第5話
「ごめんね、俺が質問したのに」
心底申し訳なさそうに言いながら、京平が私の向かいに座った。
「いや、全然大丈夫。お父さんだったんでしょ?もっと話さなくていいの?」
「うん、あの人忙しいからさ。診察のあとすぐ連絡したんだけど、今気づいたみたいで」
京平がリュックのポケットにスマホをしまう。
「お父さんは、なんて?」
「あんまりちゃんと話はできなかったんだけど、ほんとなのか?って。なんか、憔悴って言うの?そんな感じだった。また後で連絡するって」
こんなにときですら息子とちゃんとした話ができない京平のお父さんを思うと、勝手に悲しくなってくる。
「そっか」
ふと、ある疑問が浮かんだ。
「そういえば京平、お母さんは?」
「俺の母さんは、」
「お待たせしました。こちらミートソースパスタになります」
京平の言葉を遮るように店員が二人前のパスタをテーブルに置いていく。
京平の言葉も気になるが、私のぶんまで量が多いような―。
「大盛り二つでよろしかったでしょうか?」
「え?」
「はい。ありがとうございます」
「ごゆっくりどうぞ」
店員が店の奥に入っていくのを確認すると、京平が謝ってきた。
「黒川さん、ごめん。俺の言い方が悪かったみたい」
「そんなことないよ。でもどうしようこの量」
大盛り自体は無料のサービスだから、私が損をすることはないが、目の前に置かれたパスタは大盛りというよりかはもはや二人前だ。もったいないから残したくはないが、全部食べられる気がしない。
「あ、気にしないで。黒川さんが食べられなかったぶんは俺が食べるから、残していいよ」
「さすがにそれは申し訳ないよ」
「大丈夫、大丈夫。俺こう見えて結構食べるから。元はと言えば俺が悪いんだし。黒川さんが全部食べられるなら全然いいけど。ってか美味しそう!いただきます」
しっかり両手を合わせると、京平はパスタを美味しそうに食べ始めた。ずっと暗い雰囲気に引きずられてもしょうがない。私もとりあえず食べることにする。
運ばれてきたばかりのパスタは温かくて、ソースがしっかり麺に絡んでいて価格の割に美味しい。
「美味しいね」
顔を上げると京平もこっちを見てきた。食べ始めたばかりだというのに、京平の口の端にはもうソースがついている。
「口、ついてますよ」
私がおどけて言うと京平は恥ずかしそうに紙ナプキンで口元を拭った。
「自分のなかではキレイに食べてるつもりなんだけど、なぜかついちゃうんだよね。口の構造上なのかな?小さい頃とか母さんによく注意されてた」
そういえば、と思い出す。
「ねえ、京平のお母さんって」
ああーと、京平が口に入っていたパスタを飲み込んだ。
「死んじゃったんだ。俺が小学生のときに」
「そうなんだ」
訊かなければよかったと思った。京平はなんてことのないように言ったが、今日の私は京平の知られたくない部分にずかずかと土足で踏み込んでしまっているような気がする。
京平のフォークは、早くもまたパスタを巻き取り始めていた。
「ごめん、私なにも知らないで何度も訊いちゃって」
私が感じている気まずさに京平が気づいている様子はない。
「別に謝ることないよ。俺母さんのこと大好きだったから母さんの話するの全然嫌じゃないよ。っていうか今も大好きだし。俺こう見えて結構マザコンなの。キモいと思った?」
試すようにニヤッとしながら私をちらっと見ると、くるくると巻いていたパスタを口に運んだ。
京平は終始あっけらかんとしているが、きっとものすごくつらい思いをしたんだろう。いつも笑顔の京平になんの疑いももたなかった自分を恥ずかしく思った。
「誰もキモいなんて思わないよ」
「ありがと。黒川さんはそう言うと思った」
京平が少し嬉しそうな顔をした。さっき拭いたはずなのに、もう口の周りはソースで赤くなってしまっている。
「ねえ、俺の母さんの話、聞きたい?」
京平は明らかに話したそうだった。京平が大好きだったお母さんの話。
私がうなずいたのを見ると、くるくるとパスタを巻きながら京平が話し始めた。
「俺、今はもう平気なんだけど小さい頃喘息もちでさ、そのせいで激しい遊びとかできなくてなかなか友達の輪に入れなくて。母さんは多分俺に友達いないこと気づいてたと思うんだけど、そういうことはなにも言わないでいつも、『京平、今日はどこ行こうか?』っていろんなとこ連れてってくれて。母さんバイク乗る人だったから、俺はいつもサイドカーに乗せてもらってさ」
「サイドカー⁉京平のお母さんって結構ファンキーな方だったんだね」
「そうそう、俺の自慢の母さん。ってかやっぱ大丈夫だったかな?こんな話、俺ばっかしゃべってるけど」
京平がパスタを巻く手を止めて、私の顔を心配そうに見てきた。
「いいよ、なんか面白そうだし。聞きたい」
「ありがとう」
京平は嬉しそうにすると、再びパスタを巻き始めた。
「あれ、どこまで話したっけ?あ、そうだ。それでね、小五のクラス替えで初めて俺にも友達らしい友達ができたの。そいつはほんとに性格がいいやつで人気者だったのに、俺みたいなやつに声かけてくれてさ。俺はそれが嬉しくて毎日そいつとか、そいつの友達と遊ぶようになった。それで母さんと出かけることも自然と減っていってさ」
