第4話

「え?」

 京平はまっすぐ前を向いたまま、黙っている。

 私のネタにのってきたのか、それとも本当なのか。京平の表情からは、そこまで読み取ることができない。

「ねえ、それほんとなの?」

 あまり尖った言い方にならないように、あえて冗談めかして訊いた。少しタチが悪い冗談だとは思うが、いつもの京平ならやりかねない。

 もともとこれは、私が自己満足のために振った単なる話のネタにすぎないのだから、京平がそこに便乗してきたところで私が彼を責めることはない。バスの乗車時間はまだ長いから、私を退屈させないようにしてくれたんだろう。

 それともあれか、この機会を利用して私に近づこうという魂胆なのか。

 そこまで考えて、また都合のいい妄想を始めようとしている自分に気がついた。本人が横にいるというのにそんなことまで思ってしまう自分が嫌だ。

 まあでも、いずれにせよ、これはノリのいい京平が私についた嘘。私はからかわれていて、京平は私の様子を楽しんでいるんだろう。

 本当なわけがない。大丈夫、大丈夫。

 早くそう、思いたいのに。なぜか京平は口をつぐんだままだった。

 演技だとしたら、相当上手い。どこかわからない一点を見つめて、京平が深く息を吸う音だけが隣から聞こえてくる。

二人の間に流れる沈黙が、どんどん私の不安を掻き立てていく。

「京平、さっきの質問、もし嫌な気持ちにさせちゃってたならごめん」

 結局先に沈黙を破ったのは私の方だった。

「え?ああ」

 反応はしたものの、京平に私の言葉は届いていないように見えた。ますます京平の考えていることがわからなくなってくる。

「ねえ、どうしたの?京平が今のは嘘だって言っても私、全然怒らないよ。不謹慎なこと言ってごめんね」

 はぁー、と京平がため息をついた。

「嘘だったら、いいんだけどね」

「え、ほんとに?」

 京平はわずかにうなずいただけだった。

「そんな、なんでよ」

 急にそんなことを言われても、受け止められない自分がいる。

「ねー、ほんとに。なんていうかその、なんでなんだろうね」

 京平自身も、自分の状況をまだ受け入れられていないように見えた。

「え、どういうこと?京平は病気なの?」

 本当なら、こんなにストレートに訊いていいことじゃないのかもしれない。でも、訊かずにはいられなかった。

「うん、なんかそうっぽい。この間家の階段から落ちたのも、病気のせいで倒れたからじゃないかって言われた。詳しい名前忘れちゃったんだけど、とりあえず俺はそれの一番上のステージにいるみたい。なんかもう手遅れ的なことを、さっき病院で言われた」

「そんな…」

 そこまで言ってまた京平は口を閉じた。

 どうしよう、なんて言葉をかけるべきか。

 それは残念だね、というのも違う気がするし、だからといって、死なないでと言うのもなんか。本人だって別に死にたいわけじゃないだろうし。

 京平の言っていることが本当なら、もっと悲しむべきなのかもしれないが、そこまで親しい関係じゃないがゆえに、この状況にあった言葉が見つからない。

 私が黙っている間に、どんどん二人の間の空気が重くなっていく。

「でもさ、」

 先に口を開いたのは京平だった。

 大きく吸った息を吐くように、こちらに顔を向けながら。さっきの暗い表情は、なぜか少し和らいでいるようにも見える。

「クラスにもうすぐ死にそうな人間が、二人もいるなんてすごいよね。俺らのクラス、どうなってんだよ」

 京平が困ったように笑った。

 でも、私は笑えない。

「ん?」

「俺まだ十六歳だし、部活も勉強も、それから恋愛も。一番楽しくなっていくこの時期にほんとなんなんだよって思ってさ」

「はぁ」

「今日すぐ死ぬってわけじゃなくても、俺の人生は俺と同級生のやつよりも短いことは決まっちゃってるわけじゃん、現時点で。これからなんのために頑張ればいいんだよっていうか。もうなんかそんなこと思ってたら俺の人生終わったなって」

 一度口にしたことで肩の荷がおりたのか、困惑する私におかまいなく京平はまくしたてる。

「でもそしたら黒川さんに会ってさ、しかも黒川さんも俺と同じみたいだし。なんか漫画みたいじゃない、この状況。余命宣告を受けたw主人公的な。どっちが長く生きてられるか観ものだね」

 そう言うと、京平は笑った。今度はわりといつもの感じで。

 一方の私は先程から急に京平の言っていることが理解できなくなってきた。

 待って待って。

 京平は、もう少しで死んじゃうかもしれない。病気。手遅れ。

 それから?

