第11話
教室の方に向かって、再び歩き始める。そのまま四組、三組を通り過ぎた。
ちょうど二組を通り過ぎたところで、教室から京平が出てきた。
「あ」
「あれ、黒川さんまだいたんだ」
「あぁ、うん。ちょっとロッカーに忘れ物しちゃって」
とっさに嘘をついた。
「そっか。じゃあ」
「うん。じゃあ」
なんの目的もなくロッカーヘ向かった私と、京平がすれ違う。あのときと同じ、柔軟剤のいい匂いがふわっと香った。
トントンと、廊下を歩く京平の足音がどんどん遠ざかっていく。それが、あまりにもあっさりしていて―。
京平はなんなんだろう。どういうつもりなんだろう。
一ヶ月も、人の心に寄生しておいて。いろいろ思わせておいて。
お門違いな感情だとはわかっている。私が一方的に京平のことを想っていることもわかっている。
京平は絶対に悪気なんてない。そんなことは明らかだ。だけど―。
「あのさ京平、」
振り返った先に、京平の姿はなかった。いつのまにか足音も聞こえなくなっている。
「なんだ」
割と大きな声で呼んでしまったことへの恥ずかしさから、つい独り言をつぶやいた。誰にも見られていなかったのがせめてもの救いだった。
誰にも見られていないとわかっていても、なぜか今の状況を装いたい自分がいた。必要なものなどなかったが、整理整頓されたロッカーを開けた。なにを取るか迷った末、世界史の資料集だけを取り出し鍵を閉めた。
「あれ、黒川ちゃん?」
突然呼ばれて振り返ると、廊下の向こうに誰かが立っていた。薄暗くてよく見えないが、こっちに向かって歩いてくる。
「誰?あ、相良か!ごめん、よく見えなくて。おつかれ、どうしたの?」
相良とは一年生のときから連続でクラスが一緒だ。相良の誰とでも打ち解けられる気さくな性格に加えて、「黒川」と「相良」で一年生のときの名簿が近かったから、それでいつのまにか親しくなった。
「教室にお弁当忘れちゃったから取りに来たの。黒川ちゃんが学校残ってるなんて珍しいね」
「数学の課題置いて帰っちゃってさ。部活、もう終わったんだ?」
「うん、今日は先生の話があって早めに切り上げたんだよね」
相良は頭に手をやって、困ったように笑った。なにか言いたげな様子だ。
「あの、なんかあった?」
言ってすぐに失敗したと思った。相良の話はいつもダラダラと長い。相良の話を聞くこと自体は嫌いではないが、今の私はそんなに時間があるわけじゃない。
でも、もうすでに遅かった。よくぞ訊いてくれたと言わんばかりに、相良が話し始める。
「今日の部活で、急に先生に全員集合って言われてさ。俺、いつも京平と一緒にいるから京平探したんだけどなんかいなくて、どこだろって思ったらなぜか先生の隣りにいて。そしたら京平からみんなに話があるって言われて。一応今の俺らの部活は京平が仕切ってるから、全体への注意とかかなって思ったんだけど」
「うん」
この時点で、相良の話はすでに結構ダラつき始めている。これから、京平が退部したという流れに行くのだろう。
はー、とわかりやすく相良がため息をついて、窓の縁に腰掛けた。内履きの結び目に視線をやる。
「京平が、俺、今日で部活辞めますとか言い出してさ、突然。めちゃくちゃ突然。先生もなんか横でうんうんうなずいてるし、今までありがとうございましたとか言って京平そのまま帰ってったし。でも俺ら昨日も普通に練習一緒にやったんだよ。次の大会の話とかも普通にしてたし、ほんとにどういうことって感じ。てかまずなんで先に俺に言ってくれなかったの?っていうこの悲しさよ。しんどいって、もう!」
はーと再び大きくため息をついた相良が本当に不憫で、見ていていたたまれない気持ちになる。
なにより申し訳ないのは、この話を私はすでに知っているということだ。
「黒川ちゃんは知らないと思うんだけど、俺と京平ってさ、京平がこっちに引っ越してきてからずっと一緒にバスケやってたんだよ。ってか京平がバスケ始めたのは俺が誘ったからだし。こっちに来たばっかのときは、あいつめちゃくちゃ暗くてさ、もうほんと、今からは想像できないくらい。全然喋らないし、冗談言っても笑わないし。まあお母さん亡くしたばっかりだったからしょうがないとは思うけどね。あー、あいつがこっち来たのはお母さんが亡くなったからなんだけど」
ボーンボーンと、学校の隣りにあるお寺から六時を告げる鐘の音が聞こえた。
学校に来てから、いつのまにか30分以上経過していた。
一瞬まだなにも手をつけていない課題のことが頭をよぎったが、ここまで来たら相良の話は全部聞いてやろうと思った。
「あ、黒川ちゃん、時間大丈夫?」
「あぁうん、まぁ」
「ちょっと待って、お弁当取ってくるから」
そう言うと、相良は教室に入った。お弁当箱を取ってすぐに出てくる。
「お待たせ。続きは歩きながら話そう」
「ああ、うん」
なぜか私は、相良と二人で帰ることになった。
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