会いたくなくて、会いたくない
しらす丼
会いたくなくて、会いたくない
日曜日の朝。目を覚ますと全身に鉛がのっているかのように重かった。
この重さの理由はなんなのか――きっと三ヶ月ぶりに会う、友人のせいだろうと思う。
これまで私は、その友人からの遊びの約束を幾度となく断ってきた。
しかし、最近になって二日に一度も遊びの連絡が来るようになり、とうとう折れることになったのだ。
「嫌だ……行きたくない。胃が痛いよぉ」
頭を抱えて呻き声を上げながら、私はベッドの上を転がる。
友人は特別仲が良いわけでも悪いわけでもない。
ちょっとしたイベントで知り合い、その時に連絡先を交換して、それから何度かご飯を食べに行っただけの仲なのだ。
「でも、今日はランチだけだもんね。たぶん三時ごろには解放されるよね」
今日はやりたいことなんて特にないけれど、なるべく早く帰れたらいいなあ。
深いため息を吐き、部屋に置いてある小さな電波時計に目をやった。
「うわっ。もうこんな時間。ランチの前に選挙投票行かなきゃだった」
私はからだを起こし、いそいそと寝間着から外出用の服に着替え、ほんのり化粧をしてから家を出たのだった。
空には嘘みたいな青が一面に広がっていた。そこから降り注ぐ陽光は、アスファルトや車のフロントガラスに反射して眩しい。
『本日は晴天なり』そう呟きたいくらいの冬晴れだった。
おそらく、これからの予定のせいで気分が下がってさえいなければ、呟いていただろう。
ふわりと冷たい風が頬を撫でていった。
それがとても心地よく感じ、鼻から息を思いっきり吸い込む。
こんな日は窓辺でうとうとしながら、読書が良いのになあ。
キリキリする胃を撫でながら、私は歩みを進めていった。
そして家から五分ほどの投票会場である市民センターにつき、投票を済ませ、会場を後にする。
市民センターの駐車場でスマートフォンの画面をつけ、覗き込む。時刻は午前十一時三分だった。
「もう、こんな時間か……」
私は小さくため息を吐き、ランチの約束をしているお店へ徒歩で向かうことにした。
徒歩で行くのは、車を使う距離でもない場所に今日の目的地があるからである。決して帰りに送迎を期待しているわけではない。
「あーあ。今日の予定が選挙の投票だけだったら良かったのに」
変わらずに痛いままの胃を押さえ、ブツブツ呟きながら私は約束のお店へと向かう。
起きた時に感じた鉛の重みが再来し、進む足を遅くしていた。
進むたびに鼓動は早くなり、なんだか胸がモヤモヤとする。
集合時間は午前十一時半。間に合うように出たつもりだったが、このままでは二分ほど遅れてしまいそうだった。
あっちは車で来るし、たぶん私が遅れても車の中で待っていてくれるだろう。
とりあえず連絡はせず、少しだけ歩く速度を上げた。
集合時間の一分遅れで、私は待ち合わせの九州料理のお店に着く。
駐車場をぐるりと見渡したが、友人の車はまだ来ていないようだった。
『到着しました。今、どこですか?』
ラインを送るとすぐに返信があった。
『しばし待たれよ』
お前は、武士かっ!
と内心ツッコミつつ、『了解です』と返し、お店の前で待った。
二分後。黒い車が駐車場に入ってくる。友人の車だった。
お店の前で待ち構えていると、友人は私をスルーして行きそうになったため、「あの……私」と声をかけると、「えっ!? 誰かわからんかった!」と目を丸くした。
その一言に内心腹を立てたが、三ヶ月も会わなければこんなものかとすぐに立った腹を鎮めたのだった。
それから一緒に店内へ。思いのほか混み合っていなかったおかげで、私たちはすぐに席に案内してもらえた。
店員さんからのメニューの説明を聞いたのち、私たちはもつ鍋ランチを注文。
注文した品が運ばれてくるまでの間、最近はどうだというような話をした。
私には特に話すようなことがなかったため、「なんとなく生きてます」とだけ伝え、あなたはどうなのかと尋ねてみた。
すると、友人は実に楽しそうな近況報告を披露してくれる。
その内容のほとんどを記憶に留めることはできなかったが、どうやら楽しいということだけは伝わった。羨ましい人生である。
程なくして、頼んでいたもつ鍋ランチが運ばれてきた。
大きなお盆に一人用の鍋に入ったもつ鍋と白米の盛られた茶碗、小鉢のキムチ、海老マヨ、グリーンサラダ。
テーブルの上はとても賑やかになった。
二人がけのテーブルに置くには、ギリギリすぎるサイズ感である。
そして、メニューにあったセットのデザートは、食後にお持ちしてくれるらしい。
たしかに今のテーブルの状態では運ばれてきても置くところなんてないだろう。
トリは前座が最高潮に盛り上げたステージに現れれば良い。そんなことを思う。
「昼からこんなに食べるのも、なかなかないよね」
友人は運ばれてきたもつ鍋ランチをまじまじと見ながら呟いた。
「食べられるか心配ですね」私もつい苦笑いする。
「それじゃ、食べますか」
「はい」
それから私たちは食事を楽しみつつ、色んなことを話していった。
最近みた映画や小説の話。今日の選挙投票には行った行っていないの話。今度受ける試験の話。これから仕事でやってみたいこと。
すべて、なんてこと話ばかりだ。
それでも友人の話はどれも面白おかしく、笑みが絶えることはなかった。
目の前で沸騰するもつ鍋の汁が、そんな私たちの笑う声に合わせて弾け、その拡散した湯気は私の心をあたためる。
ほんの少しだけ……来てよかったかもしれないと、私はそう思った。
最後にセットスイーツ(いちごのパウンドケーキ)をドリンクバーのコーヒーと共に頂いて、私たちはその店を後にしたのだった。
午後四時。帰宅。
家に入って、私はまっすぐ部屋に向かった。
「疲れた……」
話していた時は楽しかったけれど、いざ帰ってみるとこんなにも疲労が溜まっていたのだと知る。
「次こそはもう、会うのはやめよう」
スマートフォンを手に取り、ラインを開いて友人の名前を見つけた。
ブロックしてしまえば、もう二度と関わらずに済むんだ。
でも、私の指は『ブロック』をタップ出来ない。
そのままスマートフォンの画面をブラックアウトさせ、ベッドに投げた。
私はベッド前の床でお山座りをして、膝に顔を埋める。
会いたくない。面倒くさいと言いつつも、結局はまた会いたいと思ってしまう。
「単純だなー、私は」
ふう、と息を吐いて、そっと目を閉じた。
一緒に食べたもつ鍋の塩辛さ。コーヒーの苦み。いちごスイーツの甘酸っぱさ。
なにも高級なものを食べたわけじゃない。
けれど、昨日まで空っぽだったはずの心の容器には、温かいものが並々と注がれていた。
顔を上げ、放り投げたスマートフォンを手に取ると『今日はありがとうございました。また、ご飯に行きましょう』そんなメッセージを友人に送っていた。
「ああ……どうせまた当日になったら、私は会いたくないって言い出すんだろうなあ」
メッセージを送ってから、何となく後悔して小さくため息をつく。それから、クスッと笑っていた。
会いたくなくて、会いたくない。
でも、もう一回くらいは会いたいな。
そんな、不器用な恋愛ばかりの私。
会いたくなくて、会いたくない しらす丼 @sirasuDON20201220
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