 私も死ぬ。京平と同じ。クラスに二人も。

「黒川さん、次で降りるよ」

 京平の言葉を頭の中で繰り返していると、バスが駅に到着した。椅子から降りて歩き出した京平の後ろについていく。

 もうすぐこの人は死ぬ。そう思っても、京平の大きい背中からは、死期が迫っている様子は一切感じられなかった。もはや自分の置かれている状況が理解できなくなってきている。

 私は死なないし、全然大したことはない。まずさっきのは単なるネタでしかないし。でも京平は、私も自分と同じだと信じている?

 バスから降りて、駅の構内へと続くエスカレーターに向かった。京平が先に乗り、私の方へ振り向く。

「もう十一時だね。こっから電車乗ってまた駅から学校まで歩いたら着くのは一時くらいか。ねえ、なんか食べてかない?」

 自分の大きな秘密を打ち明けた京平は、私の動揺をよそに完全に普段の京平に戻っている。

 特に返事をした覚えはないが、京平はエスカレーターを降りるとまっすぐ駅の中のファミレスヘ向かった。

 ぎりぎり昼食どきに間に合ったのか、私たちは待つことなく席に案内された。向かい側に、京平が当然のように座る。

「久しぶりだなー、ファミレス来るの。あ、俺自分の分は自分で払うから。黒川さんも好きなもの頼んでいいよ」

 おごるつもりも、おごられるつもりもさらさらなかったが、今月は金欠気味なので一番安いミートソースパスタを頼んだ。京平も、同じものを頼む。その間にも、私の頭のなかではぐるぐるとさっきのやり取りが思い起こされている。

「あ、すみません。これって大盛りにできたりします?」

「はい、できますよ」

「じゃあそれで」

「かしこまりました」

「楽しみだねー!パスタ」

 京平は相変わらずのんきで元気だ。さっきのくだりは全部演技だったのかと思う。

「ねえ、よくそんなに食べられるね」

「ここに来るのも最後かもしれないからさ」

 壁に貼られた新作メニューを見ながらさらっと言うが、こちらはどう反応すればいいのかわからない。

 言葉に詰まっていると、京平がふいにこっちを見た。

「あ、なんかごめん。全然気とかつかわなくていいから。お互いおっきなこと共有してるわけだし」

「そ、そうだね」

 やっぱり。

 お互い、そして共有。京平の使った言葉がすべてを物語っている。

 ここで本当のことを伝えるべきか。

「そういえば、黒川さんはなんの病気なの?」

 京平が身を乗り出して訊いてきた。

 どうしよう。なんて答えればいい。

「えっと私は」

 答えに困っていると京平のスマホが鳴った。

「あ、父さんからだ。ちょっと失礼」

 片手でごめんのポーズをすると、京平はそのまま店の外へ出ていってしまった。

一人になると、頭の中にどっといろんな考えが流れこんでくる。

 学校での休み時間とか、放課後の何気ないひとときとか。そういうありふれた状況なら、私が京平に振った話のネタは単なるネタで終わっていたはずだ。多分その場合だったら、京平だってあっさり流してくれていただろう。

 でも―。

 今は病院からの帰り道だ。

 もし、京平が言っていたことが本当だったとしたら?本当に京平が、病院で余命宣告を受けたばかりだったとしたら?

 京平の話が嘘だと信じたい自分と、本当だったのではないかと思い始めている自分がいる。

 病院内を歩く京平は一人だった。

 もし、京平の言っていたことが本当なら、もしかしたら京平はたった一人で自分の残酷すぎる運命を受け入れたのかもしれない。

 毎日がキラキラしている青春真っ盛りの今、その終わりを突然突きつけられたとしたら。

 怖くて、不安でたまらないときにあんなことを訊かれたら。

 私がしてしまった質問は、もしかしたら京平に勘違いさせてしまったのかもしれない。自分は一人じゃない、理不尽な運命を受け入れなければならないのは、自分だけじゃない、と。

 もし私と京平の立場が逆だったとしたら―。

 電話を終えた京平が、店の入口からこっちへ向かって歩いてくる。

 私は、覚悟を決めた。

 

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