第2話
考えまいと思っても、私の頭の中はもはや京平で埋めつくされている。
少し背の高い男性が目に入ると、京平かと思ってしまう。
前を歩くあの人も。学生みたいな格好をして、まだ五月の頭だというのにもうYシャツ姿になって。
後ろ姿だけでもなんかこう、すごく爽やかで。好感がもてる。
どんな顔をしているんだろう。気になって歩く足を速めるも、なかなか彼に追いつくことができない。
諦めようかと思ったとき、彼がかがんで床に落ちていた何かを拾った。診察券かなにか。周囲を見渡し、持ち主を探す。その勢いのまま、こちらに振り返った。
「嘘でしょ」
私の声に反応して、京平の視線が私の方へ向けられた。京平が私の姿を認めて、特に驚いている様子はない。誰のかわからない診察券を手にしたまま、京こっちへ歩いてくる。
「おはよう。これどこに届ければいいかな?」
学校の廊下で会ったみたいな、そんな感じの軽いノリ。
そもそも京平となんて廊下で会ったとしても、こんなふうに話したりなんてしないのに。
「お、おはよ。そこの総合受付みたいなとこでいいと思う」
「そっか、ありがとう」
京平はすぐに受付へ向かうと、係の人に診察券を渡した。
礼を言われたのか、照れたように何度も頭を下げる姿が京平らしい。
冷静になってくると、今の状況に様々な疑問が浮かんできた。
今日は平日。今は授業時間。京平が同じ空間にいる。私には別に驚いてはいない。―つまり、どういうこと?
「黒川さん」
いつのまにか京平が戻ってきていた。
「あぁ。大丈夫そうだった?」
「うん。名前とか書いてあったし、多分すぐ見つかるよ」
「そっか。よかったね
「これから学校行くでしょ?」
「うん、まあ」
「じゃあー、一緒に行くか」
「え?」
自分の置かれている状況がいまいち理解できないまま、私たちは二人で並んで病院を出た。
私の隣を京平が歩いている。ここは学校じゃない。そして一応二人きり。意識しないなんて無理だ。
「そういえば、京平はなにしてたの?」
たったこれだけの質問をするのにも、口がパサついてうまく話せない。
「なにって、俺も患者なんだけど。ほら、俺こないだ包帯とかして学校行ったじゃない?あれ」
そう答える京平は、教室でみんなと話すときとなんら変わりがなかった。
そして私はやっぱりか、と納得する。
平日に学校に遅刻してまで誰かのお見舞いになんて普通来ない。京平が病院に来た理由が重い病気とかではなくて良かったと思う。
そうだよな、というかあたりまえか。
ただのクラスメイトが重病などと聞いたら、単純に困惑するだけだ。きっとこれが正常なクラスメイトの反応なんだろう。
さきほどの自分の妄想が飛躍しすぎていたことに恥ずかしさを覚える。勝手に登場させてしまった京平にも、申し訳ない気持ちになった。
なんとか間を埋めようと、言葉を探す。
「あっと、あれは不運だったね」
言った直後に失敗したと思った。「不運」なんて言葉、普通の女子高生なら使わないんじゃないか。しかも当事者に向かって言うなんて。
京平のリアクションもなんかいまいちだし。
「不運かー」
京平がそう言ったっきり、二人の会話は終わってしまった。
―気まずい。
今の私たちの状況に、これ以上当てはまる言葉なんてないと思った。京平は私に話しかけてくる様子もないし、私ももうすでに前科があるから下手に話を振ることができない。
町の外れにある私たちの高校までは、ここからバスと電車を乗り継いで二時間近くはかかる。その間、ずっと京平と一緒にいるなんて。しかもこの状況で。しんどすぎる。
そもそもなんで一緒に行こう、なんて言ったんだろう。もし私に気づいていたなら、私が気づくうちにさっさと出て行ってくれていればよかったのに。
お門違いとわかっていながら京平に腹が立つ。
ちらっと隣を歩く京平の顔を盗み見た。
太陽に照らされたニキビ一つないきめ細やかな肌と、意志の強そうなまっすぐなくっきり二重の目が視界に飛び込んでくる。
どういうわけか、今日の京平はいつもと違って見えた。
普段おしゃべりな京平が黙っている姿は結構レアで、こう見てみると案外顔もかっこいいように思えてくる。
結局京平は、顔もかっこいいのか。スタイルもよくて、頭もよくて、運動もできて、性格もよくて。私なんかとは大違いだ。それなのに私は、さっきまであんな妄想を―
「ねえ、ちょっとあれ」
隣を歩く京平の足が止まった。京平が指さす道路の反対側には、人のようなものがうずくまっているように見える。
「人、だよね?」
視力が悪い私にははっきり見えないが、女の人がお腹を抱えているようにも見える。反対側の歩道には、その人以外誰もいなかった。
「ちょっと俺、行ってくる」
京平の行動に迷いはなかった。
車が来ないことを確認すると、すぐに京平は女の人のもとへ駆け寄った。慌てて私も道路を横切ってついていく。
女の人は妊娠しているようで、お腹が大きく突き出ていた。痛むのか、険しい表情でお腹を抱えている。女の人の額からは、汗のしずくが吹き出すように流れていた。
動揺して動けない私とは対照的に、京平は腰を落とすと女の人を優しく抱え込んだ。
「大丈夫ですか。お話できますか」
「赤ちゃん‥」
女の人はすごく苦しそうで、たったこれだけの言葉を発するのもかなりしんどそうだ。息も荒く、焦点も定まっていない。
どうしよう、こわい。
見ているだけなのに、自分まで具合が悪くなってしまいそうだ。視界がぐらついて、周りの音も遠ざかっていく。
「―黒川さん、黒川さん。大丈夫?」
私を呼び戻したのは、京平の声だった。全く同じ状況にいても、京平は一切動じることなく落ち着いている。
「俺、ここに残るから、黒川さん病院に戻って誰か呼んできてくれないかな?」
返事をするまもなく、固まってしまっていたはずの私の足は勝手に病院へと駆け出していた。
受付で自分がなんと言ったのかは思い出せない。気が付くと私は看護師たちを連れて京平と女の人のもとへと戻ってきていて、女の人はストレッチャーに載せられて運ばれていった。
あっという間の出来事だった。
「赤ちゃん、元気に生まれてくるといいね」
京平が静かに言った。
「そうだね」
私たちはまた二人で並んで歩き出した。
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