のあたりがこけているように見えた。

 京平の足の向くままに、駅へと向かい、二人で電車に乗りこむ。また、あたりまえのように隣り合って座った。

 私の隣には京平がいて、京平の隣には私が座っている。あのときと同じ光景。でも、私たちの距離感も、あのときと何も変わらない。

 私しか京平の秘密を知らなくても、私たちは何も変わらないままだった。

 どうすれば私はもっと京平の力になれるだろう。

 本当はもっと、京平にとって近い存在になりたい。京平のためにできることを、一緒に探したい。そんなことないのかもしれないけど、それでももっとそばにいたい。

 でも―。

 私がこれから先、どれだけ京平と時間を過ごしても、京平の周りには見えないなにかがあって、私と京平がこれ以上近づけないようになっている気がしてならなかった。

 隣に座る京平の顔をちらりとのぞきみる。横顔がきれいな彼はぼうっとどこかを見つめていた。

 この人の考えていることはよくわからない。

 京平は、訊けば自分の話をしてくれる。でも、どれだけ話を聞いても、私は本当の意味で京平のことを理解できる気がしない。

 ふと、昨日相良から聞いた話が頭に浮かんだ。

 かつて、京平の彼女だった女の子。その子は一体、どうやって京平の心に入り込んだのだろう。どうすれば私もその子みたいにー。

「彼女さ」

 気づいたときには口が動いていた。しかも、よくわからない形で。

「ん?彼女?」

 京平がこっちを見てきた。突然私の口から発せられた言葉に、明らかに困惑している。

「え、誰の彼女?」

 当然と言えば当然の質問が返ってきた。

「あーっと、京平の」

 少し無理やりすぎる気がしたが、ここまで発してしまった以上、もう後戻りはできない。

「俺の?今いないけど。なに、急に」

 不機嫌とまではいかなくとも、京平の表情が変わったのを感じた。

「いや、そういえばこの間相良が前に京平に彼女がいたっていう話してたから、どんな子だったのかなって思って」

 京平のことを怒らせる気はこちらにはさらさらない。それがなるべくうまく伝わるように、必死で何気ない会話を装う。気をつけていても、自分の顔がこわばっているのがわかった。

「相良が?黒川さんにそんなこと言ったの?」

「うん」

「なーんでまたそんな話を」

「まあ、ちょっといろいろあって」

「なにそれ。ってか恥ずかし!普通そういうの面と向かって聞かないでしょ。黒川さんって変わってるね。びっくりしたー」

 もー、と京平は少し恥ずかしそうに笑った。怒ってはいないようだ。というか、京平が人に怒ることなんてないのかもしれない。

 体の力がふっと抜けた気がした。

「変わってるとはよく言われるかも。で、その子はどんな子だったの?」

 京平が怒らないなら、このまま話を優位に進めてなんとかしてその女の子の話を聞き出したい。

 案の定、またしても京平は私の発言に笑っただけだった。

「教えないよ。普通教えないでしょ」

「いや、別に名前を教えてくれって言ってるわけじゃないよ。ただ、どんな子だったのかなって思って」

 もし私が逆の立場だったら、こんな女、絶対に一緒にいたくないと思う。でも、京平は恥ずかしそうに頭を掻いて言った。

「もし俺がここで言わなかったら黒川さんはどうするの?」

「えー、どうしようかな。諦める。いや、やっぱ気になるからなー。相良とかに聞いちゃうかも」

 京平の反応を探る。やっぱり京平に怒っている様子は見られない。

「ねえ、それはダメよ。流石に」

「じゃあ栞に訊いちゃおうかな。中学校一緒だもんね?」

「藍沢さんはもっとダメ。あー、もう逃げられないじゃん」

 京平には申し訳ないと思いつつも、もうひと押しでいけそうな気がしてきた。

「京平から見た彼女さんは、どんな子だった?」

 トドメのようなつもりで、さきほどまでとは少し声のトーンを変えてみた。これで京平が黙ってしまったら、もう諦めるつもりだった。

 二人の間に沈黙が流れた。そして―。

「その人はねー」

 静かに京平が口を開いた。

「あのね、ちょっと不器用で口下手で勘違いされやすいんだけど、でもほんとはすごく優しくてあったかくて、自分の目の前にいる人を大切にしようと思える人だった。俺のことも、俺の友達のことも」

 隣に座る京平の顔を見ると、真剣だった。それだけで、どれほど京平がその人のことを想っていたかがわかった気がした。

 京平が誰かのことを絶対に悪く言ったりしないのはもちろんわかっていた。それがたとえ、別れた彼女のことだったとしても。

 それでもなぜか、私の心の中で何かがざわざわと動いた気がした。

「ねえ、やっぱり恥ずかしいわ。もうこの話終わりね」

 真剣な顔がほどけて、いつもの京平の顔に戻った。聞き慣れた調子の京平の声に、どこか安心した自分がいた。

「そうなんだ」

 今の私が言える言葉は、たったこれだけだった。

 聞かなくてもわかっていたことだ。私がこれからどれだけ頑張っても、私はその子みたいにはなれない。

 そもそもその子は京平の彼女で、私はただのクラスメイトでしかないから。そんなこと、わかりきっていたのに―。

 また少し、京平が私から遠くに行ってしまった気がした。

 

 

 

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