第7話

 電車は私の家の最寄駅を過ぎ、私が全然知らないところまでもお構いなしに進んでいく。

 どこの駅に止まっても、京平は降りようとしなかった。

 ふと、嫌な考えが頭をよぎる。

「ねえ京平」

「ん?」

「あの、違ったらごめんだけどさ」

「なに?」

「あのちょっと言いづらいんだけど、二人で自殺しようとか、考えてたりしないよね?」

「へ?」

 一瞬キョトンとした顔を見せ、次の瞬間京平は豪快に笑った。離れた席に座ってウトウトしていたおじいさんが目を覚ました。

「ちょっと京平、声大きい!」

「あ、すみません」

 おじいさんに謝ると、京平は私に体を向けて座った。その顔はまだ笑いを抑えきれないでいる。

「そんな風に思われてたかー。それは心配だったね、ごめんごめん」

「いや、違ったなら全然いいんだけど。ってか私の方こそなんかごめん。でも、どこ行こうとしてるの?もう行き先は決まってるの?」

「えー、それは秘密。でも大丈夫だよ。帰るときも俺ら二人絶対生きてるから」

 そう言うと、また京平は笑った。

 それから二十分ほど、私たちは電車に揺られていた。

 隣に座る京平はいつのまにかリュックを抱っこしたまま眠ってしまっていた。初めて見る京平の寝顔は、完全に無防備で、ちょっとだけ赤ちゃんみたいで、なんか、かわいい。

 カシャ。

 思わずスマホで写真を撮った。結構大きなシャッター音にも、京平は気がついていない。

 撮った写真を確認すると、京平の寝顔がしっかりと収められていた。少しだけ口が開いているのがアホらしい。

 写真を眺めていると、ガタンと電車が大きく揺れた。その振動で、スマホの電源ボタンを押してしまったようだ。突然スマホの真っ黒な液晶に、私の顔が映った。

 真っ黒な画面に突如現れた私はニヤけていた。

 私はニヤけていたんだ、京平の寝顔を見て、勝手に写真を撮って。そう考えたら一気に恥ずかしさがこみ上げてきて、すぐにスマホを開くと撮ったばかりの京平の写真を消した。

 私は、忘れていた。京平があまりにも私に普通に接してくれるから。京平はただ優しいだけで、クラスの人気者で、ほんとであれば私なんかと一緒にいるような人じゃない。

 勝手に思い上がっていた自分が恥ずかしくなる。

 私が電車から降りたとき、京平は呼び止めもしなかった。それは、本当にその必要がなかったからではないのか。京平はただ学校に行きたくなかっただけで、別に私と一緒にいたかったわけではないのだ。

 私は

「黒川さん、黒川さん。もうすぐつくよ」

 京平の声で目を覚ました。考えごとをしているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。車両には私たち以外の乗客はいなくなっていた。

「あの、どんくらい寝てたかな、私?」

 京平に寝顔を見られてしまったと思うと、恥ずかしくて目を合わせられない。

「えー、わかんない。俺も今さっき起きたばっかだから。昼間の電車ってなんかめっちゃ寝るのにいいよね」

 ふぁーあと体を伸ばしながら、隠すことなく京平が大きなあくびをした。

 私と一緒にいても、完全にリラックスした様子を見せてくれているのがなんだか嬉しい。こういうことができてしまうのが、京平のずるいところだ。

 電車が止まった。

「ここで降りるよ」

 先に降りた京平に続いてホームに出る。

 私は、名前すら聞いたことがない駅にいた。

「京平、ここどこ?」

 迷うことなく駅の改札へ向かう京平についていく。


「俺、小五までこの街に住んでたの。ここならこの制服着ててもどこ高かバレないと思うし。行こう」

 京平の言葉に流されるまま、私はついて行く。

 駅を出てすぐのところまでは店が立ち並んでいて結構栄えていると思ったが、五分ほど歩いてみると閑静な住宅地に出た。

 さらにそこを歩いていくと、落花生の薄皮みたいな色をしたアパートがたち並んでいた。そこでも京平は、足を止めることなくずんずん進んでいく。

 しばらく進むと、さら地が見えてきた。売却地と書かれた看板が一つ、ぽつんと佇んでいる。その前で、京平が初めて足を止めた。

 周りの景色を何度も見渡して、何か確認しているようにも見える。

「ねえ、ここがどうかしたの?」

「やっぱり、なくなっちゃったんだ」

 京平が寂しそうに呟いた。

 きっとここには昔、京平たちが家族で暮らしていた家があったのだろう。なにを言えばいいかわからず黙っていると、京平が再び歩き出した。

 五分ほど京平について歩くと、小さな公園に着いた。錆びたパンダとライオン、どうやって遊ぶのかわからないイモムシみたいな形をした遊具しかない、小さな公園。遊んでいる子どもは一人もいなかった。

 京平はまっすぐ歩いていってパンダにまたがった。とりあえず私も隣のライオンにまたがる。

「さっき行った場所さ、」

「うん」

「俺が小さい頃よく行ってた駄菓子屋さんがあったんだよね」

「うん」

 思っていた話とは違うが、黙って聞くことにする。

「そこの店主のおばあさんがさ、めちゃくちゃいい人で、よくお店のお菓子サービスしてくれてたの」

「うん」

「んでね、何度かおばあさんがお店にいないときがあって。俺さ、そんときお菓子黙って持ってってたんだよね」

 京平の話している意図も、この言葉に対する正しい反応の仕方も、私にはよくわからない。

「今思えばさ、俺がそのときやってたことって普通に犯罪なんだけど、そんときの俺はそれに気づいてなかったんだよね。母さんが死んじゃってこの街から出ていくことになったとき、おばあさん俺のこと見送りに来てくれたんだけど、そんときには自分がやったこと悪いことだって知ってたのに、怒られるのが怖くておばあさんに謝れなかった。それを、ずっと後悔してて。ねぇ、黒川さん聞いてる?」

 突然京平がこっちを見てきた。

 もちろん私は京平の話を真剣に聞いている。

「うん、ちゃんと聞いてるよ」

「そっか、ごめん。なにも言われないから聞いてないのかと思った」

「ううん、最後まで聞こうと思って」

「そっか、ありがとう」

「それで?言えなくて?」

「そう。それで言えなくて、でも、今日自分がもう長くないんだって思ったら、怒られることよりも謝れないままでいることのほうがずっと嫌だなって思った。そう、だから今日来たの。まあもうお店なくなっちゃってたけど」

「そっか」

 京平がふぅーと大きく息を吐いた。重い話をしたからなのか、顔が疲れて見える。

「俺、この話、初めて人にしたかもしれない」

「それが私でよかったの?」

「ここでよくないって普通言わないよね」

「え、それはつまり、よくないって思ってるけど言わないよってことなの?それともいいよってことなの?」 

 二人の間の空気をなんとか和ませられればと、あえてめんどくさいことを言った。今度は私が京平を助ける番だ。

 私のねらいどおり京平は、めんどくさー!と言いながら立ち上がって、歩き出した。顔は笑っている。

 よかった。

 そのまま歩いていくと、イモムシにまたがった。

「ねえ、これの遊び方ってこれで合ってるのかな?」

 ロデオマシーンのように、京平はイモムシの上で体を前後に揺らした。イモムシは地面にしっかりと固定されていて、京平が動いてもびくともしない。

「多分ね、違うわ。正解はわかんないけど」

「そっか。まぁでも地味に楽しいけどね」

「じゃあそれがきっと正解なんだよ」

「なにそれ」

 京平が笑って、私も笑った。

 笑ったらなぜか、すごく悲しくなった。こんなにしょうもないことで笑っているような人間もいつかは死んでしまうのだと思うと、私たちが生きている意味がよくわからなくなってくる。

 今までずっと私は、世界は全部用意されたものたちによって回っているのだと、心のどこかで勝手に思っていた。病気にかかる用の人たち、災害が起こる用の街、戦争が起きる用の国。自分がその「用」の外側にいる人間なら、病気も災害も戦争も、自分とは関係ない、遠いところの物語。そう、思っていた。

 だけど京平は―

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