第6話
何度考えても私は自分の向かいに座る人間がもうすぐ死ぬとはとても思えない。さっきから彼は、私が食べきれなかった分のパスタをかなりのハイペースで口に運んでいる。
「さっき聞きそびれたけどさ、」
「うん」
「黒川さんはなんの病気なの?」
お皿についたミートソースをフォークで丁寧にすくいながら京平が訊いてきた。お皿が平らで苦戦している。
「私はねー」
避けられないと思っていたこの質問。さっきパスタを食べながら急ピッチで考え上げたでっち上げを言葉にしていく。
京平は私が話している間、優しく相づちをうっていた。
「じゃあその耳の近くの穴がいけないんだね?」
「そうそう」
「なるほどね、大変だ」
さすがに耳瘻孔から入った菌が脳に行ったという話は無理があるかと思ったが、京平は疑っている様子もない。
お互いもうすぐ死ぬ前提で話しているだけあって、どちらも深刻なトーンにならないのがすごい。
京平が無事にパスタを完食すると、私たちはファミレスを出た。
改札を通り、ホームに向かう。時計を見ると、もう十二時半だった。思っていたよりもファミレスに長居してしまったようだ。
今から電車に乗って学校につくのは二時近くになる。部活にも所属していない私がたった二時間の授業のために学校に行くのは正直嫌だ。でも、京平がいるからサボるわけにもいかない。
しばらく二人でホームで話していると、電車が入ってきた。二人で乗り込み、隣同士の席に座る。ドアが閉まって電車が動き出す。
平日の昼間の電車には、ほとんど人が乗ってこない。同じ車両にもお年寄りが数人出たり入ったりするだけで、ほとんど貸し切り状態だ。
「なんか駆け落ちするみたいだね、俺ら。青春ドラマにありそう」
この人は今私がどれほどドキッとしたかなんて考えもしないんだろう。
「ヒロイン私ってことでいいのかな?」
「そういうことになるのか。ねぇ男の主役ってなんていうの?」
「えー、ヒーローかな。言われてみるとわかんないね」
京平がリュックからスマホを取り出した。
「へいSari!男の主役ってなんていうの?」
「すみません。よくわかりません。」
「いや、その訊き方じゃSariじゃなくてもわかんないでしょ」
「わかんないか、そっか。え、でも黒川さんわかるでしょ?俺がなんのこと言ってるか」
「わかるわかる」
「じゃあいっか」
「なにそれ」
そんなこんな言ってるうちに、いつのまにか電車は私たちの高校の最寄り駅に着いた。やっぱり京平と話している時間は楽しくて、あっという間だ。
「もうついちゃったね、行こう」
私が立ち上がっても、京平は座ったままだ。
「京平、どうしたの?行こう」
京平の口が小さく動いた。反対側のホームに滑り込んだ電車の音にかき消されて、なにを言ったのか聞き取れない。
「なに?もっかい言って」
京平が私の顔を見て、ニヤッと笑って言った。
「学校サボろうよ」
「なに言ってんの、そんなことしたら怒られちゃうでしょ。私も行きたくないけどでも制服着てるしバレるって。行くよ」
私が出口に近づいても京平は、動かない。
「ねえ京平、行かなきゃ。電車動いちゃうから」
「やだっ、もう今日はそういう気分じゃないの!」
お菓子をねだる子どものようにリュックをだっこした京平が体を揺らして駄々をこねる。
「気分とかじゃないでしょうが!ほらほら立って!」
その後も京平は駄々をこね続けた。なかなか意志が堅い。京平を説得するのは無理そうだ。
「じゃあわかったよ、京平。私だけでも行きますから。今日はありがとう。お互い頑張りましょう、では」
京平に背を向けて歩き出した。電車を降りても追ってくる様子はない。ホームに立って振り返るとさっきと同じ姿勢のまま、ぼーっと座っている京平が見えた。
「えーまもなくー、ドアが閉まります。」
鼻が詰まったような車掌のアナウンスが聞こえる。
ピローンピローンという音が流れた。
「やっぱ待って!」
ドアが閉まるぎりぎりで、一番近くの車両に駆け込んだ。動き始めた電車の揺れに耐え、手すりにつかまりながらも京平がいる車両に向かう。
京平は私が徐々に彼に近づいていく過程をじっと見ていた。なにを考えているのか本当にわからない。
京平がいる車両にまでたどり着くととりあえず、さっきの席に座った。
「あれ?黒川さん、学校行かなくていいの?」
京平は私が戻ってきたことに、なんの驚きも感じていないようだった。むしろ、私の様子を面白がっているようにも見える。
「気が変わったの。体育受けたくないし、京平がサボるなら、私だってサボったって別にいいでしょ」
そんなことを言いながら、内心では自分がとった大胆な行動に驚いていた。こんなこと、普段なら絶対しない。
私の言葉に、京平がふふっと笑った。
「なに?」
「ううん、別に大したことないんだけどさ」
「なに?言ってよ」
「いや、黒川さん絶対戻ってくるだろうなって思ってたら、ほんとに来てくれたから」
「なにそれ、どういう意味よ」
「いや、普通にそのままの意味でさ。黒川さんは、いい人だから」
なんだかしてやられた気がした。
京平は本当に人のことをよくわかっている。
京平は、さっき自分が私の目にどう映っていたかなんてきっと知らないんだろう。 あのときホームから見えた京平は、ぼーっとしていて、見ていてどこか心配になった。
あのままほっておいたら、京平がどこか遠く、手の届かないところへ行ってしまう気がした。
でも、今私の横に座る京平からは、さきほどの様子は一ミリも感じられない。
「どこ行こっかなー」
なぜかウキウキしている京平を見ながら、これも悪くない、と思った私がいた。
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