そこまで言うと、京平がパスタを口に運んだ。
京平が話している間、ひたすら巻き続けたパスタ。咀嚼して飲み込むまでの間、二人の間に長い静寂が訪れる。
パスタを飲み込んだ京平が突然、私の顔を見てフフッと鼻で笑った。
「なに?なんかついてる?」
「いや、話してる途中なのにパスタを口に入れた俺バカだなって思って」
「それは私も思ったよ」
「ごめんごめん」
それでね、と京平が続ける。
「母さんの仕事が連続で休みの日があって、久しぶりに遠出しないかっていう話になったことがあって。その頃父さんは仕事が忙しくてほとんど家にいなかったから、俺と母さんと二人だけで、泊まりでさ。母さんも俺もめちゃくちゃ楽しみにしてて、計画とか立てて。一泊二日ツアーみたいなのに申し込んだらそれが当たってさ。でもその前日に、さっき話した友達に誕生会に誘われたの」
たくさんしゃべって喉が渇いたのか、京平はコップの水を一気に飲み干した。
「それで、京平はどうしたの?」
いつの間にか話に聞き入ってしまっていた。こんなにちゃんと京平の話を聞くのは初めてのことかもしれない。
「俺は、俺としてはどっちも行きたかったの。母さんが楽しみにしててくれたの知ってたし、っていうかそもそも行きたいって言ったのは俺のほうだったし。でも誕生会も行きたくて。ほら、俺はそういうのに呼んでもらうのも初めてのことだったから」
当時の京平の様子が頭に思い浮かんだ。お母さんと、初めてできた友達。迷う京平の気もちがよくわかる。
「結局俺、どうすればいいかわかんなくて、誘われた日の夜に母さんに話したんだ。行きたいって言ったら母さん悲しむかなとか思って、なんか明日友達の誕生会あるらしいんだ、みたいな感じで。そしたら即答で、お誕生会行っておいでって言われて。お出かけはいつでも行けるけど、誕生会は年に一回しかないからって。申し込んでたツアーも、ホテルもキャンセルしてさ、プレゼント用のお菓子も一緒に作ってくれた。母さん一回も俺のこと怒らなかったんだよ。せっかく誘ってもらったんだから、楽しんでこいって言ってくれた。めちゃくちゃいいお母さんだと思わない?」
そこまで聞いて思った。京平の性格の良さはきっと、お母さん譲りだ。人のことをよく見ているところとか、おおらかで優しいところとか。
話を聞いているだけで、心が温かくなってくる。
「ほんとに素敵なお母さんだね。京平が言うのもわかるよ」
「そう、ほんとにね。それなのにさ」
京平が言葉に詰まった。パスタを巻く手が動きを止める。
「その日俺が誕生日会から帰ってきたら家の中が真っ暗でさ。いつもは絶対そんなことない、っていうか、母さんがおかえりって絶対言ってくれるのに、その日は違ったんだ。母さんって何度も呼んだんだけど返事がなくて、そしたら暗いリビングの端っこで母さん倒れてた。後で聞いたらくも膜下出血だったらしくて。俺が帰ってきた時点でもう助からなかったのかもしれないけど、その時の俺はパニックになっちゃってなにもできなくてさ。夜中に父さんが帰ってきてやっと救急車呼んだんだけど、助けてあげられなかった」
話している間、京平の表情がどんどん暗くなっていった。
初めて見た、京平の悲しい顔だった。
「今さら考えても意味ないってわかってるんだけどさ、もし、俺があの日一緒にいたら違ったのかなって思うんだ。誕生会断って、母さんと一緒に出かけてたら、母さんがなんかなったとき周りに誰かいたかもしれないし、すぐに助けを呼べてたかもしれない。そしたら今も、母さん生きてたかもしれないって」
京平の後悔がひしひしと伝わってきた。京平はきっと、ずっと自分のことを責めてきたんだろう。
突然京平が顔を上げた。無理やり口角をあげて、笑顔を作ってみせる。
「ごめん、そんなつもりなかったのになんか暗い感じになっちゃった」
「ううん。聞きたいって言ったのは私だし。こっちこそごめん。京平がそんなつらい思いしてたとかなにも考えずにずかずか聞いちゃって」
たった一人で大好きな人の死に立ち会った京平は、どれほど悲しかっただろう。お父さんが来るまでの間、どれほど心細かっただろう。
「黒川さんは優しいなぁ。やっぱり俺ラッキーだわ」
京平が、しみじみと言った。
話している間、京平が無心で巻き続けたであろうパスタはいつの間にか団子のように大きくなっていた。それを口に持っていく。よくそんな一気に食べられるなぁと感心していると、むせた。
「ちょっと、大丈夫?」
胸をドンドン叩きながら、京平は私がとっさに差し出した水を飲んだ。うっかり私が口をつけた方を差し出してしまったが、本人は気がついていないので良いことにする。
「あ゛ぁー、鼻からパスタ出てくるかと思ったわ。黒川さんナイス」
「一気に食べるからだよ」
「そうだよね、ごめんなさい」
「なんで謝るの」
これもすべて京平の計算なんだろうか。二人の間に流れていた重たい空気が、京平のおかげで少しだけ和らいだ気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます